A Little Help

「パパのおひげって、かっこいいね」
ある朝のこと。バスルームの鏡の前で髭を整えているトニーを、足元で歯を磨いている愛娘が目を輝かせて見上げた。
「えすともパパみたいなおひげできる?」
小首を傾げたその仕草は母親そっくりで、トニーは頬が緩むのを感じた。
「エストは女の子だから、パパみたいなお髭は生えないんだよ」
大好きな父親にはあって自分にはないと知ったエストは、頬を膨らませた。
「えー、つまんないの」
可愛らしいその仕草に苦笑したトニー。だが…
「パパ!えすとがやってあげる!」
「えっ……」
さすがのトニーもこの言葉には凍りついた。
「おねがい!パパ…すこしだけ…ね?」
どこで見たのか、しなをつくりにじり寄るその仕草は、おねだりするペッパーと同じで…。カワイイ娘ににじり寄られたトニーは、気がつくと首を縦に振っていた。

(動かさなかったら大丈夫だろう…)
カバーを付けスイッチを入れずにシェーバーをエストに手渡したトニーは、しゃがみ込むと右の頬をエストに向けた。
「さあ、エスト。上手にできるかな?」
憧れの髭剃り。満面の笑みを浮かべたエストは、手渡されたシェーバーをトニーの頬に当てると、ウイーンと口真似して動かし始めた。
動かないシェーバーにエストは不満顔。いつも父親がやっているのとは違うと口を尖らせたエストは、カバーを外すと横に付いているスイッチに気づき小さな指でそれを押した。

次の瞬間、トニー・スタークに悲劇が襲いかかった。

「うわぁぁぁぁ!!!!!!」

バスルームからトニーの絶叫が聞こえ、キッチンで朝食の準備をしていたペッパーは飛び上がった。
「ど、どうしたの!!」
慌ててバスルームへ向かうと、トニーが顔を押さ床にうずくまっている。そしてその横では、エストが呆然とたたずんでいるではないか。
「と、トニー?何かあったの?」
横にしゃがみこんだペッパーは、トニーの背中をそっと撫でた。
「…ペッパー………」
涙声で妻の名前を呟いたトニーが、顔を上げると…自慢の髭は右半分がものの見事に姿を消しているではないか。
思わず噴き出しそうになったペッパーだが、泣き出しそうになっているトニーに気づき、慌てて笑いを堪えた。
「ど、どうしたの?」
何が起こったかは何となく理解できたが念のため聞いてみると、トニーは恨めしそうな顔をしてため息を付いた。
「やられた…。カバーを付けてスイッチも押さずに渡したんだが…」
涙目になっているトニーだったが、子供のやったこと…しかもスイッチを切っていたとは言え、こうなることはある程度予想できたにも関わらず渡したのは自分なのだから、いつまでも嘆いていても仕方ないと思ったのだろう。苦笑しながら立ち上がると鏡を覗いた。
俯いたまま両親の会話を聞いていたエストだが、とんでもないことをしてしまったと気づいた彼女は、声をあげて泣き始めた。
「パパ…ごめんちゃい…。えすとが…パパのおひげ、きれいにするっていったから…」
自分の責任でもあるわけだから怒るに怒れないトニーは、娘に目線を合わせると頭を撫でた。
「エスト、大丈夫だ。またすぐに生えてくるから…」
父親の髭が元通りになると知ったエストは泣き止むと、涙で濡れた瞳をトニーに向けた。
「ほんと?パパのおひげ、またでてくる?」
「あぁ。だから、泣くな。でも、もう二度としたらダメだぞ?」
「うん…パパ、ごめんちゃい…」
ぎゅっと抱きついてきた娘の背中をさすったトニーに、彼の今日の予定を思い出したペッパーが尋ねた。
「ところで、どうするの?今日はこれから会議でしょ?」
まさかこんな中途半端な状態で人前に出るわけにはいかない。
「仕方ない…全部剃るか…」
ため息をついたトニーは、シェーバーのスイッチを押した。だが、不運なことにスイッチが入らない。
「おい、待て。壊れたと言うなよ?!」
カチカチとスイッチを押すも、シェーバーはうんともすんとも言わない。
「どうしてこんな時に壊れるんだ?!」
頭を抱えたトニーに、ペッパーは棚の中をあちこち探しながら尋ねた。
「予備の、ないの?」
「…ない…」
意外と物持ちの良いトニーは、気に入った物はずっと使い続けるため、予備までは買っていなかったということだ。力なく肩を落としたトニーは、棚に置いてある剃刀を手に取った。
「これで剃るよ…」
剃刀を見たペッパーの目が光った。
「私がやってあげるわ!」
「は?」
なぜか嬉しそうなペッパーに、トニーは眉をひそめた。
「私ね、得意なの」
トニーの手から剃刀を奪い取ったペッパーは、棚からシェービングクリームを取り出した。
「今まで得意という話は聞いたことないぞ?」
「あら?昔してあげなかった?」
ペッパーは誰の話をしてるんだ?と眉間に皺を寄せたトニーは不機嫌そうに唸った。
「…知らん」
「あ…ごめんなさい、あれは昔付き合ってた彼だったわ」
「………」
あっけらかんと答えるペッパーにトニーは何も言えなかった。
眉間の皺はますます深くなっていく。当たり前だ。最愛の妻が昔の話とは言え、他のオトコの髭を剃っていたのだから…。
トニーの機嫌がどんどん悪くなっていくのに気付いたペッパーは、彼の手を引っ張った。
「ほ、ほら!リビングでしてあげるわ!」

