出会ったばかりの頃のトニペパ。社長、風邪をひく。
ある朝、ペッパーが出勤しようと自宅を出た時、1本の電話がかかってきた。
画面を見ると、映し出されているのは、最近彼女のボスになった上司の顏。
朝早くから…それもトニーから電話なんて珍しいわね…と思いつつ、ペッパーは歩きながら電話に出た。
「おはようございます。トニー、もうすぐ迎えに行くんで支度しておいてくださいね」
「おはよう…ペッパー…」
いつも元気のいい声で電話に出るトニーだが、今日は死にそうな声をしている。
「トニー?どうしたんですか?」
電話口の声に不安を覚えたペッパーは思わず立ち止まった。
「すまないが…来る前に風邪薬を買ってきてくれないか?」
トニーが風邪?!
あの健康優良児みたいな彼が?!
そりゃ、彼だって人間だから風邪ぐらい引くだろうけど…。
とペッパーが思ったかどうかは定かではないが
「分かりました。すぐに買って行きますね」
と答え、彼女を迎えに来た車に乗り込み、ドラッグストアへ向かうように言った。
トニーの家に着き玄関でベルを鳴らすと、しばらくして鍵が開く音がした。
「やぁ、ペッパー…」
そう言って死にそうな声で出迎えてくれたのは、この家の主であるトニー・スターク。
彼はTシャツにスウェットパンツ(それも色彩感覚が狂ったのではと思うほどの色の組み合わせ)、無精ひげを生やし、髪の毛はぐちゃぐちゃで…スーツをパリっと着こなしたいつものおしゃれな彼とは程遠い恰好をしていた。
そして相当熱があるのだろうか、真っ赤な顔をした彼は苦しそうに咳をした。
「すまないな、ペッパー…。どうやら風邪をこじらせたみたいだ…。今日は休ませてくれ…。ありがとう」
ペッパーの差し出した薬の袋を受け取ると、ドアを閉めようとするトニー。
それまで黙っていたペッパーだったが、ドアが閉まる直前、トニーとドアの間に身体を入れると、無理やり家に入り込んだ。
「ペッパー!うつるから帰れ!」
ペッパーにうつしたら大変だ!家に入り込んできたペッパーを見たトニーは青くなり、ペッパーを追い返そうとした。
が、ペッパーはトニーのTシャツの裾を掴むと俯いたまま叫んだ。
「帰りません!こんなに苦しそうなあなたを一人置いて帰れませんから!」
俯いたペッパーの肩が小さく震えている。
(泣いているのか?
今まで何十人も秘書はいたが…泣いてまで心配してくれたのは彼女が初めてじゃないか?)
「ペッパー、泣くな…。大丈夫だから…」
ペッパーの肩に手を置き、必死で慰めていたトニーだが、ゴホゴホと咳き込みだしたかと思うと、口元をおさえ部屋の方へ走って行った。
「トニー?!」
慌てて追いかけるとトニーはトイレにいた。
しばらくたってから、青白い顔をしたトニーがトイレから出てきた。トニーは今にも泣き出しそうなペッパーの心配そうな顔を見ると、
「昨夜からずっとこの調子だ…。食べてもすぐもどしてしまう…」
大丈夫だと無理やり笑顔を作った。
「とにかく、暖かくして寝てないと!脱いでください!汗で濡れているじゃないですか!」
トニーを寝室に連れて行ったペッパーは、トニーを着替えさせると、部屋を暖かくし、横になったトニーにブランケットを何枚も掛けた。
「何か食べてから薬を飲まないと…。食べられそうですか?」
無言で首を振るトニーの額に手を当てると燃えるように熱い。
「あと、体温計は?頭も冷やさなきゃ…。どこにあります?」
「…知らない…」
「はい?!」
(って、なんで知らないのよ!?今まで熱が出た時、どうしてたの?!)
ペッパーが衝撃のあまり目を白黒させていると、見るにみかねたスターク家の電脳執事が
『ポッツ様、体温なら私がスキャンさせて頂きます。…トニー様の体温は、38.5℃です。今朝方よりも熱は上がっています。アイスノンは、キッチンの冷凍庫に入っております』
と教えてくれた。
「とにかく、何か食べましょう?キッチン、借りますね?」
ペッパーはため息をつきながらキッチンへと向かった。
冷蔵庫の中をいろいろ物色していたペッパーだが、ため息をついて扉を閉じた。
…どうして食べられそうな物がないの?!
