『ミセス・スターク。おはようございます。5月30日。8時にございます…』
F.R.I.D.A.Y.の声に目を擦りながら起き上がったペッパーは、起き上がると大きく伸びをした。
昨夜は誕生日のプレゼントだと一晩中トニーに美味しく戴かれたのだが、そのトニーはとっくに起きたのか、彼が眠っていた側のシーツはすっかり冷え切っていた。
2人きりの生活ならば少々乱れた格好でも許されるであろうが、今は息子がいるのだ。手早くシャワーを浴び身支度を整えたペッパーは、寝室を後にした。
キッチンを覗くと、何やら香ばしい香りがするではないか。
「おはよう、ハニー」
「ママ、おはよ!」
やや焦げたパンケーキを皿に盛ったトニーはそれを息子の前に置くと、フライパンに生地を流し込んだ。
「おはよ。2人とも、早いわね」
朝が苦手なルーカスがこの時間にすっかり身支度を整えているのも、料理が苦手なトニーが率先して朝食を作っているのも珍しい。
今日は予定があったかしらと首を傾げるペッパーをちらりと見たトニーは、パンケーキをひっくり返しながらルーカスに目配らせした。
すると、口いっぱいに頬張っていたパンケーキを飲み込んだルーカスは、フォークを振り回した。
「きょうはね、おでかけするんだよ」
「お出かけするの?」
喋りたいのに喋れないというように口をもごもごさせるルーカスに、眉を吊り上げたトニーは咳払いをした。父親の咳払いにビクッと肩を震わせたルーカスは、慌てて母親に向かって告げた。
「ないしょ!」
唇に指を当てたルーカスは、ペッパーから目を反らすとパンケーキを口に押し込んだ。息子の可愛らしい仕草に頬を緩めたトニーは、パンケーキを載せた皿をペッパーの前に置くと、息子に向かってウインクした。
「ママには内緒だ。男同士の約束なんだよな、ルーカス?」
父親の助け舟にパっと顔を輝かせたルーカスは、ヒヒっと笑い声を上げた。
「うん!やくそくなの!」
親子揃ってニヤニヤする2人を見比べたペッパーだが、きっといつものトニーのサプライズが待ち受けているのだろう、それならば聞いても無駄だと考えると、トニーの淹れてくれた紅茶を啜った。
朝食を食べ終わると、ルーカスを抱き上げたトニーは、ペッパーの手を引くとエレベーターへ乗り込んだ。
「トニー、出掛けるなら用意しなきゃ…」
何も身支度できていないというペッパーの言葉を無視したトニーは、地下の駐車場でエレベーターを降りた。すると目の前には、何故か窓にカーテンの引かれたリムジンが待ち構えていたのだ。
「どこに行くの?」
状況が分からず狼狽えるペッパーをリムジンに押し込んだトニーは、ポケットからアイマスクを取り出した。
「ハニー、君を驚かせたいから、これを付けさせてくれ」
有無を言わせず目隠しされたペッパーは、何度もトニーに行先を尋ねたが、ものの10分も経たないうちに、車は停車した。
どうやら目的地に着いたようだが、トニーはアイマスクを外してくれない。そうこうしているうちに、トニーはペッパーを抱き上げ、建物内に入って行った。
「ここ、どこ?」
コツコツと響く靴音しかしない場所に、ペッパーは小さく身震いした。
首筋に軽くキスをしたトニーは、2人きりの時に出すような甘ったるい声で囁いた。
「言っただろ。秘密だと」
「そうだよ、ひみつだよ!」
ルーカスもこのサプライズには一枚噛んでいるのだろう。こうなったら2人…いや、主にはトニーにだが、身を任せるしかない。と、ペッパーが考えていると、ドアが開く音がし、彼女はフワフワのソファーの上に降ろされた。
「さぁ、着いた」
目隠しを外されたペッパーは、眩い光に目を閉じたが、再び目を開くと、目の前には何とウェディングドレスが飾ってあった。
