一か月後のある日。
朝からせかせかと動き回る城内に、ヴァージニアは首を傾げた。
最近では、将来の王妃として、その仕事を任されるようになっており、来客がある時は、余程急でない限り、前もって自分にも知らされるのだ。だが、今回は何も聞いていない。
目が覚めた時にはトニーはすでに起きた後だったらしく部屋にいなかったし、朝食も珍しく一緒に取らなかったのだ。
「今日は何かあるの?」
朝の謁見を終え自室へ戻ったヴァージニアは、お茶を持って来たアナに尋ねた。
アナはジャーヴィスの妻だが、トニーの頼みでヴァージニアの世話を任されており、今やヴァージニアの母親のような存在になっていた。
「陛下からお聞きはありませんか?」
「いいえ、陛下は何も仰らなかったわ」
首を振ったヴァージニアだが、アナは気づかれないように溜息をついた。おそらくトニーは話したくなかったのだろうが、今日の来客はトニーだけではなく、スターク国とも非常に縁の深い人物なのだ。それ故にあと数ヶ月で王妃となるヴァージニアも事情を知っておかねばならない。
「左様でございますか…」
ふぅ…と息を吐いたアナは椅子に腰を下ろした。
「陛下にとっても気の乗らぬ相手故、ヴァージニア様にはお話にならなかったのだと思いますが…」
そう前置したアナは、話し始めた。
今日の来客は、トニーの許嫁であったマヤ・ハンセンという女性。今は隣国の王に嫁いでいるが、里帰りと称し、時折こうやってトニーを訪ねてくるというのだ。
「トニー様はマヤ様がお好きではありません。元々お2人の婚約は、ご両親同士で決められたものでしたから…。マヤ様のお家は、今は皆様隣国へと移られておりますが、代々国王陛下の側近を務めておりました。それ故に巨大な権力をふるっており、国王陛下と言えども、無下にできるようなものではありませんでした。巨大な力を持てば、国家を動かそうと画策します。トニー様がお生まれになった時、国内は国王陛下…つまりトニー様のお父上であられますハワード様と、マヤ様のお父上につく者に別れ、分断しかけておりました。ハワード様は考えました。どうにかして国を一つにまとめようと…。そこでマヤ様がお生まれになると、当時5歳だったトニー様の許嫁とされたのです。お生まれになった時から、蝶よ花よと将来の王妃として育てられたマヤ様は、非常に我儘で手の付けられないお子様でした。トニー様は今でこそ自信がおありですが、幼い頃は大人しく、そしてお父上に認められたい一心で勉学に励まれておいででした。ハワード様もトニー様のことは愛しておいででした。ですが大人しいトニー様を何とか立派な後継にしようという一心で、手を挙げられ躾られることもしばしばありました。お母上のマリア様は、ハワード様に如何なる時も従順でいらっしゃいましたから…」
言葉を濁したアナだが、トニーについても話すよい機会だと考えた。
「良い機会ですから、トニー様のこともお話させて下さい。実は、ハワード様もトニー様と同じような性癖がおありでした。そしてマリア様はハワード様に従うのがお好きだったんです。お分かりですね?ハワード様とマリア様がどのような愛し方をされていたのか…。マリア様は身体があまり強い方ではありませんでした。そのためお子様はトニー様お1人だったのですが、トニー様にもしもの事があってはと、ハワード様には大勢の愛人がいらっしゃいました。ですが、ハワード様は従順なマリア様のことを心の底から愛していらっしゃいましたので、大勢の女の方はあくまでお子様を設けるためだと常々言っていらっしゃいました。結局トニー様以外のお子様はお産まれになりませんでした。ですが、マリア様は身体を壊され、ハワード様が求められるだけのお相手を出来なくなりました。そこでハワード様は、大勢の愛人の方に求められるようになりました。朝から晩まで、ハワード様は女の方の部屋に入り浸っておいででした。薬師が薬を調合するようになったのもその頃です。それでもマリア様もハワード様を愛しお慕い申し上げていましたので、何も言われませんでした。それに、ハワード様もマリア様だけを心の底から愛しておいででしたから、夜になるとハワード様は必ずマリア様の元に戻られ、お2人は共に眠られたのです。トニー様は、お父上が何をされているのかご存知でした。そしてお母上がそれを許しておいでなのも…。トニー様はそんなご両親の様子を見て成長されたのです。ですから、ご両親の愛し合い方が普通のことだと思っていらっしゃったのです」
