Special Holiday①

ある晩、いつものようにペッパーを抱き寄せたトニーは、その白く美しい背中に指を這わせると、リズミカルに指を動かした。
「何?」
胸元に顔を寄せキスをしていたペッパーが怪訝そうな顔をしてトニーを見上げた。
「何でもない…」
口元を緩めたトニーに背中をすっと撫でられたペッパーは目をきゅっと閉じた。

トントン…

しばらく考えていたペッパーだが、あることに気づきパッと目を開けトニーを見つめた。
「“あいしてる”…。モールス信号よね?」
まさかペッパーが知っているとは思いもしなかったトニーは面食らった。
「知ってるのか?」
「えぇ、少しは」
昔、父に教えてもらったのよと笑って答えるペッパーだが、自分の秘密のメッセージがばれてしまったトニーは照れ臭そうに彼女の髪に顔を埋めた。
「ねぇ、トニー。私はあなたの声で聞く方が好きよ」
首筋に移ったキスの雨を受けながらペッパーはトニーの耳元で囁いた。
「分かってる…だが、言葉にしなくても他にも伝える手段はあるぞ?」
ペッパーを組み敷いたトニーは、その甘い香りに再び溺れていった。

*****
1ヶ月後。
トニーはこの1ヶ月、とあるプロジェクトにかかりっきりだった。
順風満帆に進んでいたプロジェクト。だが先月のデモストレーション中に思わぬ欠陥が生じ、多くの政府関係者が見守る前でトニーはミスを犯したのだった。トニーにしてみれば、試作段階でのミスは付き物。これから改良を…と受け止めていたのだが、最悪でも1ヶ月以内に完成させろという命を受け、社員に任せておくわけにもいかず、トニーが中心としたチームが再編成されたのだった。
結局トニーが主に動くこととなり、この1ヶ月、トニーは会社のラボに籠もりっきりだった。
ペッパーは毎日食事を持って行ったりと様子を見に行っていたが、作業に没頭しているトニーはほとんど手をつけることなく、日に日に顔色が悪くなっていくトニーをペッパーはただ見守るしかなかった。

一度だけ、我慢の限界だったのだろう、深夜遅く家に戻ってきたトニーは、出迎えたペッパーをただいまの挨拶もそこそこに抱きしめキスをし始めた。数週間ぶりの温もりに胸が高まったペッパーだが、ベッドに辿り着いた瞬間トニーはいびきをかいて眠ってしまった。
よほど疲れてるのね…と、死んだように眠るトニーに抱きついて眠ったペッパーだったが、翌朝目が覚めると『昨夜は悪かった T』という書き置きを残してトニーの姿は消えていた。

*****
最終デモストレーションが3日後に迫ったある日、夕食を持ってきたペッパーがラボを覗くと、部屋の中にはトニーしかいなかった。
「あら?他のみんなは?」
「帰らせた。みんな疲れ切ってたからな。後は最終チェックをするだけだ。私一人でできる…」
顔をあげることなく黙々と作業を続けるトニー。その横顔はいつ倒れてもおかしくないほど目に見えて疲れ切っていた。
「トニー、お願いだから…無理しないで…」
「だが、ペッパー。3日後は失敗するわけにはいかないんだ…。今まで頑張ってくれたみんなのためにも…」
彼にしては珍しくプレッシャーを感じているのか、冗談の一つも…ましてやペッパーにキスすらしないトニー。見ると、昼に持ってきた食事は手を付けた形跡すらない。
(何とかして休ませないと…。あの様子じゃあ、きっとこの1ヶ月ほとんど食べてないし寝てないわ…)
「トニー、明日じゃだめなの?あなたが倒れたら元も子もないないのよ?」
すがるような視線を感じたトニーは作業の手を止め、ペッパーに歩み寄った。
「それより、君は明日からDCに出張だろ?気をつけて行って来い。帰りは3日後だったな?ちょうどいい。プロジェクトの成功を祝えるはずだ。帰りが早かったら食事にでも行こう。この1ヶ月、君のことを放っておいた埋め合わせをたっぷりさせてくれよ」
ペッパーの目を見つめたトニーは、音を立ててキスをおとすと、作業に戻った。

