「…ここでいいのか?」
エンジンを止めたトニーに、ジャーヴィスが神妙な声で答えた。
『こちらで間違いございません。トニー様、ご覚悟を…』
いつになく緊張しているのか、クーラーが効いているにも関わらずトニーは大汗をかいている。汗をハンカチで拭ったトニーは、サングラスを外しダッシュボードに投げると、何度も深呼吸をした。
「よ、よし!行くぞ!」
勢いよくドアを開けたトニーに、これから起こることが何となく予想できたジャーヴィスは祈るように声を掛けた。
『いってらっしゃいませ、トニー様。無事のご帰還をお祈りしております』
こぢんまりとしているが、綺麗に整えられた庭を通ると、トニーは真っ白なドアの前に立った。
(これは、これからの私の人生を左右する重大な任務だ…。いいか?いつも通り平常心…いや、礼儀正しくだ!絶対にしくじるなよ!)
ネクタイを締め、髪型を整えたトニーは、深呼吸するとドアをノックした。
「はーい。どちら様?」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、女性の声。
「す、スタークと言います。突然すみません…」
(し、しまった…変な声が出た…)
まだドアの前なのに大汗をかき始めたトニーは、ハンカチで乱暴に汗を拭った。
「スタークって…。あら?大変!!」
相手がトニーと分かったのだろう。慌しく玄関が開き現れたのは、上品な年配の女性。最愛の女性と同じ瞳に見つめられたトニーは姿勢を正した。
「は、初めまして。トニー・スタークです。今日はお話したいことがあって伺いました。突然押しかけて申し訳ありません」
そう、ここはペッパーの実家。
実は再来週に迫ったペッパーの誕生日に正式にプロポーズをしようと考えているトニーは、その前に彼女の両親に挨拶を…と思い、足を運んだのだ。ペッパーは LAに来て以来両親とは疎遠になっているため、トニーは会ったことがなかった。つまり、今日ここに来ていることも内緒なわけで…。
「娘からあなたの話は、よく聞いてるのよ?」
リビングに通されたトニーは、大きなソファの真ん中にちょこんと座った。嬉しそうにコーヒーとクッキーを出すペッパーの母親のシルヴィアとは反対に、目の前に座っている父親のテッドは仏頂面。
いつも自信満々なトニーだが、自分よりも遥かに体格の良いテッドを前に、今日ばかりは蛇に睨まれた蛙のごとく縮こまっている。
「そ、それは光栄です…」
何が光栄なのか分からないが、緊張のあまり自分でも何を言っているのか分からないトニーは、シルヴィアご自慢の紅茶を一口啜ったが、味など全く分からなかった。
黙ったままのトニーに痺れを切らせたテッドが、大きなため息を付くと口を開いた。
「で、何の用だ?」
ジロリと睨まれたトニーは、カップをそっとソーサーに戻すと姿勢を正した。
「はい。実は、ヴァージニアさんにプロポーズをしようと思っています。だがその前に、ご両親に挨拶を…と思いまして。今まで一度もご挨拶にお伺いせず、申し訳ありませんでした」
真っ直ぐにテッドを見つめるトニーの瞳には嘘偽りがなく、シルヴィアは世間の噂とは違う真面目で真摯なトニーを一目で気に入った。
(ヴァージニアの言うとおりね。これならあの子のこと、任せられるわ…)
だが、テッドはそうは思わなかった。彼は相変わらずトニーを値踏みするような視線で見ているではないか。
ゴクリと唾を飲み込んだトニーに、テッドは鼻をフンっと鳴らした。
「ハッキリ言わせてもらおう。私は君が大嫌いだ。話したくもない。帰れ」
ストレートな言葉に、さすがのトニーも口をポカンと開けたままだ。
(テッドも頑固ね…)
テッドが三人娘の中でもヴァージニアを一番心配しているのは知っている。それは彼女が大学入学と同時にLAへ家出同然で出て行ったこともあるだろうし、自分と性格が一番似ていることもあるだろう。
(トニーに限らず、きっと誰を連れて来ても難癖付けるに決まってるわ…)
「テッドったら…ねぇ、トニーの話を聞いてあげましょうよ?」
まぁまぁ…と取り持つように言ったシルヴィアに、テッドは声を荒げた。
「シルヴィア!こいつのことはよく知ってるだろ!いい加減で女たらしで…。何でも金で解決できると思ってるろくでもない男だ!ヴァージニアに飽きたら捨てるんだろ!こんな奴に大事な娘をやれるか!」
