一週間後。
退院したペッパーだが、しばらく安静に…と言われたため、ハネムーン後に行われるはずだったお披露目パーティーは二週間後に延期されることになった。
「おはよ…ハニー」
腕の中に閉じ込めたペッパーにキスをしたトニーは、膨んだお腹に手を当てた。もうすぐ五ヶ月。退院すると同時に動くようになったお腹の子。トニーはお腹を撫でキスをすると話しかけ始めた。
「おい、起きてるか?今日もママのこと頼むぞ?」
トニーの声を聞くと動くお腹の子。
「この子はあなたの声が好きよね」
クスクスと笑うペッパーにキスをすると、トニーは起き上がった。
「今日はパーティーのドレスの打ち合わせに来るんだろ?」
「あ!そうだったわ」
飛び起きたペッパーは、トニーにキスをするとパタパタとバスルームへ向かった。
二週間後。
ペッパーのお披露目を兼ねたチャリティーパーティは、LAの郊外にあるホテルで行われた。
トニーの挨拶で始まったパーティー。スピーチが終わりに近づいた頃、トニーはステージ脇でニコニコしていたペッパーを壇上へ引っ張り上げた。
「報告が遅くなったが、一ヶ月前に結婚した。妻のヴァージニアだ。よろしく頼む」
お腹を隠すようにふわっと裾の広がったワンピースを着たペッパーは、にっこり笑うと頭を下げた。その可愛らしい姿にその場の空気は和み、そして明るく屈託のないペッパーは、あっという間に人気者になった。
「よかったわ。みなさんに受け入れてもらえて…」
内心ずっと不安だった。10歳も年下の自分に大企業の社長夫人の役目が果たせるのか、そして隠れて関係があったとは言え、突然押しかけてきたような自分が受け入れてもらえるのか…。だが、スタークインダストリーズの社員はみな優しかった。
「社長が選ばれた方だけあって、素晴らしい女性ですね」
「先代が亡くなられてから、社長は我々の前で笑わなかったんです。でも、ヴァージニア様がこちらに来られることになり、社長にも笑顔が戻りました」
そして皆が口を揃えて言った。
「ヴァージニア様、トニー様が辛い時、支えてくださってありがとうございました」
パーティーでのペッパーの様子を思い返していたトニー。謙虚で優しく、そしてさりげないことにでも気の付くペッパーを好意的に受け入れてくれた。
(彼女を正式にお披露目できた。これで誰にも遠慮することなく彼女を俺のものと言えるな…)
一人でニヤついていたのだろう。視線を感じ降り向くと、ペッパーが変な顔をしていた。
「…また変なこと考えてたでしょ?」
口を尖らせているペッパーを抱き寄せたトニーは、顔中にキスをし始めた。
「と、トニー!まだ家じゃないのよ?!」
真っ赤な顔をしたペッパーだが、トニーは膝の上に座らせると首筋に赤い印を刻み始めた。
「もうすぐ着く。それに、この車は外から見えないんだ」
「そ、そういう問題じゃないで…んん!」
黙れと言うように唇を奪われたペッパーは、その甘く蕩けるようなキスに酔い、何も考えられなくなってしまった…。
翌日、メディアはこぞってペッパーのことを報じた。
あのトニー・スタークの妻であり、今までメディアの前に姿を表さなかった謎の女性。この一か月、想像上の人物でしかなかったヴァージニア・スタークが急に現れ、しかも皆の予想に反して可愛らしく好感度抜群なのだから、マスコミが見逃すはずがない。
ペッパーの独占インタビューを取ろうとマスコミは必死だった。だが、トニーが常に目を光らせており、肉声どころか写真を撮ることすら不可能だった。
そして、二週間ほど過ぎた頃。
「社長?○△誌の方がお見えになってます」
夕方になり帰宅しようとしていたトニーに、秘書のエミリーが声をかけた。
「アポイントはあったか?」
「いえ、ありませんが…。お帰り頂きます?」
ここで断っても、おそらく下で待ち伏せされるだろうと感じたトニーは、時計をチラリと見た。ここ数日、来週に迫った展示会の準備で帰宅が深夜に近く、ペッパーとろくに話もできていなかった。
