ママは毎年、庭に沢山のひまわりを植える。
どうしてひまわりなのかと聞いたら、
「パパが大好きだったのよ…」
と、ママは寂しそうに笑った。
パパは私が5歳になる前に死んだ。
もう10年以上も前の話だから、正直、パパのことはあまり覚えてない。ホログラムや写真やビデオで見るパパが私にとってのパパだった。
でも一つだけはっきりと覚えていることがある。
『モーガン…3000回愛してる』
パパが私を抱きしめてくれた温もり、そう囁いた声…。それだけははっきりと覚えている。
それは、私とパパの最後の思い出だから…。
パパが最後の戦いに行く前に、私を抱きしめて囁いた言葉だから…。
パパが死んだと言われても、幼かった私には理解できなかった。パパのお葬式も、どうして知らない人が大勢家にやって来たのかと、理解できなかった。チーズバーガーが食べたいと告げた時、ハッピーおじちゃんが泣いたのも、どうしてか理解できなかった。
ママは毎晩泣いていた。それでも私はパパはひょっこり戻ってくるとずっと信じていた。パパのラボにいれば、パパが戻って来てくれるかもしれないと、私はずっと待っていた。
でもパパは戻ってこなかった。何日経っても戻って来なかった。そしてママはあまり笑わなくなった。いつも悲しそうな顔をしていた。私の前ではいつものように振舞っているけど、影でいつも泣いていることに私は気づいた。ママが泣くのはいつもパパのこと…。だからようやく私は理解した。
パパはもう二度と戻ってこないのだと…。
パパが死んだと理解した私は泣き続けた。涙が枯れてしまうくらい泣き続けた。ママは黙って私を抱きしめてくれた。でもママは声を押し殺して泣いていた。
涙が枯れはてた私は、ママに聞いた。
「パパはどうしてしんじゃったの…。パパはおうちにかえってきたくなかったの?」
するとママは私を抱き上げ庭に向かった。頭上に広がる満天の星空を見上げたママは、煌めく星を指差した。
「パパはね、お家に帰ってきたかったわよ。モーガンとお家で遊びたいって思ってたわ。ずっとあなたのそばにいたいって思ってた…。でもね、モーガン。悪い人がいっぱい来たの。パパたちをやっつけて、モーガンの大好きなお星様を壊してやろうって悪い奴が…。だからね、パパはこの綺麗なお星様を…あなたが大好きなお星様を守るために、自分がお星様になったのよ」
涙を拭った私は星空を見上げた。私はパパとママと3人で、星空を見上げるのが大好きだった。パパが話してくれる星の話を聞くのが大好きだった。私だけじゃなくてママも…。
「パパ…おほしさまになったの?」
涙でベトベトになった私の顔を拭ったママは、少しだけ笑みを浮かべた。
「そうよ。パパは空の上から、いつもモーガンのことを見守ってるわ…。パパはあなたのこと…世界で一番愛してるから…」
パパがいなくなった家は、まるで太陽が消えてしまったようだった。
パパはいつも私とママを笑わせてくれていたから。そのパパがいなくなったのだから、家からは笑い声が消えてしまった。
パパとの思い出がたくさん詰まった家にいるのは辛いから、ママは引っ越そうと私に言った。だけど私はこの家が大好きだった。パパの作ってくれたブランコ、毎年夏に泳いだ湖、ママとパパと植えた花、パパが座っていた椅子…。私とパパの思い出は、生まれた時からずっと育ってきたこの家にしかなかったから。だから私はママに言った。
「ママ、パパがおうちにかえってきたときに、ちがうおうちだとパパはまいごになっちゃうよ?」
するとママは泣きながら私を抱きしめた。
「そうね…。パパもこの家が大好きだったもの…」
ママと私はこの家に住み続けた。
そして私はパパみたいに、ラボで遊ぶようになった。見よう見まねで、ロボットを組み立てた。
「パパにそっくりね」
私の後ろ姿を見たママは、そう言うと笑いながら泣いていた。
パパはママと私の生活を…そして私の未来を守るために命を捨てた。
それはとても誇るべきこと…。
あの時、世界を守れたのはパパしか…アイアンマンしかいなかったから…。
少し大きくなってから、ママはパパの最期を話してくれた。
その話に私は無理矢理納得しようとした。だけど無理だった。だって、パパはアイアンマンである前に、私のパパだから…。たった一人の…大好きな私のパパだから…。
それなのに、パパは私とママのことを残して死んでしまった。何も言わずに突然いなくなってしまった。お別れも言わずに、私の前から消えてしまった。
だから時々思った。
パパは私とママのことを考えずに死んだのかと…。私のことよりも、世界を救うヒーローとして死ぬ方が大切だったのかと…。
だから、『トニー・スタークは真のヒーローだった』と言われても、私はずっと素直に受け入れられなかった。
***
ある日、パパのデータベースを弄っていた私は、今まで気付かなかったフォルダを見つけた。
「これ、何だろう…」