冷蔵庫にある物といえば、ミネラルウォーターと酒と酒のつまみになりそうなものばかり。
唯一あったヨーグルトとミネラルウォーターとアイスノンを手に抱えると、ペッパーは寝室へと戻った。
ペッパーが寝室へ戻ると、トニーはブランケットに包まり、ガタガタとふるえていた。先程まで赤い顔をしていたが、今のトニーは真っ青な顔をしている。
「トニー、大丈夫?!寒いの?!」
震えるトニーを包み込むようにさらにブランケットをかけると
『ポッツ様、トニー様の体温は、39.8℃と先程よりもあがっています』
ジャーヴィスが報告してくれるが、悪化しているのは一目瞭然。
「トニー、病院へ行きましょ?」
注射の1本でもしてもらえばすぐによくなるだろうが…。
「…寝れば…治る。病院は…嫌だ」
と、子供のように駄々をこねるトニーにペッパーはあきれ顔。
「じゃあ、早く薬を飲みましょう。ヨーグルトがあったけど…食べられそうですか?」
「…欲しくない…」
「一口でもいいから…。」
ペッパーは手に持っていたヨーグルトをスプーンですくうと、トニーの口元へ運んだ。
「もういい…ありがとう…」
ペッパーは薬を飲ませ、枕元にアイスノンを置き、トニーを寝かせた。
「水分取った方がいいから、お水は枕元に置いときますね。それと、私、一旦会社に行ってきます。明日もお休みできるように予定を調整してきますね。それから買い物に行ってきます。冷蔵庫に何もないから…」
カバンを掴み買い物に行こうとするペッパーに、ベッドの中からトニーが震える声で言った。
「…鍵…。家の鍵…持っていけ…。車も好きなのを使え…」
ペッパーがトニーの方を見ると、とろんとした目のトニーが、ベッドサイドのキーを指差していた。
キーの束を手に取ると、汗をかいているトニーの額をタオルで拭い
「なるべく早く帰ってきます。何かあったらすぐに連絡して下さい!」
ペッパーは飛び出して行った。
会社に行ったペッパーは、明日も休めるようトニーのスケジュールを調整し、その足でスーパーへ買い物に出かけた。
料理をしようにも、冷蔵庫のみならずキッチンには何もないのだ。
食材以外にも調味料など大量に買い、店を出る頃には、夕暮れ時になっていた。
思っていたより遅くなっちゃった…。一回も電話はなかったけど、大丈夫かしら…。心配になったペッパーは、これから戻ると電話を掛けた。が、一向に繋がらない。
眠っているのかしらね…。
結局電話が繋がらないままトニーの家の前に到着したペッパーは、先ほどもらった鍵で玄関を開けて中に入った。
「トニー…具合どう?」
薄暗い寝室に入り、トニーの顔を覗くと、先程よりも随分と楽な顔をしてトニーは眠っていた。
汗で濡れた額をそっと触ると、先程のような熱さはなかった。
着替えさせた方がいいけど…もう少し寝かしてあげた方がいいわよね…。
ペッパーはそっと寝室のドアを閉めると、キッチンへと向かった。
熱があっても食べられそうな物で元気の出る物…ペッパーはある物を作り始めた。
美味しそうな香りがキッチンに漂い始め、そろそろ様子を見に行った方がいいかしら…とペッパーが思っていると
『ポッツ様、トニー様が目を覚まされました』
とジャーヴィスが教えてくれた。
「ありがとう、ジャーヴィス。熱は下がった?」
『37℃まで下がっています』
よかったわ…とペッパーは安堵のため息をつくと、料理を持って寝室へと向かった。
寝室へ入ると、トニーは起き上がり、汗で濡れた服を着替えているところだった。トニーの逞しい上半身を見てしまい、思わず赤面するペッパー。
伏し目がちにベッドサイドに近づくと、着替え終わったトニーはスッキリした顔でミネラルウォーターのボトルを一気に飲み干した。
「トニー、食べられそうですか?これを作ったんだけど…」
トニーが器の中を覗き込むと、美味しそうなスープからは湯気が立ち込めていた。
「君が作ったのか?旨そうだな。いただくよ」
「熱いから気をつけてくださいね」
そう言ってトニーに器を渡すと、よほど空腹だったのだろう。トニーはしばらくものも言わずに食べ続けた。
器の中が空っぽになりかけた頃、ようやくトニーが口を開いた。
「美味い!今まで食べたスープの中で一番美味いよ!」
その言葉を聞いて思わず笑みのこぼれるペッパー。
「ポッツ家特製のチキンスープです。母が…私が風邪を引くとよく作ってくれたんです」
「そうか…君の母親の思い出の味か…いいな…」
そう言うと、トニーは少しさみしそうに笑った。
「あ…」
トニーの両親は二人とも他界しており、彼は一人。しかも小さい頃から寄宿舎に入っていたため、両親との思い出があまりないと、出会ってすぐの頃語ってくれたのを思い出した。
この広い家に一人ぼっちのトニー。今日のように寝込んでも、誰も世話をしてくれるわけではない…。もしかして、今までも一人苦しんでいたの?
