ペッパーが死んだ。
私と小さな娘を残して…。
トニーはペッパーの眠る墓に来ていた。まだ目もよく見えないであろう娘は、トニーの腕の中でぐっすりと眠っている。ペッパーは命を懸けて娘を産んだ。そして、その顔を見ることもなく、そのまま永遠の眠りについた。
『トニー……愛してる…』
ペッパーの最期の言葉、それはトニーの胸の奥深くに刻み込まれた。その時のことを思い出したトニーの目から小さな涙が零れ落ちた。
たくさんの花が飾られた真新しい墓標に近づいたトニーは、まだ眠っている娘を抱き直した。
「ペッパー…。この子は…君にそっくりだ…。君が命懸けで産んでくれた私たちの大切な娘だ…。ヴァージニア・マリア・スタークだ。いい名前だろ?君の名前をもらった。この子の中に君は生きているんだから…」
頬を伝わる涙を拭ったトニーは、娘の小さな手を取ると墓標に触れた。
「ペッパー…。この子は…ジニーのことは、世界一大切に育てる。君がしてやれなかった分まで…。だから、待っててくれ。見守っていてくれ…。私が君のそばに行く日まで…」
墓標に刻まれた名前にキスをしたトニーは立ち上がると、ハッピーの待つ車へと向かった。
***
『ジニー、お前は本当にママにそっくりだな』
パパはいつもそう言うけど、私はママの記憶がない。ママは私を産んだ時に死んでしまったから。でも、パパやパパの友達のハッピーおじさんやローディおじさんたちは、私が小さい時からいつもママの話を聞かせてくれた。眠れない時にはジャーヴィスがママのビデオを見せてくれた。だから、ママに触れることはできないけど、私のそばにはママがいつもいてくれたし、私はママが大好きだった。
ママはいないけど、その分パパは私にありったけの愛をいつもくれた。
パパには感謝してる。仕事をしながら、そしてアイアンマンとして戦いながら、28年間、男手一つで私のことを育ててくれた。私がさみしくないように、ママがいなくても辛い思いをしないように…。パパは苦手だった掃除に洗濯、料理を一生懸命覚えたと、いろんな人が教えてくれた。それでも私が小さい時は大変だったらしく、パパは再婚するように何度も勧められた。でも、パパは頑なに断っていた。妻はママ…ペッパーだけだからと。
ママの記憶はないけれど、パパとママは私の理想。どんなに離れていても、何があっても愛し合うパパとママみたいな夫婦になろうと、私はうんと小さい時から決めていた。
そしてついに私も巡り合えた。パパみたいに素敵な人と…。
「パパ…今までありがとう…」
まだ式が始まる前なのに、涙が止まらない。泣いてばかりの私は、さっきからメイクを直されてばかりだ。
「おい、泣くな。美人が台無しだ」
鼻の頭をこすったパパは、私の頭を撫でると、優しい瞳をした。
「懐かしいな…」
そう、私のウェディングドレスはママが着ていたもの。どうしてもこのドレスを着たかったの。きっとママも何処かで見てくれてるわよね。
そう言うとパパは嬉しそうに頷いた。
「あぁ、ママも喜んでいるよ」
そして私は大切な人と夫婦になった。
でも、パパのことが心配で、マリブのパパの家に一緒に住もうと思っていたし、彼も賛成してくれていたからそうするつもりだったけど、パパは大笑いして言ったの。
「やっとお前が嫁に行ったんだぞ?これからはパパは好きなことをして暮らすんだ。だから一人で大丈夫だ」
そう言っていたパパだけど、私がお嫁に行ってから、パパは一気に老け込んでしまった。肩の荷が降りたからだとパパは言うけれど、ママに会いたいとパパはしきりに言うようになった。
せめて孫の顔を見てからにしてよと、からかうように言うと、パパはそれなら早くしてくれと笑った。