つまりトニーは、大勢の女性を躾、命令し服従されることが、愛することだと思っていたのだろう。
(だから陛下はあの時、愛し方を知らないとおっしゃられたのね…)
納得したのだろう。ヴァージニアはこくこくと頷いており、アナは話の続きを始めた。
「トニー様にとって、女性はいかなる時…愛し合う時でさえも自分に従順である存在でした。ですが、マヤ様は自分が一番であるため、誰もが自分の命に従うと考えておいででした。そのため、大人しいトニー様にいつも命令されていました。ですから、マヤ様とのご関係はトニー様にとって窮屈で仕方なかったのだと思います。それでも最初はトニー様もマヤ様の思う通りにさせておいででした。マヤ様が自分よりも幼く、そしてマヤ様が癇癪を起こされると後が面倒だとご存知だったからでしょう。そんな状況が変わったのは、トニー様が12歳になられた頃です。それまでマヤ様に従われていたトニー様がマヤ様を叩き泣かせたのです。軽く叩いただけだったということですが、その日以来、トニー様はどこか変わられました。半年も経つと、自信に満ち溢れマヤ様にも物言うようになられました。そして、ハワード様と同じ道を歩まれるようになったのです。幼いマヤ様は気づかれていませんでしたが、トニー様は街外れに家を買われ、そこに毎日通われるようになりました。そしてご両親の愛し方をその方々に求められたのです。
それが15年前、ハワード様とマリア様が突然お亡くなりになりました。お二人で田舎に休養に向かわれていた途中、事故に遭われて…。トニー様は20歳という若さで、王位を継ぐことになりました。国王になられたトニー様は、城を今のように改装されました。東棟には女の方を大勢集められました。この頃になるとトニー様は、自分好みに躾た女の方を集められていました。ですが、マヤ様に一向に心を開かれませんし、男女の関係にもなっておりませんでした。それに、大勢集められた女の方も、本当にトニー様のことを心から愛していらっしゃる方はおりませんでした。我が国は16歳になれば婚姻を認められるのですが、もうすぐマヤ様が16歳になられるという時、トニー様が一向に自分に興味を持たれないことに激怒されたマヤ様がトニー様に尋ねました。ですが、トニー様はマヤ様に言われました。『お前には心がない。だからお前と愛し合い夫婦になるのは無理だ。だが、この婚姻は決められているものだ。だからお前とは結婚する。子作りも仕事だと思い、する。だが、知っての通り大勢オンナがいる。それから、お前は私に命令するのが好きだろ?私はな、私の命令に服従する女性と交わるのが好きだ。だから今の生活は続けさせてもらう』と…。自分は後継を作る、形だけの王妃…。それが嫌でマヤ様は婚約を破棄されたのです。そしてマヤ様は、自分の立場が確固たるものになるような縁談をトニー様に求めました。その頃、我が国は隣国との争いが絶えませんでした。あちらの王は以前よりマヤ様に懸想されていました。そこでマヤ様を嫁がせ、隣国と婚姻関係を結んだのです。一国の王妃となったのですからマヤ様は満足されました。ですが他国へ嫁がれてマヤ様は初めて気づかれました。自分がトニー様を本当に愛していることを…。今思えば、愛しているからこそ、トニー様の優しさに甘え、何でも思ったことを言われていたのでしょう。それに、マヤ様はトニー様がいる世界しか知らなかったのですから…。そのため、時折里帰りと称してトニー様にお会いに来られるのです」
話を聞き終えたヴァージニアの目からは涙が溢れ落ちていた。
トニーの愛し方がああなってしまったのは、幼少期からの環境のせいであって、彼自身は何も悪くないのだ。どれだけ苦しんだのだろう…。どれだけ一人戦っていたのだろう…。トニーの心中を思うと、ヴァージニアは胸が苦しくなってきた。