「え……トニー……これって……」
ドレスとトニーを見比べていたペッパーは、混乱しているのか、唇を震わせた。
鼻の頭を擦ったトニーは、隣でニコニコしているルーカスの頭を撫でた。
「今日は結婚式だ。2回目だが、家族が一緒に暮らせるようになったんだ。だから新たな出発だろ?それに、君にウェディングドレスを着てもらいたかった。ベガスでの式は、急だったからワンピースだっただろ?一生に一度なんだ。だから…」
トニーの言葉にくしゃっと顔を歪めたペッパーは立ち上がると彼に抱きついた。
シクシク泣き始めたペッパ―の背中を撫でたトニーは、口の端を上げた。
「気に入ってくれたか?」
何度も頷いたペッパーは顔を上げるとトニーにキスをした。
「当たり前よ。ありがとう…本当に嬉しいわ…」
トニーの選んでくれたドレスは、贅沢にレースがあしらわれたロングスレーブのドレスだった。
髪をアップにし、綺麗にメイクを施されたペッパーは、仕上げにマリアベールをかぶせてもらった。
「お綺麗ですわ、ミセス・スターク」
(トニーは気に入ってくれるかしら…)
鏡の中の自分に向かって微笑んだペッパーは、ブーケを受け取ると立ち上がった。
祭壇の前にはトニーがいた。
トニーのタキシードの胸元には、ペッパーが髪飾りにしている花と同じものが飾ってあった。
ゆっくりと歩み寄ると、トニーは蕩けるような笑みを浮かべた。
「ハニー、言葉に出来ないくらい綺麗だ」
「ありがと」
フフッと笑みを浮かべたペッパーは、再びトニーと愛を誓い合えることを心の中で感謝した。
参列者はルーカスとハッピー、そしてローディだけという小さな式だったが、ラスベガスでの家族だけの式とは違い、友人達に心から祝福してもらい、トニーもペッパーも喜びを隠しきれないでいた。
たくさんの写真を撮り、ハッピーとローディから祝福された2人は、手を硬く握り合った。幸せそうに見つめ合ってばかりの2人を見たローディは、ルーカスの髪を撫でた。
「ルーカス、今日はローディおじちゃんの家に泊まりに来ないか?」
大好きなローディおじさんからの提案に、ルーカスは顔を輝かせた。
「うん!おとまりする!ウォーマシーン、みせて!」
「いいぞ」
トニーとペッパーに顔を向けたローディは、2人に向けて悪戯っ子のようたウインクした。
「ということで、今夜は2人でゆっくりしろ。ルーカスは預かるから」
つまり、そういうことだと言うようにニンマリと笑ったローディの言葉に、2人は遠慮なく甘えることにした。
車に乗り込もうと教会の外に出ると、どこから聞きつけたのか、カメラを構えたパパラッチが数人、待ち構えていた。
ペッパーを守るように手を広げたトニーに向かって、無数のフラッシュがたかれた。
「スタークさん!どういうことですか?!」
「ミス・ポッツとは破局したんではなかったんですか?」
ローディと手を繋いだルーカスは、眩いフラッシュに驚き、泣き出しそうになっている。
無言のままペッパーたちを車に押し込んだトニーは、
「ノーコメントだ」
と告げると、急いでリムジンに乗り込んだ。
ドアが閉まるや否や、運転席に回ったハッピーは車を急発進させたのだが、パパラッチも負けてはいなかった。特ダネを逃してなるものかと、彼らはトニーたちの車を追跡し始めたのだ。
「どうするんだ?付いてきてるぞ?」
心配そうなローディに、ふぅと溜息を付いたトニーは、運転しているハッピーに告げた。
「ハッピー、先にタワーに寄ってくれ。正面に付けてくれればいい。私たちが降りれば、マスコミの追跡も終わるだろう」
「了解です、ボス」
ペッパーに抱かれ震えている息子に優しい視線を送ったトニーは、ローディに顔を向けた。
