I Want to Protect You.

「ねぇ…トニー…」
愛し合った後、腕の中のペッパーに呼ばれ、トニーは閉じていた目を開けた。
「どうしたんだ?」
上目遣いで自分を見上げるペッパー。明かりを落とした室内で、リアクターの光に照らされたその横顔は驚くほど妖艶で、トニーはドキっとした。
「あのね…。お願いがあるの…」
顔を赤らめもじもじとするペッパー。続きを促すように瞳を捉えると、意を決したようにペッパーも見つめ返してきた。
「あのね…あなたの赤ちゃんが欲しいの…」
その言葉にトニーは息を飲んだ。
「ペッパー…」

具体的に話し合ったことはない。だが、いつかは欲しいと思っていた。プロポーズもし、将来を共に歩む約束をしたばかり。恋人になった頃は、それまでの年月の思いを埋めるかのように二人きりでいたいため…そしてまだ親になる準備ができていなかったが…。

しばらくペッパーをじっと見つめていたトニーだが、すぐにその顔には笑みが広がった。音をたてて唇を奪ったトニーは、ペッパーの背中に指を這わせるとニヤリと笑った。
「何だ。君もか。私も見てみたいんだ。スタークJr.が足元を走る姿を…。そうと決まったら、一大プロジェクトだ。早速準備をしないと…。薬は?」
ペッパーはトニーと付き合い始めてから避妊薬を飲み続けているのだが、そのことを言われたペッパーはトニーと同じようにニヤッと笑った。
「今日は飲んでないの」
「それはちょうどいい…」

恥ずかしそうに目を伏せたペッパーの額にキスを落としたトニーは、再び柔らかな身体を組み敷いた。

***
一ヶ月後。
あの夜から…と言うよりも今までもそうだったのだが…毎日、それも日夜問わずトニーに抱かれているペッパー。
トニーもいろいろ調べているのか、カフェイン入りのコーヒーは飲むな、酒は飲むな、ビタミンを取れ、ストレスは厳禁だ…と、ペッパーの動向をいちいち気にしており、そして自分も願掛けだと言いながら大好きなチーズバーガーの代わりに、あまり好きではないのに野菜など健康に良い物をやたらと食べ、『万全の準備を整えて』臨んでいた。

ある朝、気分が悪いと何も食べないペッパーに気づいたトニー。大きな目をさらに見開いて顔を輝かせた。
「おい、ペッパー、もしかして…」
期待に満ちたトニーの顔を見たペッパーは大きく息を吐いた。
「…ちょっと遅れてるの…。トニー、まだ分からないわよ。きちんと調べないと…」
「では、調べて…」
トニーの言葉を遮るように、ジャーヴィスの声がキッチンに響き渡った。
「トニー様、フューリー様からご連絡がありました。すぐに来て欲しいとのことです」
食べかけのフルーツを口に詰め込んだトニーは立ち上がるとペッパーを抱きしめた。
「残念。呼び出しだ。帰ってからでもいいか?」
「えぇ。私も会社に行かないといけないから…」
「気をつけてな…」
「いってらっしゃい、トニー。早く帰ってきてね」
ペッパーの唇に優しくキスをおとしたトニーは、ラボへと降りて行った。

***
それから数時間後…。
敵も倒し、トニーはアベンジャーズのメンバーと共にS.H.I.E.L.D.の本部にいた。
顔に出来た傷にバンドエイドを貼ったトニーは、仲間が談笑するのを横目で見ながら、テーブルの隅でペッパーにメールを送っていた。
だが、いつもならすぐに来る返事が来ず、そればかりか一向に音沙汰がない。
(会議中か?それにしても最初のメールからもう何時間も経っている…。何かあったのか?)
不安になったトニーが電話をかけようとしたその時、見知らぬ番号から電話がかかって来た。
通話ボタンを押すと、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「トニーか?久しぶりだな。私だよ、私。君の友達のジャスティン・ハマーだよ」
「ハマーだと?!」
大声を出したトニーに部屋にいた皆が振り返った。それもそのはず、ハマーはまだ刑務所にいるはずなのだ。
「おい、確認を取れ!」
フューリーが指示を出すのを横目で見ながら、トニーは冷たく言い放った。
「何の用だ?」
トニーがハマーに冷たいのはいつものこと。気にする風でもなく、ハマーは嘲り笑うかのように言葉を続けた。
「おいおい、冷たいな。久しぶりなんだぞ?少しは喜んでくれ。実は、君をパーティーに招待しようと思ってね。楽しいパーティーに…。招待状を送る。5分後にまた電話する」
一方的に電話を切ったハマー。トニーが携帯を見つめていると、程なくしてメールが届いた。