フォルダをクリックすると、パスワードを要求された。
『”I Love You”』
その後に続く言葉、それは…。私は迷わず入力した。”3000″と…。
すると、フォルダが開いた。中には私とママの名前のフォルダがあった。『モーガン』というフォルダを開くと、1本の動画ファイルと、そしてフォルダがあった。
私は震える指で、動画ファイルを開いた。するとモニターにパパが現れた。
「パパ…」
手を伸ばしモニターに触れてみた。するとパパは私に向かってにっこり笑った。
『やぁ、モーガン。ようやくこれを見つけたんだな?今は何年だ?きっとお前は随分と大きくなっているんだろうな。ペッパー…いや、ママみたいに美人になったか?』
私は慌てて動画の日付を確認した。
11年前のパパがあの戦いに向かう…つまりはパパが死ぬ2日前の日付だった。
『なぁ、モーガン。パパが死んだ時、お前は小さかったから、きっとお前はパパのことをあまり覚えてないだろうな…』
そう言うと、パパは寂しそうに笑った。
パパはこれを…自分が死んだ時のことを考えて残していたのだ…。パパはあの戦いに…死を覚悟して臨んでいたのだ…。
「そんなことない…。パパのこと…覚えてるもん…」
涙が止まらなかった。涙は次々と零れ落ち、モニターが霞んで見え始めた。
『パパは…今まで好き勝手に生きて来た。やりたいことをやって、ひょんなことから世界を救うヒーローになって、ママと恋に落ちて、結婚して、お前が産まれて…。だからパパの人生は充実していたし、後悔なんてないと思ってた。だけどな…本当はお前が大きくなって、恋人を連れてきて、結婚して孫が出来て…そういう普通のことをずっと見ていたかった…。もっとママとモーガンのそばにいたかった…。後悔だらけだ。きっとパパは…死んでも…ママとお前のことだけが心残りだ…。ママが泣いていないとか、モーガンがまたこっそりラボに忍び込んで、泣いてるんじゃないかとか…。きっとお前たち2人のことが気になって、毎日空の上から見てるだろうな…』
お葬式の時に見たパパの最後のメッセージ…、今でも時々見るホログラムのパパは、弱音何て一言も吐いてなかった。ママと私に前を向いて生きていけと言うように、あの時のパパは笑顔だったから…。
だけど、今のパパは…この動画には、本当のパパの姿しか映ってなかった。
パパの目から涙が零れ落ちた。
『今更こんなこと言ってどうしようもないよな?だけど、もっと生きていたかった…。ペッパーとモーガンのそばにずっといたかった…。世界を救うヒーローになんてならなくてもいい。パパはモーガンのパパでずっといたかった。死にたくなんかなかった。これがパパの本当の気持ちだ。パパがそう思っていたこと、知っておいて欲しい…。きっと死ぬ瞬間まで、パパはママとモーガンのことしか考えてない…。もしかしたら、死ぬ時に言ってないかもしれないが…最期に愛してると言って死にたかったはずだ』
グスッと鼻をすすったパパだけど、涙は次々と零れ落ちた。
『ママとモーガンは、パパにとって全てだ。お前たちが幸せになれるなら、パパは命を懸けてもいいと思っている。パパが命を落としたのは、世界を守るためじゃない。ペッパーとモーガンを守るためだ…。だけど…』
パパがくしゃっと顔を歪めた。ボロボロと大粒の涙を流しながら、パパは必死で言葉を続けた。
『モーガン、パパの事、許してくれ。お前に何も言わずに死んだパパのことを許してくれ。急にいなくなって、きっとパパのこと、恨んだだろうな…。寂しい思いをさせてすまなかった。怖い夢を見ても抱きしめてやれなくてすまなかった。クローゼットのお化け退治もしてやれなかった。父親らしいことを何一つしてやれなかった…。すまなかった…本当にすまなかった…』
泣きながら謝るパパに、私も涙が止まらなかった。パパは泣き続けた。それでもしばらくして涙を拭ったパパは、深呼吸をすると頬を軽く叩いた。
『なぁ、モーガン。パパはずっと今もモーガンのそばにいる。きっと今もモーガンの後ろにいるぞ?』
そう言うと、パパは小さく笑った。
『モーガン。きっとお前が生きている時代は、パパが死んだ時と大きく違ってるんだろうな…。だが、お前にはパパの分まで生きて欲しい。色々なことを自分の目で見て欲しい。パパが命を懸けて世界を守ったのは、お前の未来を守るためだから…。だがな、これだけは変わらない。パパはモーガンのことを、世界一愛してる。モーガンはパパの世界を変えてくれたんだ。お前が生まれて、パパは家族を持てた。家族なんて持てないと思っていたパパに、奇跡が起きたんだ。ママと結婚して、モーガンが生まれたこの5年間、パパは初めて人生はこんなに楽しいんだと思えた。普通の平凡な暮らしがこんなに楽しいものだと、初めて知ったんだ。モーガン、ありがとう。パパの娘に生まれてきてくれてありがとう…。あまりこんなことを言うと、恋しくなるよな…。もし、モーガンがパパのことを恋しくなったら…パパに会いたくなったら…このファイルと同じ場所にもう一つフォルダがあるだろ?それを見てくれ。パパの愛するモーガンは、全てそこにいるから…』
