94. Chance

『トニー・スタークの恋人になる』
それは世の中の女性の半分が一度は願ったことがあるかもしれないことだろう。だが、現実はそう甘くない。恋人になるどころか、そもそも会う機会すら殆どないのだから。

スターク・インダストリーズに勤務している女性たちにとってもそれは同じだった。トニー・スタークが社長なのだから、会える確率は限りなく高いと思うかもしれない。だが、スターク・インダストリーズは超大企業だ。一般社員が社長であるトニー・スタークに会える機会など滅多にない。それでも突然遭遇しても大丈夫なように、女性社員達は日々お洒落に余念がなかった。

だが、事態はあのエキスポでの事件から一転した。トニー・スタークについに特定の恋人ができたのだ。相手は長年の秘書であるペッパー・ポッツ。
これに対する反応は実に様々だった。
『彼女なら仕方ない。長年彼を支えていたのだから』という好意的なものもあれば、『実はずっと身体だけの関係があったのだろう』という揶揄するような反応もあった。
つまり、社内の話題はエキスポでの出来事よりもあの二人のことで持ちきりだったのだ。
ということで、数々の憶測は当人たちの耳に当然届いていた。とは言っても、もっぱら耳にするのは、社内に出入りする回数が圧倒的に多いペッパーなのだが…。

***
会議が終わり自室へ向かっていたペッパーだが、廊下の角に差し掛かった時、自分の名前が聞こえ思わず足を止めた。
どうやら数人の女性社員が自分たちの噂話をしているようだ。

「あの女、どうやって社長のオンナになったのかしら?」
「やっぱりPAは得よねー。一度は社長にまで昇りつめたし」

嫉妬も陰口も慣れている。それはトニーのPAになってからずっとだったから。

そうかと言って、良いことを言われているのではないのだから、いつまでたっても慣れるものでもないのだが…。
出るに出られないペッパーがどうしようかと思案している間に、彼女たちの会話はエスカレートしていった。

「毎晩お相手できてるの?」
「そのうち飽きるんじゃないの?」
「だって、あのトニー・スタークですもの」

(こんなことで負けてたらダメよ!)
頭を軽く振ったペッパーは、深呼吸すると一歩前へ進もうとした。その時…。
「ハニー?何してるんだ?」
背後から聞きなれた声が聞こえペッパーは振り返った。
「トニー!」
まさかトニーが目の前にいるとは思ってもいなかったペッパーは思わず声を上げ、同時にその場は空気が張り詰めたように静かになった。目をパチクリさせたトニーはペッパーに近寄ると、肩を抱き寄せた。
「どうした?ぼんやりして。さては私が恋しくて泣いていたんだな?やはり私たちは気が合う。素晴らしく相性もいい!私も同じことを考えていた。君のキスが恋しくなり、君を探していたところなんだ。だから、ちょうどいいところで出会った。君の部屋はすぐそこだ。部屋に鍵を閉めて、二人きりの時間を過ごそう。君と過ごす時間は全てを忘れてしまう程、極上だ。つまり、私は君を一生手放すつもりはないからな!」
と、トニーは特に最後の部分は声を張り上げて告げた。すると…。
「え!やだ…」
「どうしよう…」
コソコソとした囁き声と共に、バタバタと走り去る音が聞こえ、トニーはふんっと鼻を鳴らした。
トニーの反応からペッパーは悟った。つまり、彼は分かってやっていたのだ。
「…聞いてたの?」
トニーに抱きついたペッパーは、上目遣いで彼を見つめた。
一瞬眉を吊り上げたトニーだがペッパーの髪を梳くと優しい眼差しを送った。
「実を言うと、君が会議室から出た時から後ろを歩いていた。つまり、全てを聞いていた。言っただろ?君を傷付ける奴は許さないと…」
「うん…」
小さく頷いたペッパーは笑みを浮かべたが、トニーは額に音を立ててキスを落とすと、彼女の肩を抱き歩き始めた。

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