That Day

2023年5月29日。
大好きなパパの誕生日は、ママがケーキを焼いてくれた。モーガンはパパのために手紙とパパの似顔絵を描いた。モーガンとママが歌を歌い、パパは蝋燭を吹き消した。
パパは嬉しそうだった。
だけど、パパはいつもどこか辛そうで悲しそうでもあった。そしてパパはどこか遠くに行ってしまいそうに見えた。
モーガンには、その理由が分からなかった。だからモーガンはパパに言った。
「パパ、ずっといっしょよ」
するとパパは悲しそうに笑みを浮かべた。
「ああ、パパはずっとモーガンのそばにいるよ…」

パパがいなくなって半年経った2024年5月29日。
パパはもういないけど、今日はパパの誕生日だから…と、モーガンはママと一緒にケーキを作った。そしてパパの写真の前に手紙と何日もかけて描いたパパの絵を置くと、2人で歌を歌った。モーガンはパパの代わりに蝋燭を吹き消した。目を閉じ何やら祈っている娘にペッパーは尋ねた。
「何をお願いしたの、モーガン?」
するとモーガンはパパの写真を手に取ると抱きしめた。
「パパがね、あたしとママのそばにずーーっといてくれますようにって。それからね、パパに3000かいあいしてるよっていったの」
するとママは…ペッパーは小さな涙を溢すと、必死に笑顔を作った。
「そうね、きっとトニーは…パパは、ずっとモーガンのそばにいてくれるわよ」

それから数年、5月29日には、モーガンはママと一緒に必ずパパの誕生日を祝った。

だが、あの日から10年経った2033年の5月29日は違った。
『パパは私のことよりも世界の平和の方が大切だった』
モーガンがそう思ったきっかけは、10年前の戦いを振り返る特別番組を見たことだった。そこでは、アイアンマンことトニー・スタークは、世界を守るためなら命を捨てることすら躊躇しなかったと、専門家が口を揃えて言っていたのだ。他人の言うことなど信じてはならないと分かっている。だが…。
『パパはモーガンのことを守りたかったから、命をかけたのよ』
常々母親から言われていた言葉が信じられなくなってきた。というのも、幼い頃に父親と別れたモーガンには、ハッキリとした父親の記憶がなかったからだ。

何となく許せなくなった。父親が何も言わずにこの世を去ったことが…。何も言わずに自分の目の前からいなくなってしまったことが…。
母親に告げると、母親は泣きながらモーガンに言った。
「パパは最期まであなたのことを考えていたのよ。愛していたわ。あなたはパパの世界一大切な宝物だったんだから…」
だが、モーガンは母親の言葉を信じることができなかった。
母親がいつものようにケーキを作っているのも知っていたが、モーガンは友達と約束があると出掛けてしまった。母親が寂しそうな顔をしているのは分かっていたが、モーガンは母親から背を向けると家を飛び出した。

そして、いつしかモーガンは5月29日を『何でもない日』として過ごすようになっていった……。

それから幾年もの月日が流れた。
奇しくも父親同様にMITに進んだモーガンは、実家を出ると一人暮らしを始めた。が、母親のことが心配で頻繁に家には戻ってきていたが、彼女は亡き父のラボには一切入ろうとしなかった。と同時に、父親のことを話さなくなった。
そしてペッパーも、モーガンには極力トニーのことを話さなくなった。そのかわりペッパーは、亡き夫のラボでダミーやユー、そしてF.R.I.D.A.Y.相手にトニーの思い出話をすることが多くなった。

卒業後、モーガンは当然のようにスターク・インダストリーズで働き始めた。
『お父様、そっくりですね』
トニーのことを知っている社員は、口を揃えてそう言った。だが、そう言われてもモーガンは嬉しくも何ともなかった。

数年後。
モーガンは結婚した。相手はヒーローでも何でもない普通の男性だった。だが、母親から言わせると『何かに熱中して周りが見えなくなるのは、トニーそっくり』らしいから、モーガンは知らず知らずのうちに父親に似た男性と恋をしたのかしら…と考えた。
(パパにも紹介したかったな…)
そんなことを思った。何年も父親のことは思い出さないようにしていたし、父親の声も姿もぼんやりとしか思い出せなくなっていたのに、ふと父親のことを思い出したモーガンは慌てて首を振った。
一緒にバージンロードを歩いてくれる父親はいないのだ。子供が産まれても、抱き上げてくれる父親、そして子供の祖父はいないのだ。世界を救うことに夢中だった父親が、自分と母親をおいて死んでしまったから…。

結婚式当日、母親は父親の写真を抱きしめて参列した。パーティーでも父親の席は用意してあった。
父親の親友だったローディおじさんは『トニーが生きていたら、喜んでいただろうな』と涙していたが、モーガンは涙ひとつ流せなかった。

1年後の5月29日。
奇しくも亡き父親の誕生日にモーガンは男の子を出産した。
自分に似た息子は、同時に亡き父親にそっくりだった。元気よく泣く息子を初めて抱きしめた瞬間、モーガンの中で息子は世界一大切な存在になった。そして、同時に思った。命をかけて息子を守りたいと…。

