042.体感温度

ついにトニー・スタークに賞金が懸けられた。生け捕りにすれば100万ドル、うっかり殺してしまえばその半分の50万ドル。どちらにしても破格の値段だが、相手はあのトニー・スタークであり、加えてアイアンマンなのだ。
早速その日から腕に自信のある者たちはトニーの命を狙い始めたが、ことごとく失敗。
どうすればいいんだ…と頭を悩ませるハンターたち。その時、一人の男が名案を思いついたと立ち上がった。

「また狙われたの?!」
帰宅するなりベッドに倒れこんだトニー。顔に青あざを作り、腫れた左手を摩ったトニーは身体を捻ると顔を顰めた。
どうやらトニーに賞金が懸けられたと聞いたのはつい一週間前。その翌日から、ありとあらゆる手を使ってトニーを付け狙うハンターたち。頭の上から植木鉢が落ちてきたり、椅子の上に釘が置いてあるなんてことは可愛いものだ。最初は「映画みたいだ!」と興奮していたトニーだが、そうは言っていられなくなってきた。握手を求めるふりをしてナイフで刺されそうになったり、車で帰宅中トラックがぶつかってきたりと、おちおち外も歩けない。ここ数日はとくに酷く、トニーはアーマーを着て出勤する羽目になっていた。
だが、今日は食事会があったため、まさかアーマーを着て行くわけにもいかず、ハッピーをお供に向かったのだが…。
「待ち伏せされた。しかもトイレでだ。用を足そうと思ったら後ろから羽交い絞めだ。私一人に五人がかりだぞ?!薬を嗅がされ頭を殴られた。そこで私の記憶はぷっつりとないが、ハッピーがそいつらをボコボコにしてくれたらしい」
脂汗をかいた夫の手に包帯を巻いたペッパーは、アイスパックを渡した。大きな瘤のできた頭にアイスパックを当てたトニーは、枕に顔を埋めた。
「何か食べれそう?」
腫れた頬をそっと撫でると、トニーは首を振った。
「それよりも、明日から君たちにも護衛を付ける。必要な時以外は外に出るな。いいな?」
「分かったわ」

寝室のドアをそっと閉めたペッパーに、ドアのそばで心配そうに様子を伺っていたエストが声を掛けた。
「ママ…パパ、だいじょうぶ?」
泣き出しそうな娘を抱きしめたペッパーは、
「大丈夫よ。パパは大丈夫…」
と言ったものの、事態は収まりそうにない。
なるべく家から出かけない方がいいわねと考えたペッパーは、エストを抱き上げると子供部屋に向かった。

ハンターたちが思い付いたこと…それは、トニー・スターク本人がダメなら、妻か子供を人質にとればいいということだった。
早速翌日からトニー・スタークを狙いつつも、妻か娘を誘拐する機会をうかがっていたが、二人とも警備が厳しく絶好の機会がない。
この作戦も失敗か・・・と二日目にして諦めかけたハンターたちだが、仲間の一人が興奮した面持ちで飛び込んできた。
「む、む、娘を連れて来たぞ!!」
一気に沸き立ハンターたち。娘を痛い目に合わせて、その写真か映像を送り付けてやろう。そうすれば、トニー・スタークはすっ飛んで来るぞと計画していたハンターたちだが、その目論見はトニー・スタークの娘が姿を現すと崩れ去った。
「こんにちは。おじちゃんたち、だぁれ?」
指を咥え、首を傾げたスタークの娘ことエスト。大きなクリっとした目も顔だちも父親そっくりだが、綺麗にポニーテールにした髪形は母親のマネをしているのだろう。そして仕草も声も愛らしく、ハンターたちはすっかり心を奪われてしまった。
「エストちゃんだったかな?」
「あい、えすとよ」
「エストちゃん、可愛いなぁ~。そうだ!ジュース飲むかい?」
「…ごめんちゃい。しらないひとにもらったらだめよってママがいってるの…」
「お、おじちゃんたちは、君のパパのお友達なんだ。だから大丈夫だよ」
「そうなの?えすとね、じゅーちゅのみたいの」
「お菓子もケーキもあるから、しっかり食べてね」
…と、すっかりハンターたちと仲良くなってしまったエストは、VIP待遇を受けていたのだった。

