132.下手糞

「ねぇ、パパ…相談があるの」
ラボで作業をしていたトニーは、娘の声に顔を上げた。
最近すっかり大人びた長女のエストも17歳。ますます母親に似てきた娘は、トニーに似て頭も良く、秋からハーバード大へ進学することが決まっている。
「どうしたんだ?」
こそこそと周りを伺っていたエストは、持っていたコーヒーのマグカップを父親に手渡すと、隣にちょこんと座った。
「あのね…こんなこと、ママには相談できないし、どっちかというと、パパの方が専門だと思って……その……」
真っ赤になったエストは、なかなか切り出そうとしない。
さては、オトコの話だな?
小さい頃はおませなエストだったが、誰に似たのか奥手で浮いた話は聞いたことがない。だが、そのエストについにオトコが出来たらしい。その話を妻から聞いたのはつい先日。かわいい娘にオトコが出来たと知ったトニーは卒倒しそうになったが、妻に慰められ渋々認めたのだった。だが、娘の口からはまだ何も聞いておらず、トニーはいつその話をされるのかと、内心ビクビクしていたのだった。
一向に話そうとしないエストにしびれを切らしたトニーは、足を踏み鳴らした。
「オトコでも出来たのか?」
父親に見抜かれたエストは飛び上がった。
「パパ?!何で知ってるの!!」
やはりそうか…と泣きそうになったトニーだが、そんなところを娘に見せるわけにはいかず、鼻を鳴らした。
「おい、エスト。私はお前の父親だ。それくらい分かるさ。で、どうしたんだ?分かったぞ!付き合ったが上手くいってないんだな?」
なぜか嬉しそうな父親にエストはため息をついた。
「パパ、違うわ。彼ができたのは本当よ。黙っててごめんなさい。でも、ママにもまだ話してないわ。パパに話したのが初めてよ。付き合い始めたのも一週間前だし…。上手くいってると思うわ。彼は私のことを大切にしてくれるもの。それでね、パパに相談っていうのは…その…」
エストは言葉を切ると俯いてしまった。
一瞬泣いているのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。
顔ばかりでなく耳の先まで赤くしたエストは、何度も深呼吸すると顔を上げた。
「あ、あのね!彼…キスが下手くそなの!どうしたら、パパみたいにキスが上手くなるの?」

はい?

エストは今、何と言ったんだ?
…確か…『キス』と言ったな…………。

……き、き、キスだと?!

娘の言ったことをようやく理解したトニーは、顔色を変えると机を叩き立ち上がった。
「おい!キス以上のことはまだしてないだろうな?!」
今にも相手の男の家にアーマーを着て乗り込んで行きそうな父親にしがみついたエストは、慌てて叫んだ。
「ま、まだよ!」
キス以上のことはしていないと分かり、トニーは安心したように息を吐くと、椅子に座り直した。父親が落ち着きを取り戻したのを確認すると、エストは恐る恐 る話し始めた。
「だって…パパってキスが上手でしょ?パパとキスするママは、昔からとっても嬉しそうだったし…。私、いつもいいなぁって思ってたの。それに、小さい時、ママに聞いたことがあるの。パパはキスが上手なの?って…。そしたら、『パパは世界一キスが上手よ。ママはパパとキスすると、悲しいことも辛いことも全部 忘れちゃうの』って…。だから、私…大好きな人とキスすると、幸せになれるんだって、ずっと思ってたの…。き、昨日ね…彼と初めてキスしたの。でも、何かぎこちなくて…全然幸せにならなかったの…。でも、彼のこと大好きだから、どうやったら幸せなキスができるのかなぁって…」
娘といえども、普通はこんなことを親に相談しないのでは…と思ったトニーだったが、ペッパーに似たのか少々天然なところ…いや、素直で真っ直ぐに育ってくれた娘の可愛らしい相談に、トニーは頬を緩めた。
確かに自分は人より経験も豊富だろう。だが、ペッパーとのキスは覚えているものの、その他大勢の女性としたキスは覚えていない。そして、トニーは思い出していた。遠い昔、ペッパーと初めてしたキスを…。あれは、エキスポでの事件の後。間一髪で彼女を助け出した屋上でのキス。『変かな?』と聞いた自分に、彼女は『いいえ』とうっとりとした表情で答えた。あれが全ての始まりだった。いや、お互いが素直になれた瞬間だった。あのぎこちないキスがあったからこそ今の自分たちがあるのだから…。
相変わらず俯いたままの娘の頭を軽く叩いたトニーは、背中をそっと撫でた。
「あのな、エスト。パパとママの初めてのキスもぎこちなかったぞ?でも、お互いのことを段々と知っていき愛情が深まるうちに、キスの味も変わってきたんだ。お前たちはまだ若いんだ。焦ることない。時間をかけてお互いのことをよく知ることだな」
答えになったどうかは分からない。だが、キスの上手い下手というのは、当人同士で解決することだ。その思いが伝わったのだろう。エストはパッと顔を輝かせ た。
「うん!そうよね。そうするわ。さすがパパ!大好き!ありがと!」
抱きついてきたエストは、顔中にキスをすると、飛び跳ねるようにラボを出て行った。

やれやれ…。
小さい時は『パパのおよめちゃんになる』と言っていたのに、恋人か……。

あっという間に姿を消した娘の後ろ姿を見送ったトニーは、ため息をついた。
そんな主人の心中を察したのだろう。
『トニー様、寂しいですね』
そう声を掛けた長年の相棒であるジャーヴィスの声もまた、寂しさに溢れていたのだった。

父親の気持ちを分かち合ったトニーとジャーヴィス

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