テッドの言葉にカチンときたトニーだが、昔の自分の行いのこともあり世間の評判などそんなものだろうと、深々と頭を下げ続けた。
「確かに私の評判は悪いことは分かっています。ですが、彼女と出会い、彼女と恋に落ちてから、私は生き方を変えました。ヴァージニアさんのことを愛しています。世界一愛しています。ですから、お願いします!彼女との結婚を許して下さい!」
「ダメだ!帰れ!」
立ち上がったテッドに大声で怒鳴られても、トニーは頭を下げたまま。その場から動かないトニーに腹を立てたテッドは、トニーの胸倉を掴むと、力一杯殴った。
「テッド!何してるの!トニー、大丈夫?」
慌ててトニーに駆け寄ったシルヴィアは、鼻から血を出しているトニーにタオルを渡した。殴られてもけなされても、トニーは相変わらず頭を下げたまま。
「許していただけるまでは何度でも頭を下げます。どうかお願いします」
噂とは、そしてメディアを通して見るのとは全く違うその姿に、テッドもこいつになら…と一瞬考え直した。だがやはり、大事な娘を取られるのはいい気がしない。
ジロリとトニーを睨んだテッドは、それ以上何も言わず二階へと上がって行った。
「トニー、あなたは本当に娘のことを大切に思ってくださっているのね。あの子もね、あなたのことを愛してるわ。主人は反対してるけど、私はあなたたちの味方よ」
帰り際、シルヴィアにそう言われたものの、肝心の父親に反対されたのだ。
「さすがはペッパーのご両親だな…。一筋縄ではいかないか…」
ため息をついたトニーは、真っ赤に腫れた頬を恨めしそうに押さえた。口の中が切れたのか、鉄の味がする。
『トニー様、どうされます?』
「仕方ない、出直す。だが、許しを得るまでは諦めないからな」
(さてと…この顔のことをペッパーに何と言って誤魔化そう…)
唇まで腫れ上がった顔を、シルヴィアが用意してくれた氷で冷やしながら、トニーは車を発進させたのだった。
社長は評判あまりよくなさそうなので、ペッパーの両親は嫌っているという設定です(汗)ちなみにペッパーの両親の名前は、ペッパーの中の人の過去作品からお借りしました。決して某クマからでなありません(^^;;
↓おまけ
【おまけ①】
二階の窓からテッドはシルバーのAudiが帰って行くのを眺めていた。
(あいつがヴァージニアが選んだ男か…。女たらしでいい加減な最低な男だと思っていたが、なかなか根性のあるいい男じゃないか。あいつがアイアンマンなのも分かるな…。あれなら私の可愛いヴァージニアに…)
と、物思いにふけっていたテッドだが、勢いよくドアが開き、妻が物凄い形相で飛び込んで来た。
「あなたったら!どうしてトニーを殴ったの!」
目を三角に吊り上げたシルヴィアにさすがのテッドもタジタジだ。
「…気に入らない。あいつが私の可愛い娘に手を出していると思うと…」
「だからって、思いっきり殴ることないでしょ!可哀想に…トニーったら、顔が腫れてたわよ!あんな顔で家に帰ってごらんなさい!ヴァージニアが悲しむだけじゃないの!」
娘が悲しむと聞いて、テッドは飛び上がると黙り込んでしまった。
「私はあの子たちの応援をするわよ。トニーならヴァージニアのことを守ってくれるもの…」
ブツブツと文句を言いながら部屋を出て行く妻を見送りながら、テッドはトニーを殴った拳を見つめた。
(そう言えば…あいつは逃げなかった。怒鳴られても殴られても、ただひたすら頭を下げたままだった…)
拳よりも胸がチクリと痛んだテッドは、遠ざかる車のライトをずっと見つめていたのだった。
【おまけ②】
「トニー⁈どうしたのよ、その顔!」
帰宅すると案の定、トニーを見たペッパーは顔色を変えて駆け寄ってきた。
「何でもない。ちょっといろいろあって…。大丈夫だから…」
何か言いたそうなペッパーを振り切ると、トニーはバスルームへ向かった。
バスルームの鏡を覗き込んだトニーは、自分の顔を見てひっくり返りそうになった。
さっきから右目が見えにくいと思ったら、唇は切れ右頬は目が半分塞がるほど腫れあがっている。
(これでは、ペッパーが驚くのも無理ないか…)
彼女の実家を訪問したことは秘密だ。それ故に、テッドに殴られたなんて言えるはずもない。
(だが…ペッパーの父親に会うのは命がけだな…。いや、それよりも当面の問題は……。バスルームから出たらペッパーの質問攻めに合うぞ…)
ため息をついたトニーは頭から熱いシャワーを被ったのだった。