お菓子を食べゲームをして喜んでいるエストの写真を送り付けるわけにもいかず、『娘は預かった。返して欲しければ、地図の場所にトニー・スターク一人で来い。P.S.アイアンマンにはなるなよ』と、文面で脅迫状を送りつけたハンターだが、幼稚園からエストが誘拐されたという知らせはとうの昔に両親であるトニーとペッパーの元へ届いていた。
脅迫状の文面からすると、狙いは金銭ではなくやはりトニーなのだろう。
「トニー、行ったら殺されるわ!」
泣きながら縋り付くペッパーを抱き締めたトニーは、
「ペッパー、大丈夫だ。大丈夫だから…」
と宥めると、指定された場所へ向かった。

車で指定された場所では、複数の車と大勢の男たちが待ち構えていた。
「約束通り一人で来た。娘を離せ!」
数百メートル先にいる集団に向かって叫ぶと、リーダーらしき男もトニーに向かって叫んだ。
「その前に、何も隠してないか確認する!ジャケットを脱げ!」
言われた通りジャケットを脱いだトニーは、手ぶらであることをアピールするために、その場で回った。
「次だ!シャツの前を開けろ!防弾チョッキを着てないだろうな?」
「何だ?私にストリップでもさせる気か?」
軽口を叩きながらもボタンを外したトニーは、シャツをはだけさせた。
素肌をヒンヤリとした風が触り、トニーは軽く身震いした。
「よし!娘の身柄はお前と交換だ!こっちにゆっくり歩いて来い!」
車のドアが開き、エストが姿を現した。
「パパ!!」
エストの手を掴んでいた男が
「さぁ。君のパパの方へ歩いて行くんだ。でも、走ったらダメだよ?」
と言うと、エストは怖がる風でもなく、
「うん、分かった」
と頷くと、
「おじちゃんたち、バイバイ」
と手を振りトニーに向かって歩き始めた。
駆け寄り抱きしめそうになったトニーだが、下手に動けばエストの命が危ない…と、必死に我慢し歩き続けた。

ちょうど半分まで歩いたところで、二人は隣に並んだ。
「パパ…」
不安そうなエストにトニーは微笑みかけた。
「パパは大丈夫だ。エスト、いいか。そのまま車まで歩くんだ」
「うん…」
頷いたエストは再び歩き出したが、しばらくして車の中に誰がいるか気づき走り出した。
「ママ!ローディおじたん!」
エストの声で、援軍がいることに気付いたハンターたちは、トニーとエストに向かって一斉に銃を構えた。
(しまった)
「一人で来いと言っただろ!」
銃を構えていた男たちの指が引き金に掛かったのを見たトニーは、
「エスト!走れ!!」
と叫ぶと、踵を返すし車に向かって走った。

エストを守るように走るトニーだが、複数の銃声が聞こえたと同時に両足に痛みを感じ、体勢を崩した。
その背中を容赦なく銃弾が襲った。
身体中を撃ち抜かれたトニーは息を詰まらせた。目の前が真っ赤に染まり、身体中に開いた穴からは鮮血が噴き出した。
エストが車から出てきたペッパーの元に駆け寄ったのを確認したトニーだが、頭部に鋭い痛みを感じると、何も考えることもできなくなり地面に倒れた。