リビングへ向かうと、ペッパーはトニーを椅子に座らせ、なぜか膝の上に座った。
シェービングクリームをトニーの顎に塗ったペッパーは、鋭い剃刀の刃をそっとあてがった。ジョリっという音と共に、無残に残った髭が綺麗になくなっていく。
「うまいじゃないか」
自分でするよりも心地よい感触にトニーは目を閉じた。
「ふふ…そうでしょ?今度からあなたの髭剃りは、私の仕事にしようかしら?」
何となく甘い空気が漂い始めたリビング。二人のそばでその光景を見つめているエストもニヤニヤとしている。

ほぼ剃り終わり、まだらに残った顎下の髭を剃ろうとペッパーが刃先をあてがったその時。
「あっ!」
というペッパーの小さい悲鳴と同時に、トニーの顔にチリっとした痛みが走った。
「おい!ペッパー!」
思わず叫んだトニーにペッパーはペロッと舌を出した。
「ごめんなさい!切れちゃったわ…」
(切れちゃったわ…じゃないだろ…)
そんなに可愛らしく言われても…と、盛大にため息を付くトニーの顎をタオルで押さえると、ペッパーはションボリと俯いた。その姿はまるでエストそのもので、日頃から『エストはあなたに似てるのよ』と言われ続けているトニーだが、こういうところはきちんと母親から娘に受け継がれているんだと、トニーは妙に納得してしまった。
「そんなに深い傷じゃないんだろ?」
俯いたままの妻の顎を持ち上げ優しい言葉をかけると、ペッパーの表情は明るさを取り戻した。
「えぇ…。エスト?バンドエイド持ってきてくれる?」
「うん!」
母親の笑顔にニッコリと笑ったエストは、リビングを出て行った。

しばらくして戻ってきたエストは、
「はい!パパ!」
と、手に持っていた箱から一枚のバンドエイドを取り出した。それは、アベンジャーズのイラストが描かれたもので、エストのお気に入りのバンドエイドなのだが……。
「…せめてアイアンマンのにしてくれ」
ため息をついたトニーは、恨めしそうにそのバンドエイド…キャプテン・アメリカのイラスト入りのバンドエイドを見つめた。昨日幼稚園で転んで擦りむいたエストの膝にはアイアンマンのバンドエイドが貼ってある。父親の視線に気付いたエストは、箱を背後にサッと隠した。
「ダメ!あいあんまんは、えすとのなの!」
(私はアイアンマンだぞ?!それなのに、キャプテンを貼れだと?!)
こういうところは大人気ないと言うべきか、トニーはムキになって反論し始めた。
「パパはアイアンマンだぞ?キャプテンのではなくてアイアンマンのがいい!」
「ダメ!はゆくとそーのもあげるから!あいあんまんはえすとのなの!」
言い合いをする二人を横目にバスルームへ向かったペッパーは、救急箱を片手に戻ってきた
「ねぇ、トニー。普通のバンドエイドという選択肢はないの?」
呆れ顔の妻に言われトニーは気がついた。普通のバンドエイドの方が目立たないということに…。
「……そうだな…。出してくれ」

救急箱をゴソゴソと探っていたペッパーだが…
「トニー、非常に残念なお知らせだけど…バンドエイドがないわ」
「何だと?!」
口をあんぐり開けたままのトニーに追い打ちをかけるようにペッパーは言葉を続けた。
「この間、あなたが怪我して戻って来た時に、全部使っちゃったみたい。補充するの忘れてたわ」
ないと言われれば仕方ない。がっくりと肩を落としたトニーは、エストがくれたキャプテン・アメリカのバンドエイドをペッパーに差し出した。
「…これでいい」

