冷たい水を浴びせられ、トニーは無理矢理目を開けた。
「まだ生きてるの?」
ボンヤリと見えたのはマヤの姿。またあの苦しみしかない時が訪れたのかと、トニーは顔をしかめた。
「死にたいでしょ?痛いわよね。でも、すぐには殺さない。ジワジワ殺してあげるって言ったでしょ?そうね、あんたの手をもぎ取るっていうのはどう?今日は右手、明日は左手…。まだ生きてたら、明後日は右足…と順番にね。そして最後は城外に連れ出して、皆の目の前で首を切ってあげるわね。いい考えでしょ?」
ククッと笑ったマヤに、もはや喋ることすらできないトニーは抵抗するように呻いた。
「嫌なの?そんなに私が嫌い?」
すぅっとマヤの顔から笑みが消えた。キッとトニーを睨みつけたマヤは、凍てつくような表情になると、昨日と同じように棍棒を手に取った。
「私はね、好きでもない男と結婚したのよ!国のためにね!あんたは愛するオンナと結婚した!どうして私が犠牲にならないよいけないのよ!あんたのせいよ!あんたのせい!」
そう叫びながら、マヤはトニーを叩き続けた。
半分意識のないトニーは、声一つ上げず反応しなかった。
「聞いてるの?!トニー!返事をしなさいよ!」
キィっと叫んだマヤは、今度はナイフを手に取ると、トニーの身体を闇雲に刺し始めた。
と、そこへハマーがやって来た。
『スターク王を捕虜とした。城への秘密通路を聞き出そうと多少痛めつけたが、口を割らないため、明日には休戦と引き換えに解放しようと思う』と、マヤから昨日聞いていたが、心配になり様子を見に来たのだが、ドアを開けたハマーは腰を抜かしそうになった。血飛沫が辺り一面に飛び散り、部屋の中央には血塗れのスタークと、返り血を浴びた妻の姿があったのだから…。
「おい!まさか…殺したのか?」
トニーに駆け寄ったハマーは顔面蒼白になっている。
「まだ生きてるわ。そろそろ死ぬんじゃない?」
慌てふためいている夫を睨みつけたマヤは、トニーの腹部に刺さっていたナイフを抜くと床に落とした。
トニーの首元に手を当てると、まだ僅かに脈打っている。つまりトニーはまだ生きている。早く解放しなければ、取り返しのつかない事態になる。
拳を握りしめたハマーは、マヤに向かって捲し立てた。
「お前はスタークを殺すか気か?!殺しはしないと約束しただろ?痛めつけてすぐに送り返すと約束したではないか!」
「そんなの知らないわよ!あんたが意気地なしだから、私がこいつを殺してやってるんじゃないの!」
誰も殺せとは頼んでいない。今回の戦も、揺さぶりを掛けて休戦し、今よりも条件の良い条約を結ぼうと思っただけで、本気でスターク国を滅ぼそうと思った訳ではなかった。むしろ、スターク国とはトニーの代になってから、持ちつ持たれず上手く付き合ってきたつもりだった。それをマヤは全てぶち壊したのだ。
「殺すだと?ふざけるな!お前はスターク国の恐ろしさを分かっておらぬ!もしスタークを我が国が殺したとなると…あの国の兵力に我が国は勝てぬ。お前は我が国を滅ぼすつもりか?!」
ここまで築いてきたものが台無しだと詰め寄った夫をマヤは鼻で笑った。
「叩きのめしてたら、勝手に死んだことにしておけばいいのよ。それに、こいつが息絶えたら、首を斬って、送り返してやりましょう。身体は切り刻んで、犬の餌にでもすればいいわ!首だけのトニーを、あのオンナは抱きしめて泣けばいいのよ!」
憎悪に燃える妻は、自分の愛したマヤではなかった。だが、こうなった以上、もうどうすることもできない。おそらく、今日にでもスターク国は攻めんでくるだろうから…。
その時、外から爆発音が聞こえた。
と、同時に、1人の家臣が部屋に飛び込んできた。
「陛下!スターク国の兵が、城内へ攻め込んで来ました!」
時すでに遅し…。もはや国は滅びるだけだ…。
「お前のせいだ。お前は我が国を破滅させた…」
頭を抱えたハマーは、高笑いをする妻の手を取ると、少しでも終焉の時を遅らせようと、逃げ出した。
***
「…さま……トニー様…」
遠くから聞こえる声にトニーは薄らと目を開けた。この場にいるはずのないヴァージニアの声が聞こえ、とうとう幻聴まで聞こえ始めたと、トニーは首を振った。
「……に……」
名を呼べば幻影でも見れるかと考えたが、口からは血が零れ落ちるばかりで言葉すら出ない。
と、部屋に誰かが入って来た。
もはやぼんやりとしか見えない目ではそれが誰だか確認することすらできないが、きっと待ち焦がれたヴァージニアだろう…。
(ジニー…来てくれた…)
最期に彼女の姿をしっかりと捉えようと目を開けようとしたトニーだが、息を詰まらせた。腹の奥底からこみ上げてきた血の塊が喉を通りすぎ、ダラダラと口から流れ落ちた。
(ジニー…)
必死で息を吸おうとしたトニーだが、心臓を鷲掴みにされたように胸が痛み始めた。
(お願いだ……最期に…ジニーに……愛してると……)
もはや死からは逃れることはできない。結局、最期に何も言葉を遺すこともできなかった。温もりも何も遺してやれないまま、こんな形で永遠の別れを迎えなければならないなんて…。
(ジニー……ハワード……すまない……)
身体を痙攣させたトニーは口から大量の血を噴き出した。ようやく大きく一息吐き出すことのできたトニーだが、目を閉じると首を垂れた。
「そんなにあのオンナがいいの?」
トニーの最期の瞬間を見届けたマヤは、ドアを閉めると鍵を掛けた。
