翌日からトニーとブルースは早速作業を開始した。
入院中、AIMから取り寄せた資料ばかり眺めていたトニーは、ある程度のプランを立てており、二人はそれに基づき黙々と作業をしていった。
「ペッパー、採血させてくれるかい?」
昼食に…とサンドイッチを持ってきたペッパーにブルースが声をかけた。
「いいわよ?」
ブルースの目の前に座ったペッパーは袖を捲り上げた。
「ありがとう」
アルコールの揮発するひんやりとした感触に肩を震わせたペッパーだが、ほとんど痛みを感じることなく採血はいつの間にか終わっていた。
「手際がいいわね」
後片付けをするブルースにペッパーはシャツの袖を直しながら微笑みかけた。
「慣れてるからかなぁ?」
ペッパーの笑顔につられ、ブルースの顔にも笑みが浮かんだ。
楽しそうに話をする二人を少し離れたところで眺めていたトニーだったが、分析結果が出たため、目の前の作業に集中し始めた。
だが…
「もう、やだ!ブルースったら!」
ペッパーの楽しそうな笑い声にトニーは顔を上げた。久しぶりに見るペッパーの屈託のない笑顔。散々心配をかけたのは分かっている。自分だけではなく、彼女自身をも傷付けてしまったことも…。それ故に、トニーはペッパーの心からの笑顔を久しく見ていなかった。それなのに、彼女は自分以外の男にその笑顔を見せている。やっと心から笑えるようになったんだ、よかった…も思えばいいものを、つまらない嫉妬だと言うことも分かっているが、トニーは感情を抑えきれなかった。
「ペッパー、ちょっと…」
怪我のせいであまり動けないトニーは、まだ何か話をしている二人を遮るようにペッパーを呼んだ。
「どうしたの?」
ニコニコと近寄ってきたペッパーだが、トニーは眉間にシワを寄せている。
「いや…。その…」
むすっとしたトニーはため息を付いた。
「ブルースとやけに親しそうだな?」
親しいも何も、友達なのだから…と思ったペッパーは、トニーの言いたいことが理解できず首を傾げた。
「どういう事?」
不思議そうな顔をしているペッパーからトニーは視線を反らせた。
「いや、嬉しそうだと思って」
「え?」
ペッパーが困惑しているのは分かっていたが、トニーは止めることが出来なかった。
「私といる時は笑わないだろ?」
悲しそうな顔をしたペッパーは、
「トニー!何言ってるのよ!」
と叫んだが、トニーはペッパーを見ようともしない。
「あの事件以来、君は私といる時に笑顔を見せてくれていないじゃないか。それなのに、ブルースには見せるんだな」
「それは…」
確かにそうかもしれない…。トニーのことが心配だったし、彼女自身も心から笑える心境ではなかった。だが、2日前NYに来てから、トニーそしてペッパーも落ち着き、ようやく一息ついたところだったのだ。
「私といるよりブルースといる方がくつろぐのか?」
ペッパーを見つめたトニーは静かに呟いた。
「そんなことないわ!」
憂いを帯びた瞳を捉えたペッパーの目から涙が一粒零れ落ちた。
その涙を見たトニーは、言い過ぎたと悟り慌てて頭を下げた。
「すまない…つい…」
だがペッパーは、悲しみといら立ちを抑えることができなかった。
「ついって何よ!いい加減にして!あなたは私がどんな思いでいるか、分かってないのよ!」
トニーを睨みつけたペッパーの目は赤く光っており、マズイと感じたトニーは逃げようとした。だが、ペッパーの方が早かった。ペッパーがトニーを突き飛ばすと、彼は数メートル吹き飛ばされ、棚に背中を強打した。床に転がり落ちたトニーは、負傷している左手から落ちたが、妙な方向に捻ってしまった。
ボギっという乾いた音と、トニーの悲鳴が静まり返った部屋に響き渡った。
「ペッパー!やめるんだ!」
後ろからブルースがペッパーを必死で押さえつけると、我に返った彼女は自分が何をしたのか気付き顔色を変えた。
トニーは左腕を押さえ、床にうずくまっている。
「トニー!ご、ごめんなさい…私…また……」
ポロっと涙を零したペッパーを横目に、ブルースはトニーを支えると部屋を出て行った。
「トニー、ごめんなさい…」
ベッドの上に横たわったトニーは何か言おうとしたが、骨が折れた左腕がズキズキと痛みだし鎮痛剤を飲んだ。
チラリと横を見ると、ペッパーの泣き腫らした目からは新たな涙が流れ落ちている。
「ペッパー、君のせいではない。だから…」
『謝るな』と言おうとしたトニーだが、顔を上げたペッパーにその言葉は遮られた。
「私のせいよ!あなたは昨日からしなくてもいい怪我をしてるじゃない!」
昨晩の怪我も先ほどの怪我も、確かにペッパーによるものだが、どちらも故意にしたものではない。それに、先ほどの原因は明らかに自分のつまらない嫉妬のせいだ。
「いや、さっきは私が言いすぎた。君を傷付けるようなことを言ってすまなかった…」
トニーは自分が傷ついても決してペッパーを責めなかった。その優しさがペッパーには辛かった。
「治るまであなたに近寄らないわ…。もうこれ以上、あなたを傷つけたくないの」
「おい…ペッパー…」
トニーの静止を振り切ると、ペッパーは下へ降りて行った。
ペッパーの言いたいことは分かる。だが、傍にいて欲しかった。
(君がいないと不安なんだ…それに眠れないんだ…)
ため息を付いたトニーは、負傷した腕よりも心に痛みを感じながら目を閉じた。
→3へ…