メールを見たトニーは顔色を変えた。
「スターク?」
言葉…いや、息をするのも忘れてしまったのでは…と思うくらいに立ちすくんだトニーに、スティーブが声を掛けた。その声で我に返ったトニーは携帯を差し出した。
メールには画像が添付されており、そこに写っていたのは、血で汚れたジャケットと髪の毛の束。
「誰のだ?」
真っ青な顔をしたトニーは答えない。トニーの様子から、携帯の画面を覗き込んだ面々は、それが誰の物か瞬時に理解した。
「おい!スターク!しっかりしろ!!」
微動だにしないトニーの肩をスティーブが揺さぶった。スティーブの顔を鋭い眼光で見つめたトニーは震える声でつぶやいた。
「ペッパーだ…」
歯を食いしばったトニーは手をギュッと握りしめた。掌に食い込んだ爪が皮膚を傷つけ、ポタポタと血が流れ落ちた。

怒りで顔を真っ赤にしたトニーは座っていた椅子を蹴り飛ばした。
「あの野郎!」
静まり返った部屋にガシャン!という鋭い音が響き渡った。その音を破るようにトニーの携帯が鳴り始めた。
「スピーカーに回せ!」
指示を出すフューリーの怒鳴り声。それに合わせS.H.I.E.L.D.のエージェントの動きも慌ただしくなった。
フューリーが合図を出すと同時にトニーは通話ボタンを押した。
「トニー、返事を…」
ハマーの声を遮るように、トニーは声を荒げた。
「どこにいるんだ!ペッパーに指一本でも触れてみろ!殺してやる!」
ウロウロと部屋を歩き回るトニーを嘲り笑うかのようにハマーは言葉を続けた。
「30分後に5番街の倉庫に来い。そうそう、一人で来いよ。仲間は連れてくるなよ」
通話が切られると同時に、室内がバタバタと動き始めた。
「よし、まずは作戦を…」
スティーブやクリントたちも立ち上がったが、いち早く動き始めたトニーは部屋の出口に向かっていた。
「おい!スターク!」
ブルースが声を掛けるが、すっかり冷静さを失っているトニーはイライラと皆を怒鳴りつけた。
「早く行くぞ!早くしないと、ペッパーが!」
「スターク、お前はここにいろ!ミス・ポッツは必ず救い出す!」
クリントがトニーの腕を引っ張り椅子に座らせようとするが、
「ダメだ!私が行かなければ!」
トニーは身体を捩り椅子から立ち上がった。

「スターク!今のお前は冷静さを失っている!来てもかえって迷惑だ!」
フューリーに言われ、トニーは大人しくなった。
椅子に座ったトニーは頭を抱えると、涙が零れ落ちそうな目を隠すように顔伏せた。その肩は小さく震えており、初めて見るトニーの姿に誰もが声を掛けることをためらった。

「スターク、大丈夫よ…。ペッパーは、必ず助け出すわ。待ってて…」
肩をポンと叩いたナターシャにトニーは無言で頷いた。

バタバタと皆が出て行き、室内は静寂が訪れた。
他にもエージェントがいるのだが、誰もトニーに声を掛けることはできなかった。
(頼む…。ペッパーは…もしかしたら…)
祈るように携帯を握りしめたトニー。震えるその背中はひどく小さく見え、いつも自信過剰なトニー・スタークの姿はそこにはなかった。

三十分ほどたった頃、トニーの電話が再び鳴り始めた。
先ほどとは別の番号。通話ボタンを押したトニーは無言で電話に出た。
「おい、トニー。なぜ座っているんだ?」
耳に入るはハマーの声。思わず辺りを見回したトニーの耳に、ハマーの笑い声が響いた。
「見ているぞ、お前のことは…。仲間に言われたか?お前は残れと。いいのか?お前の大事な女がどうなっても…」
真っ青になったトニーは言葉を発することすらできず黙ったままだ。
「一人で来い。今度こそ。場所は…」

電話を切り立ち上がったトニーに、見張り役を仰せつかっているコールソンが声を掛けた。
「スターク、どこへ行くんだ?」
一瞬の間の後、トニーは笑顔を張り付けコールソンの方に向いた。
「トイレだ。頼むからトイレにまで一緒に行くと言うなよ」
笑いながらコールソンの胸元を叩いたトニーだが、その顔は引きつっている。何かを感じ取ったコールソンだが、何も言えず部屋を立ち去るトニーを見送った。