髪は乱れ、血に塗れた服は破けたマヤは、数分前の夫の最期の姿を思い起こした。
夫である国王は、スターク国の兵士に首を切られた。最期に彼は自分を逃し、自ら首を差し出したのだ。
『マヤよ、すまなかったな。お前の苦しみ理解してやれなかった。不甲斐ない夫ですまなかった。私の愛ではお前を救えなかった…。許してくれ…。お前は逃げろ。逃げて生き延びろ。これからは、お前の人生を生きろ』
夫は本当に自分のことを愛してくれていた。最後の最後で気づいたが、もはや全てが遅かった。
夫は逃げろと言ったが、逃げ場はないのだ。
夫も死に、トニーも死んだ。だからもう、生きる意味がないのだ。
トニーに近づいたマヤは、彼に抱き付いた。
「トニー…私は殺される。あなたを殺した罪でね。だから最後くらい、正直になるわ。あなたを愛してる…。どうしようもないくらい、あなたのことを愛してるの…。あなたはずっと私の世界の中心だった…。あなたが私に優しくしてくれるのが嬉しくて、いつもあなたに命令してばかりだったわ…。でもあなたは…私を見てくれなかった…。当たり前よね。だって、私…あなたのことを見てなかったから…。あなたのこと、理解しようとしてなかった…。この間言われて考えたの。私はあなたに命じてばかりで、一度もあなたの話を聞かなかったって…。あなたを労わってあげたこと、一度もなかったって…。だからあなたはずっと窮屈だったんでしょ?あなたの存在の大きさに気づいたのはね、この国に嫁いでからだったわ…。遅すぎよね…気付くのが…。でも、あのまま結婚していても…私はあなたに相応しくなかったわ。あなたのこと、全て受け入れることができないから…。でも、今のあなた、本当に幸せそう…。彼女のおかげでしょ?彼女があなたを変えてくれた…」
本当はとっくに分かっていた。
彼女だから彼は幸せになれるのだと…。
だが、幸せそうな彼を見るのが辛く、口を開けば罵ってしまった。憎くてたまらなかった。そして考えた。彼と幸せになれるはずたったのだから、共に死ねばあの世で結ばれるかもしれないと…。だが、間違っていた。死という選択をしなくても、もっと他に方法はあったはず…。
ハマーは自分のことを愛してくれていた。だから自分ももっと素直になっていれば、トニーたちに負けないくらい幸せになっていたかもしれない…。
トニーの前では泣くまいと決めていた。だが、思いとは逆に、涙は止まらなかった。
「どうせ死ぬんだから、最期は一緒にいさせて…。あなたは天国に行くでしょうけど、私は…国を滅ぼした私は…地獄に落ちるでしょうから…」
顔を上げたマヤはトニーを見つめた。あの力強い眼差しも、魅力的な瞳ももう見ることはできない。それでもマヤは思い出していた。いがみ合い、疎ましく思いつつも、共にいたあの頃の自分たちの姿を…。
「さよなら、トニー…。私の…たった一人の…愛しい人…」
首を伸ばしたマヤはトニーにキスをした。最初で最後のそのキスは、冷たく死の味がした。名残惜しそうに唇を離したマヤは、トニーの背後に回ると大きく息を吸い込んだ。そして彼の背中に剣を突き刺した。剣はトニーの身体を貫通し、彼は身体を硬直させた。串刺しになったトニーの傷口から血が吹き出した。
「トニー…あなたを道連れにして…ごめんなさい…。愛してるわ…」
血の滴り落ちる剣先を撫でたマヤは自分の胸に当てがった。そしてマヤは思いっきりトニーに抱きついた。トニーを貫いた剣が、今度はマヤの胸に刺さった。そして刃先はマヤの心臓を貫き、マヤは絶命した。
***
しばらくして、部屋の外から大勢の声が聞こえてきた。
ドアを蹴破って入ってきたのは、スティーブ・ロジャースを筆頭にアベンジャーズの面々だった。
「陛下!」
「トニー様!」
部屋の中央にはトニーとマヤの姿があった。2人とも血塗れで呼びかけに反応しない。
目を見開いたマヤは絶命しており、2人の身体を引き離したものの、剣はトニーの身体を貫通しているではないか。
クリントがトニーを支え床に横たえた。
「陛下!トニー様!」
だが、呼びかけてもトニーは反応しない。
遅かったかと唇を噛み締めた面々だが、首元に指を当てたナターシャは目を見開いた。トニーの生きたいという思いが勝ったのか、本当に僅かだが、まだ脈打っているではないか。
「陛下は、まだ生きていらっしゃるわ!」
目を輝かせたナターシャの言葉に、スティーブとクリントは抱き合い歓声を上げた。
だが、一刻の猶予もない。早く処置が出来る場所へ運ばねばならない。トニーを抱きかかえたハルクことブルース・バナーは、壁をぶち壊さん勢いで、城を飛び出した。
ハルクが全速力で走った甲斐もあり、数分後にはトニーはキリアンの屋敷に運び込まれた。
そこではヴァージニアがトニーの帰りを待ちわびていた。
トニーの姿を見たヴァージニアは、あまりに悲惨な状況にその場で倒れそうになった。が、トニーに自分がそばにいることを伝えねばと、彼に駆け寄ると手を握りしめた。
「トニー様……そばにいます。だから…もう安心して下さいね…」
トニーの反応はなかった。
今にも命の火が消えそうだが、彼は自分の元に戻ってきてくれた…。だからきっと大丈夫…。
ヴァージニアは祈った。トニーのそばから片時も離れず、ただ祈った…。
トニーが必ず目を覚ましてくれますように…と。
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