「トニー!!」
ローディが、そして頭上に待機していたヘリからは、スティーブにソー、そしてクリントが飛出し、あっと言う間に男たちは制圧された。

だが、トニーは地面に倒れたまま動かない。
「トニー?」
エストを抱き上げたペッパーが近づき声を掛けてもトニーはピクリとも動かない。
トニーを抱き起こしたスティーブが首に指を当てるが、脈を触れない。
リアクターも破壊され、血の気のない顔をしたトニーは虚ろな目をしている。
全身を地に染め、体中から溢れ出た血で足元は海のようになっている。
「スターク!戻って来い!!」
その海の中に座り込んだペッパーは、トニーの額に開いた穴に触れた。
掌が真っ赤に染まり、思わず目を閉じたペッパーだが、耳障りな警告音に再び目を開けた。
病院のベッドの上にトニーは横たわっていた。
「トニー!!!」
近づこうとしたペッパーだが、ガラスの壁に遮られているように、近づくことができない。
トニーに付けられたモニターは、警告音を発するばかり。
血の海の中に浮かぶベッドの周りには、たくさんの医師や看護師がいるが、誰も何もしようとしない。
「早くトニーを助けてよ!!」
泣き叫ぶペッパーの声が聞こえないのか、一人また一人と姿を消していく。
「残念ですが……もう手遅れです」
無表情に伝えられたその言葉も、ペッパーはすぐには信じられなかった。
「う、嘘よ…」
のろのろとトニーに近づいたペッパーだが、彼の開いた瞳はガラス球のようなのに、ペッパーの姿は映っていなかった。
「…ウソでしょ……ウソよね……ねぇ!トニー!!」
銃弾を取り出すために切り開かれた身体に触れると、まるで紙屑のようにボロボロと崩れ始めた。
「い、嫌!!!トニー!!いやぁぁぁぁ!!!!」
ペッパーの手元に残った物…それは彼の一部であった光の消えたリアクターだけだった。

***
「…ッパー…ペッパー?」
名前を呼ばれペッパーが目を開けると、目の前には心配そうに覗き込んでいるトニーの顔があった。
「トニー…」
涙に濡れた頬を拭ったトニーは、ペッパーをそっと抱きしめた。
「どうした?怖い夢でも見たのか?」
無言で頷いたペッパーは、トニーのTシャツをギュッと握りしめた。

良かった…。あれは夢だったんだ。トニーがいなくなる夢。悪夢以外の何物でもない夢。
でも、どこからが夢だったのだろう…、と現実と夢の境目が分からなくなったペッパーは、トニーの顔をじっと見つめた。
トニーの顔にはあざもなく、頬も腫れていない。ただ一つあるのは、今朝髭剃りで失敗してできた小さな傷。

その傷を見た瞬間、トニーが死んだのも、エストが誘拐されたのも、そしてトニーが暗殺者たちに狙われたのも夢だと分かったペッパーは、トニーの胸元に顔を埋めると、声を出して泣き始めた。
どうして妻が泣いているのかさっぱり理解できないトニーは、困ったように眉を下げるとペッパーをぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫だ、ペッパー。私はどこにも行かない。君とエストのそばにずっといる。だから安心してくれ」
子供をあやすように背中をぽんぽんと軽く叩くと、ペッパーは真っ赤になった瞳をトニーに向けた。
「うん…約束よ…。絶対にどこにも行かないでね」
「あぁ…約束だ…」

いつかは訪れる別れの時。でも、今はその時ではないのだから…。

背中に腕をまわしたペッパーは、身体をぐっとトニーに押し付けた。
彼の心地よい体温がTシャツ越しでは伝わらず、裾から手を入れたペッパーは、胸元までTシャツを捲し上げた。
「どうしたんだ?甘えん坊か、はたまた大胆なのか…」
小さく笑いながらもされるがままになっているトニー。
青白く光るリアクターにキスをしたペッパーは、彼の体温を感じようと、逞しい胸板に顔を付けた。
広く大きな腕に抱きしめられ先ほどまでの悪夢が、そして不安がすっと心から消えるのを感じたペッパーは、安心したように目を閉じた。

ペッパーの悪夢はトニーがそばからいなくなること。

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