You’ll be mine.㉙

「陛下はあの拷問で、心を病んでおいでです」
眠るトニーの手を握り、彼の額の汗を拭ったヴァージニアに、ブルースは首を振った。
あの2日間、トニーの身に何があったのかは誰も知らなかった。あの場にいた者…マヤもハマーも亡くなり、トニー自身もあの時のことは頑なに話そうとしなかったからだ。
「お気持ちを話して下されば、少しは気分も楽になると思いますが…」
溜息をついたブルースだが、トニーは昔から胸の内を秘めがちだし、辛い経験を無理矢理思い出させるのも如何なものかと、誰も聞き出せないでいたのだ。
「私にも話してくださらないんです。今の陛下には、あの時のことは思い出すのも辛いこと…。ですから、もう少し待ちましょう…」
苦しそうに眉間に皺を寄せているトニーの頬を撫でたヴァージニアは、ブルースに向かって悲しそうに微笑んだ。

***
結局、世俗から離れゆっくりと休養した方がよいだろうというブルースの提案もあり、トニーはヴァージニアとハワードと、お供にハッピーを連れ、湖畔の別荘へとやって来た。

「ここは静かだな…」
ベッドに身体を起こしたトニーは窓の外を見つめた。森から吹き抜ける風は木の香りがし、太陽の光の反射する湖はキラキラと輝いている。城の部屋から見える風景とは違い、自然を感じることのできる環境に、トニーの心は落ち着きを取り戻しつつあった。
だが、不安は拭えなかった。むしろ募る一方だった。
皆が自分のことを心配してくれているのは分かっているし、嬉しかった。あの時の話題に触れないようにしてくれる心遣いも嬉しかった。だが、何処かよそよそしいのだ。まるで腫れ物を扱うかのように、顔色ばかり伺ってくるのだ。そしてこのままでは復帰できそうにない、それならば退位されてはどうかという陰口も聞こえてきたため、期待はいつの間にか失望へと変わっているのだと感じた。
身体の回復ばかりはどうにもできないのは分かっている。だが、一人で歩くこともできず、食事でさえも介助が必要だ。それに食欲もなく、食べてもすぐに戻してしまい、体力をつけるどころか体重は減る一方だった。そんな状況にもがけばもがくほど、苦しみは増していった。
こんな状態になるのなら、あの時死んでいた方がよかったのかもしれない…。
悪夢に襲われ眠れぬ夜を過ごす中で、幾度となく考えた。今死ねば、皆に迷惑掛けることもなくなると…。ナイフを手首に当て、そのまま身体を切り裂きたくなったこともある。だが、そんな時、ヴァージニアとハワードのことを考え思いとどまった。2人の悲しむ姿はもう見たくなかったから…。

お前はあの時死ぬべきだった…

ふと夢の中の男の言葉が蘇り、トニーは目をキュッと閉じた。目の前が暗闇に包まれ、あの男が現れた。右手に持っていた剣を突きつけた男は、左手を伸ばすと首を掴んだ。指に力が入り、息が出来なくなってきた。
(助けてくれ…)
そう願ってみたものの、男は嘲り笑った。

お前は死ぬべきだ。何度言えば分かる。お前は生きていてはいけない…。お前の罪は赦された訳ではない。死して償え…。さあ、今すぐ死ね!

男の剣が振り下ろされた瞬間、辺りが光に包まれた…。

「トニー?頭が痛みますか?」
優しい声に目を開けると、ヴァージニアが心配そうに覗き込んでいた。どうやら夢を見ていたようだが、夢の中の出来事のはずなのに、首元は酷く痛み息苦しい。どこまでが現実でどこまでが夢なのだろうか…。震える手を握りしめたトニーは黙ったままで、ヴァージニアは静かにトニーの隣に腰を下ろすと、背中を摩り始めた。
優しく温かな感触に、トニーはそっと目を閉じた。今度は暗闇に包まれなかった。男の声も聞こえなかった。ヴァージニアがそばにいる時だけは、安心して過ごすことができたのだ。
ハワードは別室で昼寝中だ。すなわち、しばらくは妻と2人きりで過ごせる。昨日は悪夢のことを話せなかったが、今なら誰にも邪魔されずゆっくりと話すことができるだろう…。そう考えたトニーは何度か深呼吸をすると、重い口を開いた。
「ジニー…私は生きていてもいいのか?」
一体何を言い出すのかと目を丸くしたヴァージニアは言葉を失ってしまったようだ。口を開けたままの妻をチラリと見たトニーは、絞り出すように声を出した。
「私はあの時、死ぬべきだったのかもしれない…。過去の罪を贖うために…」
どうしてそんなことを考えたのかヴァージニアはさっぱり分からなかったが、トニーは自ら死ぬことを考えていると悟り、顔色を変えた。
「そんなことありません!あなたは…陛下はこの国にとって必要なお方です!」
手を握りしめたヴァージニアは、トニーに向き合うと首を振った。
「それに…私とハワードにとっても、なくてはならないお方です…。あなたは私のたった一人の夫であり、最愛の方です。ハワードにとってもたった一人の父親です。私たちには、あなたなしの人生なんて…考えられません…。ですから…そんな悲しいこと…仰らないで下さい…」
ポロポロと涙を零すヴァージニアだが、トニーは顔を伏せ黙ったままだ。