今日は久しぶりに早く帰れると連絡すると、彼女は「美味しい物作って待ってるわ」と嬉しそうに言っていたため、一刻も早く帰りたいのは山々なのだが…。
ため息をついたトニーは、
「まあいい、通してくれ」
と、エミリーに声をかけ、カバンを机の上に置いた。
しばらくして、30代くらいの女性が二人、香水の匂いを振りまきながら入ってきた。思わず眉間に皺を寄せたトニーだが、それに気づくことなくソファーに腰を下ろした記者は、座るや否や本題を切り出した。
「スタークさん、奥様の特集記事を組ませて頂きたいんです。是非インタビューを…」
「は?」
トニーがムッとしたのにも気付かず、記者はべらべらと話し続けた。
「奥様、特に同年代の女性から大人気なんです。あのトニー・スタークのハートを掴んだテクニックをぜひ…」
自分はいくら追いかけ回されてもいい。だがペッパーは…。またこの間のようなことが起こるかもしれないのだ。大きく息を吐いたトニーはまだ話をしている記者を遮るように立ち上がった。
「申し訳ないが断る。妻は見せ物ではないんだ。それに、妊娠中なんだ。静かに過ごさせてやりたい」
そう言われれば記者も強くは出られない。相手はあのトニー・スタークなのだから。下手に付け回すようなことでもすれば、自分の首が危ない。
落ち着いた頃に改めて取材を…という言葉に、一応笑顔で応えたトニーだったが、記者が帰り支度を始めた頃には、その姿はもうなかった。
その頃、ペッパーは買い物に来ていた。
荷物を抱えたペッパーは息を吐いた。トニーに言えば買い物には連れてきてもらえるが、近々ある展示会の準備でトニーは忙しく、帰宅するのも深夜に近い時間帯。
(やっぱり車で来ればよかった…)
トニーはペッパーにと車を買ってくれてはいるが、免許を取って以来、ほとんど運転する機会のなかった彼女はペーパードライバーだった。頼めば運転手付きで 買い物も出来るし、そもそも自分で出て行かなくても家まで持ってきてもらえるのだが、早くこの街に慣れたいという思いもあり、ペッパーは散歩がてら一人で 来ていたのだった。
(赤ちゃんが生まれたら、運転できないとダメよね…。やっぱり練習しなきゃ…)
ペッパーが腰をあげ荷物を持とうとしたその時だった。
「ポッツさん?」
名前を呼ばれ振り返ると、そこには見知らぬ男性が立っていた。
「えっと……?」
記憶力のいいペッパーは、一度会った人物の顔は大体覚えているのだが、目の前の男性は記憶になかった。
ペッパーが頭を捻っていると、その男性はにこやかな笑みを浮かべながら近寄って来た。
「僕だよ、アルドリッチ!」
(アルドリッチって誰?)
目の前にして申し訳ないが、記憶にない名前に顔。頭をフル回転させて考えていたペッパーだが、やけに馴れ馴れしい口調にようやく一人の名前を思い出した。
「…あ!もしかして…キリアンさん?」
そういえば、そんな名前だったわね…とペッパーが思っていることなど気付きもしないキリアンは、ペッパーの手を取った。
「いや、驚いたよ。こんな所で会えるなんて。ヴァージニア、これは運命だ」
偶然を装っているが、実はペッパーを追いかけてきたキリアン。ここにペッパーがよく来ると知り、毎日足を運んでいたのだった。
「君は相変わらず美しいな、ヴァージニア」
段々と顔を近づけてくるキリアンから逃げるように顔を背けるペッパー。
「はぁ…。キリアンさんもお変わりなく…」
当たり障りのないことを言い、ペッパーはその場を立ち去ろうとしたが、キリアンはペッパーの手を握りしめ離そうとしない。
「どうだい、久しぶりの再会だ。食事でも…」
その手を振りほどこうとペッパーは叫ぶように言った。
「あの…私!主人が待ってるんです!帰らないと!!」
(え…、主人って…)
ペッパーの言葉に固まったキリアン。その隙に手を振りほどいたペッパーは、荷物を持ち上げた。
「も、もしかして…結婚したのか?!あ、相手は!!」
我に返ったキリアンは顔面蒼白だが、不幸なことにペッパーは気付いていない。
