どのくらい時が経ったのだろうか…。
暗闇に閉ざされた空間では、何一つまともに判断することはできず、壁に寄りかかったトニーは小さく溜息を付いた。
凍えそうなくらい冷えきった床は、もはや何の希望すら見出すことも出来ず、身震いしたトニーは、薄いシャツのみを纏った身体を左腕で抱きかかえた。
と、部屋のドアが開く音がし、誰かが入ってきた。顔を向けたトニーだが、気配は感じても目隠しされた視界には何も映るはずもない。やがてコツコツという靴音が近づいてき、右手首の冷たい戒めがジャラっと音を立てた。
「おい。妙な真似はするなよ」
そう言い残した男は、ガチャンと乱暴に鉄の扉を閉めると部屋を出て行った。
しばらくすると、隣からしくしくという泣き声が聞こえてきた。
(オンナか?)
自分と同じように捕まったのなら、彼女も酷いことをされたに違いない。何処の誰かは分からないが、その女性を出来る限り守らなければと考えたトニーは、恐る恐る声を掛けた。
「なぁ…泣くな…」
と、女性が息を飲んだ。
「トニー?」
名前を呼ばれたトニーはトニーで驚いた。その声には聞き覚えがあったから…。
「ペッパーか?!」
どうしてペッパーがこの場にいるのかとパニックになっているトニーを落ち着かせるように、ペッパーは右手を彷徨わせると彼にそっと触れた。
「待って…目隠しされてるの…。取るから…」
暫くカサカサと衣摺れの音がしていたが、目隠しを外したのだろう、ペッパーが小さく悲鳴を上げた。
無理もない。トニーは身体中血塗れなのだから…。シャツも頭や目元に巻かれた包帯も血に染まっており、トニーの姿を見たペッパーの目から大粒の涙が零れ落ちた。
「トニー……」
酷い怪我をしているが、それでも彼の目を見て話がしたいと、ペッパーはトニーの目元の包帯に触れたのだが…。
「待て。このままでいい」
「え…」
ペッパーを制するように、トニーは彼女の右手を握りしめた。何もかも理由が分からず困惑しているであろう彼女に事実を知らせるのは酷かもしれないが、いずれは伝えなければならないこと。ゴクリと唾を飲み込んだトニーは、無理矢理笑みを浮かべた。
「もう…何も見えないから…」
「見えないって…」
声を震わせたペッパーは、トニーの手を握り返した。おそらく彼女は涙を流しているだろう。見えない目をペッパーに向けたトニーは、ここに来て何度も自分に言い聞かせてきた言葉を口に出した。
「ここからは…もう…逃げられないんだ」
逃げること…いや、全てを諦めたようなトニーの口ぶりに、ペッパーは胸が張り裂けそうになった。トニーはいつだって、そして何があっても簡単に諦めるような人間ではないのに、一体何をされたのだろう…。だが、本当に道は閉ざされてしまったのだろうか。トニー一人では成し遂げられなくても、こうやって二人揃えば解決の道はあるかもしれないのだから…。
「逃げましょ…。私があなたを守るから…」
暫くしてそう呟いたペッパーだが、トニーは小さく首を振った。
「無理だ」
ポツリと呟いたトニーは右手を上げた。と、二人を繋ぐ手錠がジャラッと音を立てた。
「この手錠を外せば……。私の頭と身体には…爆弾が埋め込まれている。手錠を外せば、爆発する…」
そうなれば、トニーは勿論のこと、ペッパーも無事ではすまないのだ。
呆然としていたペッパーだったが、
「何をされたの…」
とやっとの思いで呟くと、トニーの腕を震える手で掴んだ。その手を握りしめたトニーは、ここに連れて来られてからのことを、ポツリポツリと語り始めた。
どういう経緯でここに連れてこられたのかすら覚えていない。だが、気がついた時には、トニーは複数の男たちに暴行されていた。
ひたすら痛め続けられ、起き上がることもできないのに、何か薬物でも投与されたのか、不思議と痛みは感じなかった。
抵抗しようにも身体は言うことを効かず、悲鳴一つ上げることすらできないトニーは、ただ人形のように痛めつけられた。
全身の骨が砕け、血塗れになっても、男達は手を止めなかった。やがて、肺が傷ついたのか、息をすることすら困難になり始めた頃、リーダー格の男が近づいてきた。
「これ、何か知ってるか?」
ぼんやりとした頭では、考えなど思い浮かぶはずもなく、トニーは男の手中にある注射器を見つめた。くくっと笑った男は、トニーの首元に針を刺した。シリンジの中身を全て打ち終えた男は注射器を投げ捨てると、今度は背後からナイフを2本取り出した。