(トニーは極限まで追い詰められていらっしゃる…。それならば、少しずつでも彼の不安を取り除かねば…。そのためにここへ来たんだから…)
そう感じたヴァージニアは、涙を拭うとトニーの横に座りなおすと、肩を抱き寄せた。
「どうしてそんなことを考えられたのですか?」
すっかり痩せてしまった身体を撫でると、トニーはポツリと呟いた。
「夢を見る。毎晩恐ろしい夢を…」
「どんな夢です?」
ちらりと妻を見つめたトニーは、ふうと大きな息を吐き出した。
「何もない部屋に閉じ込められ…痛めつけられる…。声を出すこともできず…手足をもがれ…。痛みは続く…永遠に…」
言葉を切ったトニーは声を震わせた。
「私一人ならよい。だが…お前達も傷つけられる…。目の前でお前たちが殺されるのに…私は何もできない…。ただ黙って見ているしかできない…。報いだと言われた…。私の過去は…女性を傷つけ快楽を覚えていたことは…死に値するほど罪深い…。彼女たちの人生を狂わせ…奪ってしまった…。だが、死して過去の罪を贖わず、私は生きることを選んだ…。だから罰としてお前たちが傷つく姿を永遠に見せられるのだと…。毎晩、お前たちが傷つけられる夢を見るのが罪ならば、私はあの時死んだ方が良かったのかもしれない…」
まさか彼が毎晩悪夢に苦しめられていたとは知らなかった。共に眠っていなかったとはいえ、一人苦しむ夫に気付けなかった自分をヴァージニアは恥じた。
苦しそうに息を吐いたトニーは、拳を握りしめた。
「生きることが…こんなにも辛いことだとは思わなかった…。あの思いは二度としたくない…。もう誰も傷つけたくない…。だから…いっそのこと…」
『死なせてくれ』
言葉にこそ出さなかったが、トニーの表情はそう語っていた。
「すまない…ジニー…、すまない…」
目をギュッと閉じたトニーは頭を抱えると小さく震え始めた。
初めて見るトニーの姿にヴァージニアの胸は痛んだ。
トニーは身体だけではなく、心に大きな傷を負ってしまったのだと…。そしてそれを誰にも告げられず、苦しんでいるのだと…。そしてこのままでは、彼は自ら自滅の道へと進んでしまうだろうと…。
だが、それだけはできない。想像以上に事態は深刻だが、このまま彼を一人苦しめ続けるなんてことはできるはずがなかった。
(彼の苦しみは私の苦しみでもあるのよ…。だから私が彼をしっかり支えなければ…)
涙を拭ったヴァージニアは、顔を伏せ震えるトニーの身体を抱きしめた。
「トニー、大丈夫です。私とハワードはあなたのそばにいます…。何があっても、絶対にそばにいます。いつだって私たちはあなたの味方です。それに、あなたを傷つける者がいれば、私たちがあなたを守ります。ですから、トニー、自分は死ぬべきだったなんて考えないで下さい。あなたにはまだやるべきことがたくさんあるんです。ですから神様は、あなたをまだ生かしておいでなんです…」
トニーは黙ったままだが、ヴァージニアの背中に回された腕はもう震えていなかった。
「私はあなたの光なんですよね?」
髪を優しく梳きながら尋ねると、トニーは小さく頷いた。
「あぁ…」
くぐもった声を出したトニーは、ヴァージニアの胸に顔を埋めた。
「あなたは今、闇の中にいらっしゃるかもしれません。ですけど、私が救い出してみせます。だから、一緒に歩かせてください。あなたの手は、何があっても絶対に放しませんから…」
安心させるように何度も言い続けると、トニーはあの事件以来初めて声を上げて泣いた。

㉚へ…

残り2話+番外編2話予定です!

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