それから二週間。トニーはベッドの上で黙々とエクストリミスの解析を行っていた。
あれ以来、二人は今回の事件やNYのことを話していなかった。一度話そうとしたが、トニーがまた発作を起こしそうになったのでやめたのだった。
ペッパーは辛抱強く待つことにした。トニーが自ら話し始めるまで…。
一週間後、退院したトニーは車に乗り込むと、飛行場へ行くよう運転手へ告げた。
隣に座ったペッパーの手を握りしめたトニーは、
「行くぞ」
と一言だけ言うと、目を閉じた。
飛行機に乗り込んでも、トニーは黙ったままだった。何も言わず窓の外を眺めているトニーをペッパーも黙って見守った。
NYへ到着すると、迎えが来ていた。
「トニー様、ポッツ様!よくぞご無事で…」
出迎えてくれたのは、トニーが幼いころからの顔なじみの運転手。彼は涙を浮かべ二人を出迎えると、松葉杖で不自由そうにタラップを降りるトニーに手を貸し、車を発進させた。
二人がマリブへ戻った時には、あの攻撃の傷跡が深く残っていたNYの街も、今やすっかり元通りになっていた。
相変わらず何も言わず車窓を眺めているトニー。街中へ進むにつれ段々と顔が強張り始めたのに気付いたペッパーは、トニーの左手をそっと握りしめた。チラリと顔を向けたトニーの表情はサングラス越しでは分からないが、小さく震える手が全てを物語っていた。
「トニー、一緒にいるから大丈夫よ」
頷いたトニーはまた窓の外を眺め始めたが、痛いほど握られた手はもう震えていなかった。
しばらくして、何かに気付いたトニーが小さく声を上げた。
「あれは?」
スピードを落とした運転手は、車を停車させた。
身を乗り出したペッパーがトニーの指さす方を見ると、壁一面にアベンジャーズの面々が描かれているではないか。
「この街を、自分たちを救ってくれたヒーローたちの絵です。最初は子供たちが描き始めたんですが、いつの間にか大人まで混じるようになって…」
あの攻撃で崩壊した建物の壁だろう。キャプテンにソーにハルクに…そしてアイアンマンの描かれた崩れかけた壁は、周りの建物が修復された中で、異彩を放っていた。
「どうして残してあるんだ?」
あの攻撃を思い出したトニーは顔を背けると目を閉じた。そんなトニーの様子に気付いた運転手は、一瞬目を見開いたが、温かな笑みを浮かべた。
「トニー様、あれはあの出来事を風化させないためのモニュメントです。確かに、一時は取り壊すように反対運動も起きました。あの出来事を思い出すからと…。ですが、命を懸けてこの街を救ってくれたヒーローたちの存在を忘れてはいけないと…。子供たちにとっても我々大人にとっても、あの時戦ってくださったあなたたちはヒーローなんです。特にトニー様…いえ、アイアンマンは…」
運転手の言葉にトニーは一瞬顔を上げたが、彼の顔を直視できず顔を背けた。
「だが…私は…。何もできなかったんだ…。この街が破壊されるのを…止められなかった…」
膝の上で手を握りしめたトニー。拳の上に、ポタポタと涙が零れ落ちた。
「確かに街は破壊されました。ですが、トニー様。この街の住人は誰一人として命を落とさなかったんです。怪我人は、多少はいましたけどね。それで十分です。あなたがあの時された決断が、この街に住む何十万人という命を救ったんです。トニー様、私はあなた様のことを誇りに思っています。この街は元通りになりました。それに、あなた様が無事にお戻りになった。もう何も言うことはありません…」
目に浮かんだ涙をそっと拭った運転手は、車を発進させた。
トニーは肩を震わせ静かに涙を流している。
「トニー…」
そっと肩を抱き寄せたペッパーは、ただトニーを抱きしめ続けた。
「トニー様、到着しました」
車から降りたったトニーは、空を見上げた。あの時タワーの上にあった大きな穴はなく、代わりに澄んだ青空が広がっている。修復されたスタークタワーのロゴが太陽の光を浴び、キラキラと輝いている。
「何もかも元通り…いや、それ以上か…」