顎下にバンドエイドを貼ったペッパーは、トニーの頬を撫でた。
「髭のないあなたって新鮮ね。初めて見たかも…」
「そうか?」
そういえば、ペッパーと出会った頃にはすでに髭を生やしていた気がする。それ以来、全て剃ったことはなかったか…。
「えぇ…こうしてもチクチクしないわ…」
頬に唇を這わせたペッパーは、徐々に移動させると、唇を重ね合わせた。ペッパーの頭を抱えたトニーは舌を絡めるような甘いキスをし始めた。
しばらくお互いの唇の感触を味わっていた二人の頭上から妙に冷静な声が響き渡った。
『トニー様、お取り込みのところ申し訳ありませんが、そろそろお時間です』

「いってらっしゃい」
玄関先で妻と娘に見送られたトニーは、朝からペッパーと濃厚なキスが出来たこともあって、意気揚々と会社に向かった。
「ねぇ、ママ。おひげがないパパって、よそのおじちゃんみたいだね。パパってみんなわかるかなぁ?」
エストの言うとおり、髭のないトニーは別人のようだった。いつもよりも若く見えるし、それに本人に言うと怒るかもしれないので言わなかったが、どこか可愛らしいのだ。
「そうねぇ…大丈夫だと思うけど…」
まさか気付かれないということはないだろうが、おそらく突然髭を剃り落とした理由は聞かれるわね…。
(トニーのことだから、聞かれても適当にあしらうだろうけど…)
気にしてても仕方ない。
「エスト、朝ごはん食べましょう?」
娘の手を引くとペッパーはキッチンへと向かった。
(そういえば、朝から大騒動だったから、忘れてたけど…。トニーったら朝ごはん食べてないわ…)

***

『トニー・スタークに髭がない!』
トニーが会社に到着すると、社内は大騒ぎになった。もう20年以上髭を生やしているトニーだから、社員の中ではトニー=髭というイメージしかないのだ。
会議の間中も、社員たちはずっとこそこそと話をしている。
いっそのこと『なぜトニー・スタークに髭がないのか』を議題にして方がいいのではないかと思うほど、皆がその話題で持ち切りだった。だが、誰も怖くて聞けなかった。どうして一夜にして髭がきれいさっぱりなくなっているのかは…。

だが、一人の強者がついに沈黙を破ったのだ。
「あのー社長…。どうされたんですか?急に髭が…」
ジロっと発言者を睨んだトニーだが、まさか本当のことを言うわけにもいかない。いつもの癖で髭を撫でようとしたトニーだが、その髭がないのを思い出し、手で髪を撫でつけた。
「…イメージチェンジだ…」
イメージチェンジにせよ、自慢の髭をきれいさっぱり剃るだろうか…その場にいた全員が思ったが、そんなことは言えず、室内に微妙な空気が漂い始めた。
そして顎下に張られたキャプテン・アメリカのバンドエイドにみんな気付いていたが、誰もそれについては触れることはできなかった。

***

帰宅しようとしたトニーの元にスティーブからアッセンブルコールが掛ってきた。
今行けば、絶対に髭についていろいろ言われるに違いない。特にあの暗殺者カップルに…。
(…行きたくないとは言えない…髭が生えそろうまで仮病を使うか?)
そんな子供じみたことはできるはずはない。
(そうだ!アーマーを脱がなければばれないぞ!)
いいことを思いついたとクソほほ笑んだトニーはいそいそとアーマーを着て現場へ向かった。

***

仕事を片付け本部へ戻ってきたアベンジャーズの面々。
いつもなら真っ先にアーマーやヘルメットを取るトニーなのに、今日はいつまでたっても脱ごうとしない。
「スターク、どうしたんだ?脱がないのか?」
「いや、いい」
「せっかく美味いジュースがあるのに。飲まないのか?」
「後でもらう」
みんなくつろぐ中で一人だけアーマーを見にまとっているトニー。
ハッキリ言って、おかしい。くつろぐものもくつろげない…。
(キャプテン…どうにかしろよ!)
(い、いやだ!)
(無理やり脱がせたら?)
(そんなこと、あのスタークにできると思うか?!)
(それは、ほら。クリントの出番よ!)
(また俺に押し付けるのか!)
こそこそと話す会話は丸聞こえで、段々と居心地の悪くなってきたトニーは立ち上がった。
「私は帰る。またな」
いそいそと立ち去ったトニーだが、残されたメンバーはどうしてトニーが顔を見せないのか結局分からないままだった。

(よし!隠し通せたぞ!)
と、思っていたトニーだったが…翌朝『トニー・スタークに何があった?』という記事と写真がゴシップ紙の一面を飾り、結局のところアベンジャーズのメンバーどころか全世界の人に知れ渡ることとなったのだった。

***
いつまで経っても子供みたいな社長であって欲しいです(笑)

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