二十分たってもトニーは戻って来ない。
(おかしい…まさか…)
慌ててトニーの荷物…アーマーの収納庫へ向かうが、もぬけの殻。
「しまった…」
舌打ちしたコールソンは、スティーブたちに連絡を取ろうとポケットを探った。そこでコールソンは気付いた。ポケットの中にはメモが入っていることに…。

***
指定された場所に到着したトニー。
「ジャーヴィス、ペッパーはどこだ?」
『二階の三つ目の部屋に反応があります』
「敵の数は?」
『それが、トニー様。反応がありません。もしかしたらセンサーを邪魔する何かが…』
「分かった。何かあればすぐに知らせろ」
センサーに反応しないとなると、自分の感覚だけが頼りだ。トニーは警戒しながらもゆっくりと二階へ向かった。

ジャーヴィスが示した部屋に入ると中央にはペッパーがいた。
目隠しをされ、手足をロープで縛られたペッパー。頬は真っ赤に腫れ、そしてトニーが好きな長く美しい髪は無残にも切られていた。

マスクをあげそっと呼びかける。
「ペッパー…」
トニーの声にペッパーは顔をあげた。
「トニー…」
辺りを警戒しながらも急いで駆け寄ったトニーがロープと目隠しを取り払うと、ペッパーは大粒の涙を零しながら抱きついてきた。
「もう大丈夫だ…。ペッパー…大丈夫だから…」
「トニー…怖かった…」
ギュッと抱きついてきたペッパー。震える背中をそっと撫でたトニーだが、いつ敵が現れるかは分からない。
「帰るぞ」
ペッパーを立ち上がらせると支えるように入口へ向かった。
その時…
「感動の再会はそこまでだ」
室内が明るくなり、トニーは初めて気が付いた。自分たちの周りにはハマー社のドローンが何十体もいることに…。
部屋の中央がスポットライトで照らされ、ステップを踏みながらハマーが姿を現した。
「トニー、遅かったな。約束通り一人で来たようだな。だが、生きてここを出られるとでも思っているのか?ん?」
ペッパーを守るように背後に隠したトニー。それを見たハマーはにやりと笑うと手をあげた。ハマーの合図と共に、ドローンが一斉に銃口をトニーに向けた。
「撃て!」
ペッパーを守るように身をかがめたトニー。強固なアーマーといえども、雨のように銃弾を浴び、アーマーには無数の穴があき始めた。アーマーは破壊され、放たれた銃弾の幾つかはトニーの身体を傷つけていった。
全身に広がる痛み。膝をついたトニーは苦しそうに息をした。

五分ほどたった頃、
「やめ!」
ハマーが手をあげると、ドローンは銃口を下げた。
笑いながら二人に近寄るハマー。うずくまったまま動けないトニーを足で蹴ると、ペッパーの手を掴むと立ち上がらせた。嫌がるペッパーの腕を引っ張り、ハマーは部屋の中央へ移動した。
「トニー。お前には金も会社もそして極上の女もいる。だが、私を見ろ。お前とこの女のせいで、何もかも失った。お前にもこの苦しみを味合わせてやる!」

「ぺ、ペッパーを離せ、頼む…」
ヨロヨロと立ち上がったトニー。痛みのため意識は朦朧とし始め、足元がふらついた。そんなトニーをハマーは鼻で笑うと、大げさにため息を付いた。
「おいおい、トニー。話を聞いていたか?そう簡単にはいかないぞ。そうだな。まずはアーマーを脱げよ。話はそれからだ」
「何だと?」
思わず聞き返したトニーに、ハマーはイラついたように足を踏み鳴らした。
「早く脱げ!この女を殺すぞ!」
手に持っていた銃がペッパーの頭に突きつけられ、ペッパーの口から叫び声があがった。
「分かった!分かった…」
アーマーを脱いだトニー。
腹部や胸、腕や脚など身体のあちこちから流れ落ちる血に、ペッパーは悲鳴をあげそうになった。
「脱いだな。こっちへ来い」
ドクドクと血が止めどなく流れ落ちる脇腹を押さえ、足を引きずりながらゆっくりと二人に近づくトニー。
その距離が1mくらいになったところで、ハマーは銃口をトニーに向けた。
「よし、止まれ。ここで質問だ。トニー、お前は自分とこの女、どっちが大切だ?」
「どう言うことだ…」
トニーとペッパー、交互に銃口を向けたハマーは言葉を続けた。
「どちらか選べ。お前かこの女、一人だけ助けてやる。五秒やるか…」
ハマーの言葉を黙って聞いていたトニーだったが、フッと笑うと言葉を遮った。
「五秒もいらん。ここから生きて出るのはペッパーだ。私を殺せ」
トニーの言葉にペッパーは顔を上げた。
「トニー!」
涙の零れる瞳をじっと見つめたトニーは、顔をゆがめた。
「ペッパー…いいんだ。君が無事なら…」
「でも…私…あなたがいないと…。それに…」
トニーの目から涙が一筋こぼれ落ちた。それでも無理やり笑ったトニーは、いつもにように…いや、万感の思いを込めた甘い声で囁いた。
「ペッパー…愛してる…」