何度か瞬きしたパパは、笑みを浮かべた。
『モーガン、パパの最高傑作はお前だ…。モーガン・H・スターク…3000回愛してるよ…』
動画は終わった。
「パパ…」
初めて知ったパパの本音。
パパは決して私とママのことを考えてなかったのではなかった…。寧ろ、私とママのことばかり考えてくれていたのだ。
『トニー・スタークはヒーローだった』
そう言われても、ずっと素直に受け止めることができなかった。ヒーローとして死んだ代わりに、私とママのことを置いて…何も言わずに死んでしまったんだと、心のどこかでずっと思ってた。
でも、パパの本音を知って…本当はパパは死にたくなかったという本音を聞いて、パパは私のパパとして…私を守るために命を懸けたこと、パパは私にとってのたった一人のヒーローなのだと、ようやく受け入れることができた。
パパが恋しかった。パパに会いたかった。
そこで、パパの言っていたフォルダを開いた。
そこには写真と動画が沢山あった。
全部私が写っているものだった。
生まれたばかりの私を抱きしめているパパ、オムツを四苦八苦しながら替えているパパ、大泣きしている私に子守唄を歌っているパパ、眠っている私を見つめているパパ…。
殆どが見たことのない写真や動画ばかりだった。
つまりここにはパパの知っている私が全ていた。
パパは私のことをこんなにも愛してくれていた…。パパの私に向けられる愛の全てを、小さかった私は理解できていなかったかもしれない。でも、パパは私にとって世界一のパパだった。
「知ってるよ…。パパが…私のこと…大事にしてくれてたことも…」
私は、そばにあったアイアンマンのヘルメットを抱きしめた。
「パパ…。パパのこと…恨んでなんかないよ…。だって…パパは…ずっと私のそばにいてくれてるもん…。今もずっと…私とママのそばにいるでしょ?」
涙が止まらない。ヘルメットにポタポタと涙が零れ落ちた。すると何処からともなく声が聞こえた。
『モーガン……』
パパの声が聞こえた気がした。
振り返ると、後ろの棚に飾ってあったパパとママの写真がパタンと音を立てて倒れた。
立ち上がった私は写真立てを起こした。
私が生まれる前に撮ったパパとママの写真。抱き合ってキスしているパパとママのこの写真は、パパのお気に入りだったらしく、ママはここにずっと飾っている。
「ママ…」
ママの名前のフォルダの存在を思い出した。きっとパパはママにも見て欲しいのだと感じた私は、リビングへ走った。
目を真っ赤に腫らし飛び込んできた私に、本を読んでいたママは驚いていた。
「どうしたの?!」
「いいから!早く!」
ママの手を引っ張り、私はラボへと戻った。
そしてママを椅子に座らせると、タオルを渡した。
不思議そうな顔をしているママに、私はママの名前入りのフォルダを開いた。
「ママ、パパからのプレゼントよ」
パパからと聞いたママは息を飲んだ。
動画を再生すると、パパが現れた。
「やぁ、ハニー」
私に向ける笑顔とは違う、ママだけのパパの笑顔に、ママは指を伸ばした。
「トニー…」
ママの目から大粒の涙が零れ落ちた。
私はそっとラボを後にした。
だってママにはパパと2人きりの時間を過ごしてほしかったから…。
***
庭に出た私はブランコに腰掛けた。
パパが作ってくれたブランコ。壊れたらその度にパパが直してくれたブランコ。
今の私には小さいけど、大切なパパとの思い出の一つ。無理矢理座り込んだ私は、星空を見上げた。
その時、風が吹いた。
温かな心地よい風に押され、ブランコが動き出した。まるで小さい頃にパパが押してくれたように…。
「パパ…?」
慌てて辺りを見渡すと、湖の上で青白い光が光った。
あれはきっと…。
「パパ!」
ブランコから立ち上がった私は叫んだ。するとフワッと大きな温もりが私を背後から抱きしめてくれた。
パパが来てくれた…。パパが会いに戻ってきてくれた…。
嬉しくて涙が次々と零れ落ちた。シクシク泣き始めた私を慰めるように、温もりは今や私の全身を包み込んでくれた。
「パパ…私ね、パパが私のパパでよかった…。愛してる…3000回愛してるよ…」
と、辺りが青白い光と共に瞬いた。きっとパパが『ありがとう』って言ってるんだと私は感じた。
暫くパパの温もりに包まれていた私は、気持ちがすぅと楽になった。いつまでもパパを独占しているのもママに悪いと思った私は、パパに告げた。
「パパ、ママのところにも行ってあげて。ママ、パパのこと、待ってるよ…」
すると、温もりが消えた。
でも、私の耳にはハッキリ聞こえた。
『モーガン…3000回…愛してる…』
そう囁いたパパの声が…。
「パパ…パパの好きなひまわりが咲いたら、また会いにきてね」
そう言葉に出すと、ブランコが音を立てて揺れた。