パパは私の結婚が決まると、CEOの座を私に譲り、自分は会長となった。まだ未熟な私を一人にしてはおけないからとパパは言っていたけど、心細かった私にとってはすごくありがたかった。パパと一緒に出勤して、困った時はパパがいると思えば、私はどんなことでも乗り越えられた。それでも月日が経つうちに、仕事にも慣れてきた私は、結婚後彼のサポートも受けながらだけど、パパから一人前になったと太鼓判を押される程に成長していた。それと同時に、パパは一線を退くかのように、あまり会社にも出てこなくなった。
結婚して1年経ったある日。それはもうすぐママの命日という日だった。
昨晩、パパから久しぶりに会社に行くと連絡を受けていた私は、たまには親子二人でランチでも食べに行こうとパパの到着を今か今かと待ちわびていた。でも、パパはお昼近くになっても姿を見せなかった。
今までこんなことはなかった。いささか不安になった私はパパの携帯に電話をかけたけど、何度鳴らしても繋がらない。
パパの秘書に尋ねると、今日は休むと連絡があったと言われ、私はマリブの家に向かった。
「パパ?」
でも、リビングにもラボにもパパの姿はなかった。
「ジャーヴィス、パパは?」
この家…ううん、パパの全てを司っているジャーヴィス。いつもはすぐさま返答があるのに、いつまで経ってもジャーヴィスの声は聞こえなかった。
ジャーヴィスだけではない、この家は時が止まったように静かだった。
嫌な予感がした。
「まさか…」
こういう時の勘って嫌なんだけどよく当たるのよね…。
私は車に飛び乗るとあの場所へと向かった。
ここ数日、息苦しくてたまらなかった。そして今朝、起き上がれない程の目眩と動悸、そして息切れに、トニーはとうとうその時が来たのだと悟った。
ふらつく身体を奮い起こし、最後の後始末をしたトニーは、這うようにしてペッパーの眠る場所へと向かった。
彼女が好きだったバラの花束を置くと、トニーは墓標を抱きかかえるように座り込んだ。
「ジニーは…大丈夫だ。あの子を守ってくれる男に託したから…。ペッパー……もういいだろ?…君の…そばにいたいんだ…。君に会いたい…。心配するな……全て…片付けてきた…。だから………」
大きく息を吐いたトニーが目を閉じると、懐かしい感触が頬を触れた。
そっと目を開くと、隣には会いたくてたまらなかったペッパーがいた。
「トニー……ご苦労様…」
離れ離れになった頃のように美しいペッパーは、にっこりと微笑むとトニーを抱きしめた。
あの頃と変わらず温かくそして優しい温もりにトニーは心がすっと晴れ渡った気がした。
それはこの28年間、心のどこかでずっと求めていたものだった。
「ペッパー……やっと…君と……会えた………」
にっこりと微笑んだトニーは、目を閉じた。
ママの眠るお墓に向かうと、そこにパパはいた。ママの墓標に寄りかかるように座り込んだパパは、目を閉じていた。
「パパ、やっぱりここだったのね。探したんだから」
昔からママのことが恋しくなったり、私と喧嘩すると、パパは一人でよくここへ来ていた。私が迎えに行くと『ママと二人で話をしていたんだ。邪魔するな』とわざとらしく頬を膨らませていたパパだけど、今日のパパは何も言わなかった。
明らかに様子がおかしい。そう思った私はパパのそばに座ると、背中に触れた。その瞬間、パパの身体がグラっと揺れ力なく私の方へ倒れてきた。
「パパ……?」
パパは眠るように息を引き取っていた。
ここへ来る途中、何となく予感はしていた。パパはママのそばで最期を迎えたかったんだって。パパの心にはずっとママが生き続けてたんだから…。
「パパ、ママと会えた?」
目から零れ落ちた大粒の涙が、パパの冷たくなった顔に降り注いだ。
その時、私には見えたの。パパとママが手を繋いで遠い空の向こうに歩いて行くのが…。
パパ、心配しないで。私は彼と一緒に頑張るから。ママが命がけでくれた命と、パパがママの分までたくさんくれた愛情と勇気が私にはあるんだから。だから、何も心配しなくていいからね。ママと二人っきりでゆっくりしてね…。
連絡を受けた彼や社員が駆けつけるまで、私はいつまでもパパを抱きしめていた…。