「陛下は…お一人でずっと…」
大粒の涙を流すヴァージニアの背中をアナはそっと撫でた。
「ですが、今はヴァージニア様がいらっしゃいます。トニー様のために涙を流して下さるヴァージニア様が…。ヴァージニア様が来られてから、トニー様は変わられました。お互いに本当に愛し合うことの素晴らしさが理解できたと言われていました。過去の自分は捨てて、ヴァージニア様と新しい自分を築いていきたいと言われていました。ですから、過去の象徴のようなマヤ様のことは、ヴァージニア様にはお話されたくなかったのでしょう…」
アナが泣き続けるヴァージニアを宥めていると、ナターシャがやって来た。
「ヴァージニア様、陛下からのご伝言です。マヤ様がお帰りになられるまで、部屋から一歩も出るなとのことでございます」
一体どういうことなのだろうかと首を傾げるヴァージニアに、ナターシャは声を潜めた。
「マヤ様はヴァージニア様に会わせろと陛下に詰め寄っていらっしゃいました。ですが陛下は『お前が会う必要はない』と適当にあしらっておいででした」
ふぅとため息を付いたナターシャだが、背後に隠していた籠をヴァージニアに差し出した。
「陛下からこちらをヴァージニア様にお渡しするよう託りました」
籠の中にがマカロンやフィナンシェ、ケーキに蜂蜜など、沢山の珍しいお菓子が入っていた。
「夕方になればマヤ様はいつも帰りますから、それまでティーパーティーでもしましょう」
が、ナターシャの読みは外れてしまった。
いつもは日帰りするマヤが、今日は泊まると言い出したのだ。
マヤは隣国の王妃なのだから、丁重な対応をしなければならない。そのためトニーは昼食会に夕食会を開くなど、一日中マヤにべったり張り付く羽目になってしまった。一方のヴァージニアは、トニーから部屋から出るなと命じられているのだから、結局夜遅くトニーが部屋にやって来るまで彼と顔を合わせることはなかった。
「すまんな、ジニー。明日からの外出は延期だ」
部屋にやって来るなり、トニーは顔を顰めつつそう告げた。
明日から数日、トニーが湖畔の別荘へ連れて行ってくれることになっていた。お付きも最小限の休暇で、2人はそこで1日中愛を交わす予定だったのだ。
マヤがいつ帰るか分からないため、その予定は無期限の延期ということだろう。
「陛下…その…」
一向にマヤのことを口に出さないトニーだが、彼は非常に疲れ切った顔をしている。話したくても話せない思いがあるのだろうと、彼の様子が気になったヴァージニアは、何か糸口はないかと、どこかイラついているトニーに声を掛けた。が、イライラと髪を掻き分けたトニーは、眉を吊り上げた。
「マヤのことか?気にするな。お前には関係ない」
関係ないと言われても、きっとマヤはこれからも城へやって来る。トニーと結婚すれば、いつまでも顔を合わせない訳にはいかないだろう。それに、もしトニーが胸に思いを封印しているのなら、聞いてあげたかった。それで彼が少しでも楽になるなら、一緒に苦しみを分かち合いたかった。
そこでヴァージニアは、勇気を振り絞ってトニーに告げた。
「関係あります。マヤ様のことは、私も知っておかねばならないと思います」
が、それがトニーは気に入らなかったようで、彼はヴァージニアをじろりと睨み付けた。
「ヴァージニア、例え夫婦になる者同士であろうと、踏み入れてはいけない領域がある。お前は私のことを何でも知りたいようだが、私にも知られたくないこともある。少しは控えろ!」
ムッとした表情を浮かべたトニーだが、ヴァージニアを怒鳴るのは間違っているとすぐに思い直した。だが、今日の彼には冷静に対応できる余裕はなかった。
「今日は疲れた。もう寝る」
そう言うと、トニーは自室へ向かうと、ドアを乱暴に閉めた。
残されたヴァージニアは、呆然とトニーを見送った。
初めてトニーに怒鳴られた。トニーを怒らせるつもりなんてなかった。ただ、彼の思いを聞いてあげたかっただけだった。
(陛下と…初めて喧嘩しちゃった…)
結局今日はキスもできなかった。途端に空しくなったヴァージニアは、トニーの匂いの移った枕を抱きしめると、ベッドにコロンと横になった。