ピッというか細い音に、トニーはゆっくりと目を開いた。
そこは真っ白な部屋だった。
あぁ、ここは天国か…と思ったが、先程から聞こえる電子音は聞き覚えのある音で、トニーはボンヤリした視界を何とかしようと瞬きした。
何度も瞬きをすると、見覚えのない天井が見えてきた。
顔の右半分は布のようなもので覆われているようで、何も見えなかったが、左目で確認すると、点滴のようなものも見えた。
(生きてる…のか…)
確認しようと右手を動かそうとしたが、固定されているのか動かない。
(誰か……)
声を出そうとしたが、チューブが入っているため、動かすことができない。
どうすればいいかと考えていると、人の気配がした。
「スタークさん、気がつかれました?よかった」
ほっと息を吐いたその女性…つまり看護師は、モニターを確認すると頷いた。
「お待ち下さいね。今、奥様をお呼びしますから…」
足早に立ち去った看護師だが、ものの数秒もしないうちに、バタバタと足音が聞こえた。
「トニー……」
それは最愛の女性の声だった。
点滴の付いた左手を少しだが動かすと、力強く握り返してきた。その温もりは間違いなくペッパーのものだった。
左目を動かしたトニーの視界に、ペッパーが見えた。
あの時は気丈にも笑っていたペッパーだったが、今の彼女は大粒の涙を流し、真っ赤な瞳をしていた。
「トニー…トニー…」
手を握りしめたペッパーは、何度も何度も確認するように名前を呼んだ。そして左の頬にそっと手を置いた。温かかった。ペッパーの温もりがまた伝わってきた。
生きて帰ってこられた…。
奇跡が起きた…。
ペッパーの元に…そしてモーガンの元に…再び…。
ようやく実感したトニーの目から、涙が一筋零れ落ちた。涙は止まらなかった。自分でもどうしようもない程、涙は止まることなく流れ続けた。
ウンウンと嬉しそうに頷いたペッパーだが、そこへ先程の看護師が医師と共にやって来た。
「スタークさん、チューブを外しますね」
そう言うと、医師は手早く挿管されていたチューブを外した。
口の中がカラカラだった。乾いた咳をし始めたトニーに、看護師は少しだけ水を飲ませると、酸素マスクを付けてくれた。
「あなたには休息が必要です。ですからしっかり休んで下さい」
そう言い残すと、医師と看護師は部屋を後にした。
ゆっくり休めと言われても、せっかく目覚めペッパーと再会できたのだから、すぐに眠りたくはなかった。
それに、あの後のことが気になった。皆無事なのかどうかも…。自分はどうなったのかも…。そして、モーガンのことも…。
言葉を出そうと口を動かしたが、空咳しか出なかった。が、ペッパーはトニーの言いたいことが全て分かっていたので、ベッドのそばの椅子に腰掛けると、夫の左手に指を絡めた。
「あなたのおかげで、世界は救われたわ。皆無事よ。それから、モーガンも…。あの子も元気よ。早くパパがお家に帰ってきますようにって、毎日お祈りしてるわ」
返事の代わりに瞬きしたトニーは、動かない自分の右手にチラリと視線を送った。
「あなたの右手…あの時の力に耐えきれなくて…。アーマーでも持ち耐えられなかった…。酷く火傷を負ったの。右腕だけじゃなくて顔も…身体も…」
だから右腕は固定され、顔の右半分が隠れているのかと納得したトニーだが、命が助かったのだから、火傷の痕くらいなんてことない…と考えた。
「だけどね、今の技術は凄いわね。痕は残るかもしれないけど、時間が経てば治るそうよ」
微かに笑みを浮かべたペッパーだが、トニーの頬をそっと撫でた。
「私…あなたが生きていてくれた…。それだけで十分よ…」
その通りだと頷いたトニーは、何度か深呼吸すると、必死に声を絞り出した。
「ぺ…ぱ……」
「なあに?」
「さん…ぜん…かい…あい……し……」
トニーは最後まで言うことができなかった。というのも、ペッパーが頬にキスをしたから…。
「私もね…3000回…いいえ、30000回でも300000回でも愛してるわ…」
ニッコリ笑ったペッパーの目から再び涙が零れ落ちた。
妻の涙を見た瞬間、トニーは1970年にタイムスリップした時に会った父親の言葉を思い出した。
今度こそ、自分の幸せを優先してもいいのかもしれない。それは自分だけではなく、最愛の家族の幸せにも繋がるのだから…。
何年にも渡り、際悩まされていた脅威は去った。ようやく悪夢は去った。再び別の脅威はやってくるだろう。だが、自分はもうその脅威に立ち向かう必要はない。地球には…いや、宇宙には大勢のヒーローがいるのだから…。
すうっと息を吸い込んだトニーだが、鎮静剤のせいか、再び眠気に襲われ始めた。微睡んだ瞳をしている夫に気づいたペッパーは、もう一度キスをすると立ち上がった。
「少し休んで…。モーガンを連れてくるから…」
今度は目覚めることのない眠りではない。目覚めた時には、もう一人のかけがえのない存在がそばにいてくれるのだから…。
小さく欠伸をしたトニーは目を閉じると、眠りについた。
暫くうつらうつらしていたトニーは、再び温もりを感じ薄っすらと目を開いた。
「パパ…」
モーガンだ。最愛の娘は目に涙を溜めており、どこか怯えたようにトニーを見つめた。
無理もない。父親の顔は痛々しいほど包帯とガーゼに覆われているのだから…。
「パパ…おかお…」
大きな目に涙を溜めたモーガンは、何度か瞬きした。小さな涙が零れ落ち、娘の涙にトニーは胸が痛んだ。
「パパ…いたい?」
不安げな娘を安心させるようにトニーは首を振った。
と、左手に温もりを感じた。
「モーガン、パパはゆっくり休まないといけないのよ」
ペッパーの声だ。
「うん…」
小さな声で囁いたモーガンは、トニーの頬にそっと手を触れた。
「パパ、おやすみ…あいしてる」
娘の手の温もりに目を閉じたトニーは、コソコソと話す2人に聞き耳を立てた。
「ねぇ、ママ…。パパ、げんきになる?」
「えぇ、時間はかかるけど、パパは元気になってお家に帰ってくるわよ」
うん…と頷いたモーガンは暫く黙っていたが、ずっと思っていることを母親に聞いてみることにした。
「パパ…おかお、どうしたの?」
ペッパーが息を飲んだ。気づかれないように…。何と説明したら良いのだろうかと思ったペッパーだが、娘に分かりやすく話すことにした。
「パパが世界を…いいえ、宇宙を救ったってお話をしたの覚えてる?」
「うん」
頷いた娘の頭をペッパーは優しく撫でた。
「パパは、皆を助けたヒーローなの。だけどね、頑張りすぎて、大変な怪我をしたのよ…。パパはお顔にも手にも身体にも、酷い火傷を負ったの。だから今はゆっくり休まないといけないのよ」
父親がヒーローだと聞いたモーガンは、パッと顔を輝かせた。
「パパ、アイアンマンだもんね!」
嬉しそうな娘の言葉に、トニーは小さく笑みを浮かべた。
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