眩しそうに見上げていたトニーだが、ゆっくりとエレベーターへ向かって歩き出した。
『おかえりなさいませ、トニー様、ポッツ様』
ペントハウスへたどり着くと、ジャーヴィスが出迎えてくれた。
「久しぶりね、ここへ来るのも」
わざと明るい声で言ったペッパーは、何か飲み物でも入れようとカウンターへ向かった。
「ジャーヴィス、ブルースは?」
このタワーに居候している友人の姿が見えないことに気付き、トニーは辺りを見回した。
『バナー様は、三日ほど前から出かけられています。あと数日はお戻りにならないかと…』
「そうか…折角手伝ってもらおうと思っていたんだが…。連絡取れるか?」
『はい。至急お戻り頂くよう伝えます』
「頼んだぞ」
残念そうに首を振ったトニーは、松葉杖をつきながらバルコニーへ向かった。
外に出たトニーは、眼下に広がるNYの街を見渡した。
自分はあの時、宇宙人やら神様やらの前では、無力で何もできないちっぽけな人間だと思っていた。アーマーがなければ自分は何もできないと思っていたが、そうではなかった。アーマーがなければ、代わる物を作ればいいんだ。私は『整備士』なんだから…。
それに、ペッパーにも言ったが、アーマーはトニー・スタークを包む入れ物でしかなかった。
あの時、決断したのはアーマーではなく、自分自身だった。この街を…この街に住む人々を救ったのは、自分の…トニー・スタークの決断だったんだ。
アーマーを着たからアイアンマンなのではない、今やトニー・スターク自身が『アイアンマン』なのだから…。
だから、もしまた脅威がやってきても、きっと乗り越えられる…。大切な人が…私の事を一番理解してくれ、そして何があっても支えてくれる女性がそばにいるのだから…。
「そうか…そうだよな…」
大きく深呼吸したトニーは、空を見上げた。高層階に位置するこの場所は降り注ぐ太陽の光も近く、今まで胸の奥深くに刺さっていた氷のような棘を溶かしてくれるようだ。
「トニー!危ないじゃないの!」
リビングにトニーの姿が見えないことに気付いたペッパーが、慌てて駆け寄ってきた。
「落ちたらどうするのよ!…今の私は落ちても平気だけど…」
ペッパーの言葉に楽しそうに笑ったトニーは、ゆっくりと歩き出した。
「大丈夫だ。そんなにドジじゃないさ」
ペッパーに支えられるようにリビングへ戻ったトニーは、大きな窓際に立った。隣に寄り添うように立ったペッパーの腰に手を回したトニーは、首筋に口づけをするとニヤリと笑った。
「君がNYに住みたいと言ったおかげだな。そうでなければ、ここにこれは建ててなかった」
住む家があってよかったよと、嬉しそうに言うトニーは、先ほどまで見せていた怯えた様子は一切ない。
「トニー…」
泣き出しそうなペッパーに気づいたトニーは、彼女の身体を引き寄せ腕の中に閉じ込めた。
「心配かけたな、ペッパー。だが、もう大丈夫だ。克服できた。いや、克服というよりも…。頭では分かっていたことに気持ちが付いていってなかったんだ。でも、ここに来て気持ちの整理ができた。ありがとう、ペッパー。君がずっと支えてくれたおかげだ」
「よかった…トニー。よかった…」
ポロポロと涙が零れる顔を胸元に押し付けたペッパーを、トニーは力強く抱きしめた。
「なぁ、ペッパー…。まだいろいろ片を付けなければならないことがあるが…」
ペッパーを胸元から離したトニーは、真剣な瞳でペッパーを見つめた。
「ペッパー、結婚してくれ。指輪も用意してないし、全て終わったら改めてプロポーズはするが…今、この場で言いたい。私のそばにずっと…いや、永遠にいてくれないか?」
今までも『ずっと一緒にいよう』と言われたことは何度もある。だが、『結婚して欲しい』とはっきり言われたことはなかった。
ずっと待ちわびていた言葉だった。おそらくはっきり言わなくても彼は結婚するつもりだっただろうが…。
ペッパーの目に大粒の涙が再び溜まりだしたかと思うと、彼女は声をあげて泣き出した。
「お、おい、ペッパー⁈」