「ローディ、明日の夕方までルーカスを頼むぞ」
「任せろ」
胸を叩いたローディだが、顔を上げたルーカスは不安げにトニーを見つめた。
「パパ…、ぼく……こわい…」
目に涙を溜めた息子にトニーの胸は傷んだ。出来ることならずっと抱きしめておきたい。だが、恐らくマスコミは、ペッパーとルーカスの写真を撮ろうとヘリをタワーの周囲に飛ばしてくるだろう。息子を守るためには、今日は彼をタワーから遠ざけておくのが一番だ。ペッパーを見ると、彼女も同じことを考えているようで、小さく頷いた。
「ルーカス、今日はローディおじさんのお家にお泊まりしてくれる?」
息子の頭を撫でたペッパーだが、彼は頬を膨らませると叫んだ。
「パパとママといっしょがいい!」
グズグズと泣き始めたルーカスの頬の涙を拭ったトニーは、彼をペッパーから受け取ると膝の上に乗せた。
「なぁ、ルーカス。さっきの奴ら、見ただろ?」
父親のジャケットを握りしめたルーカスは、しゃくり上げながら頷いた。
「うん…ピカピカしてて、こわかった…」
息子の頭を撫でたトニーは、彼の背中をポンっと叩いた。
「ルーカスが怖いなら、パパはあいつらをやっつけなくちゃいけない。パパはアイアンマンだからな。だから、パパはこれからあいつらをやっつけに行く。ママはその手伝いをしてくれるんだ。でも、あいつらはルーカスみたいな子供にも襲いかかってくるんだ。ルーカスが怪我をしたら大変だ。ルーカスはパパとママがあいつらをやっつけるまで、ウォーマシーンと一緒にいてくれ。いいな?」
トニーの話を黙って聞いていたルーカスだが、父親がさっきの『悪いヤツ』をやっつけに行くと知ると、神妙な顔をして頷いた。
「うん。わかったよ、パパ。ぼく、ローディおじちゃんとおるすばんしてる。だから、パパ、まけないでね」
トニーにギュッと抱きついたルーカスだが、何か思いついたのか、顔を輝かせた。
「ねぇ、パパ。アイアンマンがね、まけそうになったら、おしえてね。ウォーマシーンとぼくが、アイアンマンをたすけにいくから!」
リパルサーを放つポーズをしたルーカスに、ローディとペッパーは思わず苦笑いしたが、トニーは顔を顰めた。
「おい、ルーカス。アイアンマンは最強だぞ?お前たちの助けはいらないからな!」
タワーの前に到着すると、連絡を受けていたのか、先ほどの倍以上のマスコミが待ち構えていた。
「いいんですか、ボス?」
運転席から振り返ったハッピーは、あまりのマスコミの多さに不安げだ。
「来週末のパーティで発表する予定だったんだ。今日は写真くらい撮らせてやるか…」
やれやれと首を振ったトニーは、ペッパーの手を握りしめた。
「ハニー、すまないが、暫く我慢してくれ」
「いいのよ。それに、何だか懐かしいわね、この感じ」
クスクス笑みを浮かべたペッパーにキスをしたトニーは、車のドアを開けると外に出た。
トニーが車から降り立つと、一斉にフラッシュがたかれた。そしてトニーの後からペッパーが降り立つと、その数は増え、辺り一面光の壁に阻まれたようになってしまった。2人に向かって必死にカメラを向けるマスコミ。その間にリムジンは走り去ったが、トニーの予想通り、誰も追跡する者はいなかった。
ドレスの裾を直したペッパーは、トニーに腕を絡ませると歩き始めた。まるでバージンロードを歩くかのようにゆっくりと歩く2人だが、矢継ぎ早に浴びせられる質問には無言を貫いていた。
そのまま無言で歩き続けた2人は、タワーの入口にたどり着くとマスコミの方へ向いた。そして作ったような笑みを浮かべ、ひとしきり写真撮影に応じると、手を振りながらタワーへと入って行った。