「ずっとおつきあいしていた彼です。結婚したんです、私たち」
あれだけ騒がれていたのに、知らないのかしら?と、首を傾げたペッパーだが、言葉を失っているキリアンに何と言っていいのか分からない。どうしようかと迷っていると、一台の車が唸り声をあげて二人の横に止まった。
運転席から飛び出してきたのは、トニー・スターク。
「ペッパー!」
「あ!トニー!」
たちまち満面の笑みを浮かべたペッパーは、駆け寄って来たトニーに抱きついた。
トニーはペッパーを抱き締めると、甘く蕩けるようなキスをした。
そして、青い顔をして自分を見つめている男を睨みつけたトニーは、
「誰だ?」
と顎でしゃくった。
「あ、トニー。こちらはキリアンさん。キリアンさん。主人です」
ニコニコと紹介するペッパーとは対照的に、トニーはサングラス越しでも分かるほど不機嫌な顔をしている。
「トニー・スタークだ」
一応挨拶はしたものの、トニーはペッパーの方をクルリと向くと、荷物を持った。
「一人で買い物に行くなと行っただろ?お腹の子供に何かあったらどうするんだ?」
(お腹の子供⁈ということは…)
よく見ると、ペッパーのお腹は少しふっくらしているではないか。
さらに顔色を変えたキリアンを横目で見たトニーだが、タイミングよくお腹の子供が動き始めた。
「大丈夫よ…。痛っ!」
顔を顰めたペッパーのお腹にそっと手を触れたトニー。
「どうした?また暴れてるのか?」
愛おしそうにお腹を撫でるトニーの手に触れたペッパーは、嬉しそうに微笑んだ。
「もう…この子ったら…パパの声を聞いたから嬉しいのかしら?また暴れてるの」
「仕方ない。俺の子だから」
「そうかもね。あなたに似てたら大変だわ」
くすっと笑ったペッパーの顔は幸せいっぱいで、ハッキリ言ってキリアンの入る隙などない。
「帰ろう。いや、せっかくだから食事して帰ろう。どうだ?明日は休みが取れたんだ。君が泊まりたいと言っていたホテルに行くか?朝まで可愛がってやるよ」
完全にキリアンの存在を無視しているトニー。と言うのも、キリアンがペッパーの手を馴れ馴れしくも握りしめにじり寄っているのを目撃していたからなのだが…。
満面の笑みで自分にすり寄ってくるペッパーを助手席に押し込むと、『STARK』という文字が輝くシルバーのAudiは走り去って行った。
「サヴィン!話が違うぞ!」
ソフトクリームを食べながら車で待っていたサヴィンは、戻って来るなりキリアンに怒鳴りつけられ運転席で飛び上がった。
落ちそうになったソフトクリームを口に押し込んだサヴィンは、しばらくしてポカンとした顔でキリアンを見つめた。
「何がだ?」
苛立ち目の色が変わっているキリアンは、腹立たしげにシートベルトを締めた。
「彼女のことだ!結婚して腹に子供までいるぞ!」
この発言に驚いたのはサヴィン。あれだけヴァージニア・ポッツのことをストーカーのように追い回していたのに、肝心の情報を知らないなんて…と呆気にとられたサヴィンだが、怒らせると怖いので勤めて冷静に言葉を発した。
「…知らなかったのか?大騒ぎになってたのに…」
「知るか!俺は忙しいんだ!」
ため息を付いたサヴィンは、ダッシュボードに入れていた一冊の雑誌をキリアンに放り投げた。
『特集!トニー・スタークとヴァージニアの愛の奇跡!』
と表紙に書かれた雑誌。下手な小説よりも面白く泣けると巷で話題のこの雑誌は、実はサヴィンの愛読本でもあった。
「これを読めばよく分かるぞ?いい話なんだ。彼女の献身的な…」
愛に溢れている…と言おうとしたサヴィンだが、キリアンが物凄い顔で自分を睨んでいるのに気づき、慌てて話題を変えた。
「俺はてっきり全て承知の上で、彼女を奪いに行ったのかと…」
(知らなかったのは自分の落ち度だが、障害がある方が燃えるぞ…)
ニヤリと笑ったキリアンはダッシュボードのサングラスを掛けると、サヴィンに車を出すように告げた。
(トニー・スタークとか言ったな…。ヴァージニアは俺の物だ。絶対に奪い取ってやる…)