その時、モーガンは、ハッとした。
パパも同じ気持ちだったのだ。
私がこの子を守りたいように、パパも私のことを守りたい一心で命をかけたのだ…。何も言わなかったのではない。パパも本当は私に最期に会いたかったはずなのに…会えなかっただけなのに…。最期に愛してると抱きしめたかったはずなのに、それすら許されず死ななければならなかったパパは、どんなに無念だっただろう…。
ママが言っていたことが本当だったのに…。どうして他人の言うことを信じてしまったのだろう…。いや、どうしてパパの愛を信じることができなかったのだろうか…。

「パパ……」
涙が止まらなかった。何年も許せないと父親のことを思い出そうともしなかったことが、申し訳なく、そして情けなかった。きっと父親はずっとずっとそばにいてくれているのに、何もしてこなかった自分に腹が立った。そして最近しきりに『トニーに会いたい』と言うようになった母親に、何もしていなかったことにも…。
突然泣き始めたモーガンに、付き添っていたモーガンの夫は慌てふためいた。どうして妻は泣きじゃくっているのかと、彼は必死に妻を泣き止ませようとしたが、モーガンは夫の存在など忘れてしまったかのように号泣しているではないか。
するとそれまでぐずぐず泣いていた息子が泣き止んだ。そしてまだよく見えぬであろう瞳でじっと母親を見つめた。
「モーガン…」
夫の声に鼻を盛大に啜ったモーガンは、息子を見つめた。息子の大きな琥珀色の瞳を見た瞬間、モーガンの脳裏にはありし日の父親の姿が浮かびあがった。
ママに黙ってベッドの中でジュースポップを食べた時の悪戯めいた笑みを浮かべたパパ…ママに怒られてしょんぼりしているパパ…眠たいとぐずる私に子守唄を歌ってくれたパパ…愉快な話を楽しそうにしてくれたパパ…。
父親と同じ瞳をした息子を見つめると、今まで思い出せなかった父親との思い出がどっと押し寄せてきた。
(パパ……、パパはこの子の中に生きてるのね…)
愛おしそうに息子の頬を撫でていると、
(モーグーナ…)
父親の声が聞こえた。それもハッキリと…。
パパはそばにいてくれている。だって、パパはずっとそばにいるって約束してくれたから…。

1年後。
今日は5月29日。モーガンの息子の1歳の誕生日だ。
夫は派手に祝いたかったらしいが、家族だけで…それも実家である湖畔の家で祝いたいというモーガンの希望もあり、一家はささやかなパーティーをすることになった。

ケーキはペッパーとモーガンが作ることになり、2人は朝からキッチンに篭っていた。
「ママ、ごめんなさい」
突然謝りだした娘に、ペッパーはどうしたのかと首を傾げた。
「私ね、パパのこと、全然分かってなかった。パパがどれだけ私のことを愛してくれていたか…。それから、命をかけて私を守ってくれたのに、パパのことを許せないって勝手に思ってて…。でもね、あの子が生まれて、やっとパパの気持ちが分かったの。パパは私を守るために命をかけたっていうママの言葉をやっと受け止めることができたの…。だからね、ずっとパパのことを避けててごめんなさい。ママがパパに会いたいって言っていたのに、パパの話を一緒にしなくてごめんなさい…」
頭を下げる娘に、ペッパーは首を振った。そして娘の肩に手を触れるとそっと抱き寄せた。
「トニーの…パパのこと、分かってくれてありがとう、モーガン…。きっとパパも喜んでるわ」
ペッパーが自分よりも大きくなった娘の背中を撫でると、モーガンは母親をギュッと抱きしめた。

暖炉の上から持ってきた写真立てを息子の目の前に置かれたケーキのそばに置いたモーガンは、「まんま」と言いながら手を伸ばしてきた息子の頬にキスをした。すると、トニーの名前をもらい、アンソニー・エドワード・スターク・Jr.と名付けられた息子が写真に手を伸ばした。写真立てには父親の…トニーの写真が入っていた。それを息子の手が届くところに置き直したモーガンは、息子に向かって微笑んだ。
「今日はね、あなたのお誕生日だけど、AJのおじいちゃんもお誕生日なのよ」
首を傾げたAJことアンソニーだが、母親の言葉を理解したのか、彼は嬉しそうに手を叩いた。
「そうよ、おじいちゃん。おじいちゃんはね、とっても立派な人だったの。ママの誇りよ。ママのたった一人のヒーローよ…。今もママのそばにいるから、AJのことも見守ってくれているわよ」
キョロキョロと辺りを見渡したアンソニーが手を伸ばした。すると、アンソニーは何か感じたのか、彼は母親の頭上に向かって可愛らしい笑みを浮かべた。
「あら?もしかしたらトニーもパーティーに参加したいのかしら?」
トニーらしいわねとクスクス笑ったペッパーに、モーガンの夫は
「それなら、お義父さんの席も用意しましょう!」
と、慌てて立ち上がると椅子を取りに向かった。

急に賑やかになった家。パパを失ってからこの家がこんなににぎやかだったことはあっただろうか…。
キョロキョロと辺りを見渡したモーガンは、青白い小さな光が母親の肩辺りで瞬いているのに気付いた。
(パパったら、やっぱりママの方が大切なのね)
母親から離れようとしない小さな光に向かって小さく眉を吊り上げたモーガンは、写真の中の父親に告げた。
「パパ、お誕生日おめでとう。3000回愛してる…」

娘の心からの言葉に、ペッパーがトニーの写真を見つめると、写真の中のトニーは嬉しそうに笑った気がした。

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