「お願いだから、少しは休んでね…」
何度も念押ししたペッパーは、不安そうな顔をしながらラボを後にした。

*****
トニーはもちろんのこと、その背中を見て奮起した社員の努力の甲斐もあり、デモストレーションは無事に終了。絶賛されたトニーはその場で契約を結び、チームの面々は抱き合い喜び合った。
「社長のおかげです!ありがとうございました!」
失敗すればクビも免れなかったであろう…プロジェクトのリーダーが涙ながらにトニーの手を握った。
「いや、君たちのこれまでの努力が報われたんだ。だから、君たちの手柄だ」
肩をポンっと叩くと、トニーは部屋を出て行った。

*****

「ハッピー、着いたら起こしてくれ…」
ハッピーの運転する車に乗り込んだトニーは、目を閉じた。

この1ヶ月、ほとんど眠っていない。眠ろうとしても、徹夜で頑張る社員の顔が目に浮かび、眠れなかった。
まともな食事をとる暇もなく、酒を一杯引っ掛けてラボの片隅のソファーに身を沈めて眠る日々。
心配したペッパーは毎日のように顔を覗かせていたが、抱きしめてその温もりを感じる時間もゆとりもなかった。それでも我慢できなくなると、ペッパーは知らないだろうが、着替えを取りに帰宅すると眠る彼女にキスをし、しばらく顔を眺めてまた会社に戻る日々を過ごした。
若い時分は無茶をしても何ということもなかったのだが、やはり年なのだろうか。1週間ほど前から胃の辺りがキリキリと痛み、気分も悪い。食欲もなく、食べても吐き気に襲われるため、ますます食事は喉を通らなくなった。
そしてペッパーと顔を合わせた3日前。胃の痛みは一層強くなり、時折背中の方まで痛みが走り出した。

マズイな…。倒れる前に休まないと…。

「ボス、着きましたよ」
疲れ切った身体を引きずるように車から降りたトニーだが、眩暈がし足元をふらつかせた。
「明日はゆっくり休んでください」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
顔色の酷く悪いトニーを見つめたハッピーは心配そうに帰って行った。

(夜にはペッパーも帰ってくる…。それまで、一眠りするか…)
寝酒に何か飲もうかとバーカウンターへ向かったトニー。お気に入りのボトルを取り、グラスに注いでいると、鳩尾に激痛が走り、思わず身を屈めた。
「うぅ…」
あまりの痛みに額から脂汗が流れ落ちた。
(早く休もう…。休めば治るはずだ…)
トニーがグラスを手に寝室へ向かおうとした時だ。
「ただいま。トニー?帰ってる?」
愛しい声がし、トニーは頬を緩めた。
「おかえり、ハニー。早かったな」
「えぇ。思ったより早く片付いたの…」
リビングに入って来たペッパーは、青い顔をしたトニーを見て息を飲んだ。3日前よりもさらに酷い顔色をしており、痛みでもあるのか、眉間には皺を寄せながらカウンターにもたれかかっていた。
「どうだった?」
ペッパーに心配をかけまいとしているのだろう。グラスの中を煽ったトニーは、無理やり笑顔を貼り付けた。
「うまくいったわ。トニー、飲み過ぎないでね」
様子のおかしいトニーを気にしながら、着替えるために寝室へ向かおうとしたペッパーだが…。