「エクストリミスって言うんだよな。お前が完成させたんだろ?だが、お前が破棄したせいで、資料は残っていない。世の役に立つ貴重なものをお前は破壊したんだぞ?勿体ない。実に勿体ない。だから再現してみた。後は実験するのみ…。お前でな!」
と、視界が真っ赤に染まった。が、それも一瞬だった。目の前はすぐに暗闇に包まれ、トニーの目には暗闇しか映らなくなった。生温いもので顔面が覆われ、何が起こったのだろうかと唇を震わせるトニーに、男は肩を竦めた。
「おかしいな。治らないぞ?失敗か?」
ふぅと溜息を付いた男は、せせら笑いを浮かべた。
「すまんな。失敗だ。心配するな。お前の目が見えなくなった、ただそれだけだ」
(何だと…)
視力を奪われた…。それも永遠に…。
痛みを感じないはずなのに、ズキズキと全身が痛み始め、トニーの悲痛な叫び声が響き渡った。
叫び声に耳を塞いだ男は、立ち上がるとトニーの腹部を踏みつけた。
「煩いぞ!」
腹を思いっきり蹴られむせ込んだトニーの両脇を抱えた男達は、引き摺るように移動し始めた。
「お前は実験台だ。試作品が完成する度に、お前に投与してやる。だが、逃げられたら困る。お前は一生ここから逃げられない」
男達は冷たい台の上にトニーを拘束すると、頭と腹部に何かを打ち込んだ。
「お前の頭と身体に爆弾を埋め込んだ。それから…」
右手首に冷たい手錠が掛けられ、ぐったりとしたトニーの耳元で男は楽しそうに囁いた。
「この手錠は、起爆装置になっている。外そうとすれば、お前の体内の爆弾が爆発するぞ…」
それから日に何度か試作品を投与された。どれも未完成のため、トニーは様々な苦痛に襲われた。頭痛や吐き気に襲われるくらいならマシだった。全身を耐えられない程の痛みに襲われ、このまま死んでしまいたいと思ったこともある。身体ごと焼き付くされそうになったこともある。だが、このままここで朽ち果てる訳にはいかない…ペッパーにもう1度会いたい…その気持ちを支えに、トニーは一人苦痛と闘っていたが、終わりの見えない日々に心は限界だった。このまま生きていても、彼らの実験台にされるだけ…。そして成功しても、そのうち殺されて終わりだろう…。それならば、次はあの地獄のような苦痛に身を委ねて、命を絶とう…。そう考えていた矢先、ペッパーがここに連れてこられたというのだ。
話し終え、ふぅと深呼吸したトニーは、泣いているのだろう、鼻を啜っているペッパーに声を掛けた。
「ペッパー、君はどうしてここに…」
涙を拭ったペッパーは、トニーの右側に座り直した。
「あなたが行方不明になったのは2週間前よ。何のなく手掛かりもなくて、あなたは見つからなかった…。それが今朝、FBIが来たの。あなたは無事に保護されて病院に搬送されたと言われて…疑いもせずに彼らについて行ったわ…。でも、嘘だったの。あなたに会えたことは事実だけど…」
首を振ったペッパーは、自分と同じことをされたのではないかと顔色を変えたトニーを安心させるように、彼の肩に頭を持たれかけた。
「でも、何もされていないわ。すぐにここへ連れ来られたから。目隠しをされて…」
と、その時。鉄の扉が耳障りなくらい大きな音を立てて開いた。
「試作品が完成した」
またあの悪夢のような時がやって来た…。トニーの顔に恐怖の色が滲み、彼は身体を震わせ始めた。
と、トニーの前にペッパーが立ち塞がった。トニーを守るように両腕を広げたペッパーは、男を無言で睨みつけた。
『これ以上、トニーを傷つけさせない』
ペッパーの力強い瞳はそう語っていたが、そんなペッパーを嘲り笑った男は、嫌な笑みをニタニタと浮かべた。
「おい、オンナ。お前を連れてきたのはな、スタークが死んだ時の代わりだ。いいんだぞ?お前で実験しても。お前にとっては2度目…かもしれないがな」
何故そのことを知っているのかと顔色を変えたペッパーだが、あの時の苦痛が脳裏に蘇り、彼女は小さく震えだした。
見えないながらもペッパーの恐怖を感じ取ったトニーは、ペッパーの腕を引っ張ると自分の背後に隠した。
「ペッパーには手を出すな!」
そう叫びながら男たちに立ち向かおうとしたトニーだが、弱り切った身体は言うことを聞くはずもなく、逆に男たちに羽交い絞めにされた。
「トニーを離して!!」
ペッパーの悲鳴に大丈夫だと答えようとしたトニーだが、首筋にチクリと痛みを感じると同時に、身体中に炎が包まれた。今まで感じたことがないような燃えさかる炎に全身を焼き尽くされ、トニーは叫び声を上げた。
「トニー!!」