二人のやり取りを見ていたハマーは銃口をトニーに向けた。
「トニー、愛とは美しいな。だが、お別れだ…」
そして、何のためらいもなく、その引き金を引いた。

「トニー!!!いやぁぁ!!!」

複数の銃声とペッパーの悲鳴が部屋に響き渡った。

***

その頃、トニーがいなくなったと連絡を受けたスティーブたちは、コールソンのポケットに残されたメモに書かれた住所へ向かっていた。
建物内に侵入すると、何発もの銃声と女性の悲鳴が聞こえてきた。
「しまった…」
声のする部屋に入ったスティーブたちの目の前に広がっていたのは…。
部屋の中央では、ハマーが銃を手に持ったまま立ちつくし、そして少し離れた所には血まみれのトニーを抱きしめ泣き叫ぶペッパーがいた。
ハマーに駆け寄ったクリントが、銃を奪い手錠をかけた。

「スターク!!」
スティーブとナターシャは、二人の元へ駆け寄った。
「すぐに救助ヘリを!スタークが撃たれた。…重傷よ」
ナターシャが電話をするのを横目に、トニーの様子を見ようとそばに跪いたスティーブだが、ペッパーはトニーを抱きしめたまま離れようとしない。

「ぺっぱー・・・」
閉じそうな目を必死に開けたトニーは、手を伸ばした。
「トニー…ここにいるわ…。大丈夫…大丈夫だから…」
ペッパーの目から零れ落ちた涙がトニーの顔を濡らしていく。
伸ばされた手をペッパーが握りしめると、トニーは彼女に向かい必死に微笑みかけた。
「なくな…ぺっぱ………あいし・・・」
言葉を切ったトニーが大きく息を吐いた。瞼がゆっくりと閉じられ、握っていた手から力が抜けた。

「トニー?」
だんだんと冷たくなっていく頬に触れたペッパーは気がついた。彼の命が自分の腕の中で尽きようとしていることに…。
「トニーったら!トニー!目を開けて!お願い!トニー……」
手を取り、冷たくなった唇に何度も何度も口づけをする。だが、トニーは何の反応も示すことがなく、ペッパーは血に染まった胸元にすがりついた。

「哀れな最期だな。トニー・スターク。女のために命を落とすなんて」
クリントに連れられ横を通ったハマーが、動かないトニーに向かって言った。
ハマーの言葉にペッパーは唇を噛み締めた。
「…許さない…」
小声でつぶやいた言葉はハマーの耳に届かず、ハマーは思わず聞き返した。
「何だ?」
ハマーを睨みつけたペッパーは立ち上がり、にじり寄った。
「許さないわ!トニーが何をしたの!返してよ!私のトニーを返して!!」
ハマーに掴みかかったペッパー。何度も何度もハマーを平手打ちするペッパーを、ナターシャが慌てて引き離した。
「クリント!早く連れて行って!」
泣き叫ぶペッパーを抱きしめたナターシャ。
「どうして…どうしてトニーが…」
ナターシャの肩に顔を埋めたペッパーは、声を押し殺して涙を流し続けた。

その隙にトニーに駆け寄ったスティーブ。首元に指を当てると、かすかに脈が触れるではないか。
「まだ生きてる!ミス・ポッツ!スタークはまだ生きてる!」
その声に顔をあげたペッパー。
「ほ、ホント?」
慌てて駆け寄ったペッパーはトニーの手を握りしめた。
「トニー、そばにいるから…お願い…頑張って…」

***
『…にー……トニー……』

自分の名前を呼ぶ声にふと目を開けたトニーは、自分が真っ白い空間に横たわっていることに気付いた。
まだボーッとする頭。靄を振り払うかのように頭を少し動かしたトニーは、たくさんの機器が自分に繋がれているのを見ると、自分がどこにいるのかようやく理解した。
(ここは…病院か?私は…助かったのか…)
定期的に送られてくる酸素を大きく吸い込むと、肺が痛みトニーは顔をしかめた。