静まり返った部屋にグラスが割れる音がし、くぐもった声が聞こえた。
「トニー?」
嫌な予感がしたペッパーは振り返り、悲鳴をあげた。
口元を押さえたトニーの指の隙間からは、どす黒い血が零れ落ちている。震える手でカウンターを掴もうとしたトニーだが、その手は宙を掴み床に倒れた。
「トニー!!」
苦しそうに咳き込み始めたトニー。息を詰まらせたトニーの顔を横にすると、口から大量の血が溢れ出た。
「トニー!!しっかりして!ジャーヴィス!救急車を!!」
『ペッパー様!すでに呼んでおります。あと3分ほどで到着予定です!』
「トニー!しっかりして!トニーったら!!」

泣き叫ぶペッパーの声を聴きながら、トニーの意識は遠のき始めた。

息ができない…。
このまま…死ぬのか?
よかった…最期にペッパーの顔が見れた…。
ペッパー……。

ペッパーの服をギュッと握ったトニーはそのまま意識を失った。

*****
この1ヶ月の無理が祟ったのだろう。相当なストレスと過労のため、トニーの胃には大きな穴があいており、出血も多かったためすぐに手術が行われた。
「かなり無理されていたようですね…。しばらく安静が必要です」
そうペッパーに告げた医師は絶対安静を言い渡すと部屋を後にした。
「無理しちゃダメって言ったのに…。ゆっくり休んでね…」
いびきをかいて眠るトニーの手をそっと握ると、ペッパーは少し痩せた頬にキスを落とした。

*****
よほど疲れていたのだろう。トニーは丸二日、目覚めることなく眠り続けた。
今のトニーに必要なのは休養だわ。来週には退院できると言われたけど、その後どこかゆっくりできる所で休暇を過ごしてもいいわよね…。どこがいいかしら…。
トニーの手を撫でながらペッパーが二人で過ごす休暇について考えていると、トニーの指が動いた。
「トニー?気がついた?」
声をかけるが相変わらず目は閉じたまま。だが、ペッパーの手に触れた指先が何かを伝えるように動いていた。

え?
今、「ペッパー」って??

リズミカルに動く指は、確かに『ペッパー』という文字を伝えてきた。
「トニー?私はここにいるわよ?」
手を握りしめ呼びかけると、トニーの指はさらに動き続けた。
「『愛してる』?…トニー…私も愛してるわ…」

握りしめた手に口づけすると、薄っすらと開いたトニーの目がペッパーの姿を捉えた。
「おはよう、トニー。気分はどう?」
「…あまりよくはないが…。君の姿を見たら…少しはよくなった…」
大きな欠伸をしたトニーは、ペッパーの目をじっと見つめた。
「心配かけてすまなかった」
「すごく心配したんだからね。お願いだから、無茶しないで…」
トニーはペッパーの頬に零れ落ちた涙をそっと拭き取ると、繋いだ手を握り直し指を絡めた。
「分かった…。心配かけたし…身体を張って埋め合わせするよ…」
「あら?前も言ったでしょ?『物にして』って」
クスっとおかしそうに笑ったペッパーは、トニーの唇に音を立ててキスを落とした。
「あなたが目を覚ましたこと、みんなに連絡してくるわ。みんなすごく心配してたから…。それと…」
手を離し椅子から立ち上がったペッパーにトニーが声をかけた。
「ペッパー、頼みがある…」
「あら?何?チーズバーガーが食べたいとか言わないでよ?」
さすがのトニーもペッパーの言葉には苦笑した。
「いくら私でも、そんなことは言わないさ…。休暇が欲しい。1週間ばかり。スケジュールを…」
「あら、偶然ね。私もね、休暇が欲しいと思ってたのよ」
「それは都合がいい。しばらく入院だろ?ゆっくり計画を練れるな…」
楽しそうに笑ったペッパーは、トニーにウインクすると電話を掛けるため部屋を出て行った。

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【以前掲載し冊子にして一度下げていたんですが、加筆修正したので掲載します。
テーマは「珍しく仕事をした社長がぶっ倒れて、二人きりのイチャつくだけの休暇を過ごす」です。】

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