ペッパーが仕事で海外に行くことになったのは、エストが8ヶ月になった頃だった。今までも二人で留守番はしたことがある。だが、それはほんの数時間であり、今回のように5日間も二人きりとなるのは初めてだ。そのためトニーは内心不安で仕方なかった。
だが…。
「大丈夫よ、あなたは世界一立派な父親ですもの」
そう言われれば不安だとは言えない。
一方のペッパーも、そうは言ってもやはり不安だった。父親であるトニーと留守番するのだから、そのことに関しては全く不安に思っていない。何だかんだ言っても、トニーは上手くやってくれると信じているからだ。問題は5日間もトニーと離れること、そして娘と離れ離れになる自分だった。産まれてから長く離れていたことはないのだから、おそらく娘が恋しくなり泣きたくなるのは目に見えている。だが、小さな娘を長時間飛行機に乗せ、慣れない異国の地で世話する訳には行かないのだ。
という訳で、トニーが買ってきたエストのお気に入りのうさぎのぬいぐるみをスーツケースに忍ばせたペッパーは、夫と娘にキスをすると、5日間の海外出張へと出掛けて行った。
ペッパーが出掛けて一日が終わる頃。パパが大好きなエストは二人きりということが分かっているのか、愚図ることもなくご機嫌だ。お腹がいっぱいになった彼女は、寝室の大きなベッドに寝かせてもらいご満悦。すぐに寝息を立て始めた娘に彼女お気に入りの毛布を掛けたトニーだが、格別何かする気にもならず、自分もベッドに潜り込んだ。いつもそばにいるペッパーがいないため眠れるか心配だったトニーだが、四六時中小さな娘の世話をしていた疲れもあってか、すぐに眠ってしまった。
翌日も、エストはよく食べよく遊びよく眠り、全く手が掛からなかった。いつもは嫌いだと食べない人参も、自ら率先して食べるし、逆にトニーが食べていないのに気づくと頬を膨らませて不満げに唸るのだ。
「おい、将来はママと二人でパパのことを責めるんだろ?」
ふとした仕草は母親にそっくりな娘の鼻をつつくと、彼女は満面の笑みを浮かべ、小さな手でトニーの頬に触れた。その仕草も母親であるペッパーを彷彿させ、トニーはふと先程掛かってきた電話を思い出した。
「そういえば、ママは大丈夫かな?さっきの電話…パパが『さみしい、会いたい』と言ったら、ママは『そんなことないわ!あと3日よ!』と慌ててただろ?ああいう時のママは我慢しているんだ。きっと今夜にも…」
「だぁ…」
『泣きながら電話が掛かってくるぞ…』と言おうとしたトニーだが、母親を思い出したのか目に薄っすらと涙を浮かべた娘に気づくと、彼女をハイチェアから抱き上げた。
「ほら、エスト。お風呂に入ろう!」
お風呂と聞いて顔を輝かせたエストが再び母親を思い出す前に…と、トニーは大急ぎでバスルームへ連れて行った。
その夜…。トニーの予想通り、ペッパーから電話が掛かってきた。エストのうさぎのぬいぐるみを抱きしめたペッパーは、いつの間に入れていたのか、トニーのシャツを着て、画面越しに声を上げて泣いている。
『さみしくて死にそう』とか『あなたとエストに抱きしめてもらいたい』とか『会いにきて』など、昔の彼女からは想像も出来ないような台詞を喚き散らすペッパーだが、画面越しではさすがのトニーもどうすることもできない。『さみしいのは一緒だ。あと3日だ。空港に迎えに行くから、帰ってきたら思いっきり甘えてくれ』と、彼にしては珍しく泣き喚く妻を何とか宥めたトニーだが、結局我慢できなかったペッパーは、出張を早々に切り上げ、翌日二人の元へ戻ってきたのだった。