ふと腰のあたりに重みを感じ、視線を下げると、愛する女性がベッドに顔を伏せ眠っていた。
長く流れるように美しかった髪は肩のあたりで切りそろえられており、トニーの胸がチクリと痛んだ。
点滴だらけの力の入らない右手を伸ばし、涙の跡が残る頬にそっと触れた。頭を撫でようとさらに腕を伸ばすと、全身に激痛が走り、トニーは小さく呻き声をあげた。
目をキュッと瞑り何度も深呼吸していると、トニーが一番聞きたかった声が聞こえた。
「トニー…」
ゆっくりと目を開けると、涙に濡れた澄んだ瞳がじっと自分を見つめている。
「目が覚めた?」
小声で囁いたペッパーを安心させるように、トニーは軽く頷いた。
「よかった…よかった…トニー…」
手をギュッと握りしめたペッパーの目からは、涙がポロポロと雨のように零れ落ちた。

しばらくトニーの手を握り泣いていたペッパーだが、トニーが顔を顰めているのに気づき、ナースコールを押した。
「すぐに先生がいらっしゃるわ」
トニーの手を握り直したペッパーは、熱と痛みのためだろう、脂汗をかき苦しそうに息をするトニーの額をタオルで拭った。
とろんとした目でペッパーを見つめていたトニーだが、何か言いたそうに口を動かした。
「何?」
声を絞り出すように必死で口を動かすトニー。酸素マスク越しの口元に耳を近づけると、掠れた小さな声が聞こえた。
「けが…ない…か…」
こんな時でも自分のことよりペッパーの身を案じるトニー。ニッコリと笑ったペッパーは、トニーの頬をそっとなでた。
「えぇ。あなたのおかげよ」
ペッパーに怪我はなかったと知ったトニーは、安心したように息を吐いた。だが、気がかりなのは、ハマーにより無残にも切られた自慢の髪。
「かみ…」
繋がれた手を伸ばしたトニーはペッパーの頬に触れた。その感触にペッパーはくすぐっそうに笑ったが、顔を曇らせた。

確かにショックだった。自慢だった髪。トニーも流れるように美しい髪をよく褒めてくれていた。何よりペッパーが好きだったのは、抱かれた後、トニーが自分の長い髪をくるくると弄ぶこと。髪をそっと撫で、口づけしてくれること…。
(伸びるまでは当分無理よね…でも…)

申し訳なさそうに見つめるトニーの視線に気づいたペッパーは、笑みを浮かべた。
「そうね。髪の毛…。大丈夫よ。イメージチェンジだと思えば…。でも、あなたは長い方が好きだったわね?」
小さく首を振ったトニーは、苦しい息の中、言葉を絞り出した。
「みじかい…のも…にあう…」
目をキュッと閉じたトニー。辛そうなトニーを心配しつつも、どうしてもこれだけは伝えなければ…と、ペッパーは耳元に口を近づけた。
「ホントに?ありがとう。そうそう、報告があるの…。あのね……妊娠してなかったわ…残念だけど…」
目を細めたトニーは口角をわずかにあげ、首を振った。
おそらく、『残念だが、まだチャンスはある』とでも言いたいのだろう。
「そうね、あなたが助かったうえに赤ちゃんも…って、欲張りよね…」
何か言おうと口を動かしたトニーだが、肩で大きく息をすると、再び苦しそうに顔を歪めた。
「トニー…喋らなくていいわ…」

大粒の汗をかいた額をタオルで拭っていると、医師とナースがやって来た。
目を覚ましたトニーに一言二言声をかけた医師は、手早く診察すると、鎮痛剤を点滴するよう指示を出した。

医師とナースが退室し、再び二人きりになった病室。
うっすらと開けた目でペッパーを見つめていたトニーだが、鎮痛剤が効いてきたのだろう。次第にウトウトとし始めた。
燃えるように熱い額に濡らしたタオルを置いたペッパーは、手を握りしめ囁いた。
「大丈夫…私はどこにも行かないわ…。ずっとあなたのそばにいる…。だから、少し眠って?」
その言葉にトニーは安心したように目を閉じた。
しばらく苦しそうな呻き声が聞こえていたが、程なくしてトニーは眠ったようだ。
眠るトニーを見つめたペッパーは祈った。
(神様、ありがとうございます。トニーを私の元に返してくれて…)

ハマーが酷い奴になってしまいました(滝汗)

1人がいいねと言っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。