ペッパーの泣き叫ぶ声が聞こえるが、両目どころか頭の中を火挟でかき回されているかのようで、あまりの激痛と灼熱の地獄に、トニーは身を委ねそうになった。だが、遠くで聞こえるペッパーの声が辛うじてトニーを繋ぎとめていた。
(ペッパー……ペッパーを…守らなければ…)
トニーは必死でペッパーのことを考えた。
この炎に燃え尽くされないようにと…。
だが、いつまでも激痛に逆らえるはずもなく、トニーの意識はぷっつりと途絶えてしまった……。
遠くで聞こえていた、ピッという電子音がやけに鮮明に聞こえ、トニーは重たい瞼をゆっくりと開いた。暗闇しか見えなかった世界のはずなのに、今や真っ白な光に包まれており、眩しくて仕方ない。
何度か瞬きすると、ボンヤリしていた視界が次第にハッキリとし始め、見慣れた顔が見えた。
「やぁ、トニー。目が覚めたかい?」
「…ブルース…」
友人である科学者はトニーの酸素マスクを外したが、まだ頭がしっかり働いていないトニーは、自分が置かれている状況が理解できなかった。
「目が…見える…」
困惑しきっているトニーを安心させるように、ブルースは大きく頷いた。
「あぁ。エクストリミスのおかげだ。最後に投与された物は不完全だったけど、君の傷を治してくれたんだ」
つまり傷つけられた目は治り、そして自分たちもあの連中から無事逃げることができたということだろうか…。目をぱちくりさせているトニーにブルースは話を続けた。
「そして君は敵を全員倒し、監禁されていた場所からペッパーと2人で逃げ出した。そして君を捜索していた警察に無事保護された。あ、君を痛めつけた連中も逮捕されたよ」
ニコッと笑みを浮かべたブルースだが、真剣な面持ちになると声を潜めた。
「君は病院に運ばれたけど、体内のエクストリミスは非常に不安定な状態だった。君は意識不明だったけど、エクストリミスはいつ暴発するか分からない。ペッパーから連絡を受けたもののどうしたものかと思案していたら…。君が完成させたエクストリミスのデータ、J.A.R.V.I.S.が秘密裏に保存していたんだ。だからそれを元に、君の体内のエクストリミスは取り除いたよ」
ようやく視界と意識がはっきりとしてきたトニーが辺りを見渡すと、そこは見慣れたタワーのラボだった。
安心したようにふぅと息を吐いたトニーだが、彼には自分のことよりも心配なことがあった。それは…。
「ペッパー……ペッパーは…」
「無事だよ。ほら…」
顔を横に向けたブルースを倣い視線を移すと、ペッパーはベッドに顔を伏せ眠っていた。トニーは気づいていなかったが、ペッパーの左手は彼の右手を固く握り締めていたのだ。
「少し休むように何度も言ったんだ。でも、彼女、君のそばを離れようとしないんだ」
1週間もこの状態だから、さすがに疲れてるんだよと微笑んだブルースは立ち上がると、足音を忍ばせラボを後にした。
すーすーと寝息を立てて眠るペッパーを暫く見つめていたトニーだが、目を覚ましたことを伝えようと、繋いだ手に軽く力を入れた。
と、もそもそと身体を動かしたペッパーがゆっくりと顔を上げた。
「やぁ、ハニー」
何度か瞬きをしたペッパーだが、その目にはみるみるうちに涙が溜まり始めた。
「トニー……」
掠れた声で囁いたペッパーは、顔を崩すとトニーに抱きついた。そのまま暫くの間、泣きじゃくっていたペッパーだが、落ち着きを取り戻すと、しゃくりあげながらも顔を上げた。
「怖かった…あなたを失うんじゃないかって……」
ペッパーの背中を撫でたトニーは、彼女の額に軽く口付けした。
「もう大丈夫だ。大丈夫だから…」
ウンウンと頷いたペッパーは、涙を拭うとトニーの胸元に顔を押し付けた。
「ペッパー、ありがとう…」
ペッパーの髪を撫でながらトニーは言葉を続けた。
「君があの時、来てくれなければ…私はきっと全てを諦めていた。君がいてくれたから乗り越えられた…。戻って来られた…」
顔を上げたペッパーは、顔を歪めると首を振った。
「私ね、決めたの。あなたが必要な時には必ず側にいるって…。何があっても、絶対にそばにいるって…」
トニーの手を握りしめたペッパーは、起き上がるとトニーの隣に横になった。そして彼の身体を抱え込むように抱きしめた。
「この先、何年…いいえ、何百年先も永遠に…そばにいるわ…。だからもう少し眠って…。しっかり休まなきゃ」
あぁ…と小さく声を出したトニーは、ペッパーの胸元に顔を埋めると目を閉じた。
すぐに心地よい寝息が聞こえてきた。安心しきった子供の様に眠るトニーの髪にキスをしたペッパーも、目を閉じた。