子供のように泣くペッパーにトニーは慌てふためき、何とか泣き止ませようと抱きしめたりキスをしたりと必死だ。
「と、トニー…ほ、本当に…私でいいの?」
しゃくりあげながら聞くペッパーの顔中にキスをしていたトニーは、満面の笑みを浮かべた。
「あぁ。君以外に誰が私のことを理解してくれていると思ってるんだ?それに、君がいないと私は成り立たない人間だ。トニー・スタークにはペッパー・ポッツ が必要だ。この間君は言ったろ?私がいるから完璧になれるって…。私も同じだ。完璧な君が私の足りない所を補ってくれるんだ…。君以外愛せないのは私も同じだ。君は私の全てだ。後にも先にも、君のような女性は現れないだろう…。ところで、返事は?まさかこの期に及んで断るとか言うなよ?」
からかうように笑ったトニーにペッパーは抱きつくと、彼がするようにニヤリと笑った。
「答えは決まってるでしょ?もちろんYESよ。あなた以外に誰を愛せと言うの?」
笑いあった二人は、どちらともなく唇を近づけた。
甘いキスをしばらく堪能していた二人だが、身体を動かしたトニーが小さく呻き声を上げ唇を離した。
「どうしたの?」
「いや…足が痛み出した…」
苦痛に顔を歪めたトニーは、ゆっくりと歩き、ソファーに腰を下ろした。
「痛み止めあるか?」
「えぇ、少し待ってて?」
カウンターの上に置いてあるカバンを開けたペッパーは、痛み止めとミネラルウォーターを持ち、トニーの隣に座った。ペッパーから薬を受け取ったトニーは、水を飲むとふぅと息を吐いた。
「少し休む?」
額に汗をかいたトニーの顔は青白く疲れた表情をしている。
「そうだな。だが、その前に聞いておきたいことがあるんだ…」
ペッパーの手を取ったトニーは、手の甲を指で撫で始めた。
「これからのことだ。ずっとこっちにいるわけにはいかない。会社は向こうだし…。そこでだ。LAで新しく家を探すか?」
そう、NYはあくまで仮住まい…というよりも、ペッパーを『治療』するために来たのだ。生活の基盤はあくまでもLAなのだから、いろいろ片付いたら戻らなければならない。
(新しい場所で新しい生活を始めるのもいいかもしれない…。でもやっぱり…)
トニーが嫌がるかもしれないと思い、ずっと言えなかった考えを、ペッパーは思い切ってぶつけてみることにした。
「ねぇ、トニー。あのね、私はまたあの場所に住みたいわ…。私たちの家があったあの場所へ…」
ペッパーの言葉に驚いたのはトニーだった。あんな恐ろしい目にあったのだ。おそらく彼女は嫌がるだろうと、ずっと言い出せなかったのだから…。
「いいのか?」
遠慮がちに言うトニーに、ペッパーはにっこりと微笑んだ。
「えぇ。だって、あなたとの思い出がたくさんある場所だもの…。楽しいことも悲しいことも…。全てあの場所が知っているわ。だから…」
(結局、彼女は私と同じ思いだということか…)
髪をくしゃっと掻き分けたトニーは、嬉しそうに笑った。
「そうか。それなら、建て直そう。前と同じように…いや、前よりも素晴らしい家にしよう。家を建てる間は、仮住まいを探すか。だがその前に、約束通り君を治す。ブルースにも協力してもらおうと思っている。先日連絡したら快く引き受けてくれた。実はな、入院中暇だったから解毒剤の作り方は考えた。後は実験するだけだ。ペッパー、すぐに君のこと治すから…。その後、LAに戻ろう」
「うん…」
再び抱きついてきたペッパーを抱きしめながらトニーは考えた。
あのグレアムという医者の言葉は間違っていなかったと…。そして私の選択も間違っていなかったと…。
そしてその夜、二人はあの事件以来、久しぶりにお互いの温もりに包まれて眠ったのだった…。
NY編へ続く…
IM3後のトニペパ。あの悪夢は、アーマー依存症だけでなく、トニーの心の奥底にあった恐れ(自分の無力さや、いざという時に大切な物を守れるのかという自問、自分が何者で何をすべきかということなど)が原因だったのではと思い、こんな感じになりました。