気がつくとペッパーの目からは涙が溢れていた。
急にポロポロ涙を流して泣き始めたペッパーに、トニーはびっくりして慌てふためいた。
「ペッパー?!君はなぜ泣いているんだ?!」
食べ終わった器をサイドテーブルに置くと、ペッパーの肩を思わず抱き寄せた。
「だって…だって…。トニー…。あなたがかわいそうで…」
「は?なぜだ?君にこんなによくしてもらってるのにか?」
まさか、泣いてくれるとはな…。やはり彼女となら…ペッパーとならうまくやっていけそうだ。彼女がここに来てくれてよかった…。
トニーの肩に顔をうずめ、泣き続けるペッパーの頭をトニーは優しくなで続けた。
しばらくそのままの二人だったが、トニーに抱きしめられているという状況に、我にかえったペッパーが真っ赤な顔をして立ち上がった。
「と、トニー。薬飲んで下さいね!私はこれを片付けてきます。それにしても、誰もお世話に来てくれる方っていないんですか?」
あれだけ女性の影がちらついているのに、よく考えたら誰一人そういう人がいないなんて、おかしいわよね…。ブツブツと言うペッパーにトニーは苦笑した。
「いないよ。だから君がいてくれるんじゃないのか?ペッパー・ポッツくん?」
トニーの顔を思わず見ると、彼は楽しそうにウインクをした。
「じゃあ、私が今日はずっとそばにいます。それと、明日もあなたと一緒にお休み取りました。だから安心してしっかり治してください…」
「あぁ、ありがとう。ペッパー。君のおかげで明日にはすっかり元気になりそうだよ…。あ、部屋はゲストルームでもどこでも自由に使ってくれ…」
「後でまた様子を見に来ますね…」
ベッドに横になったトニーにブランケットを掛けると、ペッパーは寝室の灯りをおとし、ドアをゆっくり閉めた。
そして…15年後…
隣で眠るトニーの身体が熱いことに気付いたのは、夜が明ける頃だった。
彼はまだ眠っているが、額に手を当てると燃えるように熱いではないか。
「大変!すごい熱じゃないの!」
ペッパーは何も着ていないトニーの身体をブランケットでそっと包み込むと、部屋を暖かくし始めた。
「ペッパー…?」
か細い声が聞こえた方を振り返ると、トニーが目を覚ましたようだ。
「トニー?すごい熱よ…。大丈夫?」
顔を覗き込むと、顔は赤いし目も真っ赤。
「暖かくしたほうがいいわよ。これ着てね」
気怠そうにトニーは起き上がると、差し出されたパジャマを着始めた。
「熱は?」
ペッパーは、差し出された体温計で体温を測るトニーの額に浮かんだ汗を優しく拭き取った。
「…38℃」
体温計をペッパーに渡すと、トニーはベッドに潜り込んだ。
「言っておくが…」
「分かってるわ。注射は嫌なんでしょ?」
クスリと笑うペッパーにトニーは小さく頷いた。
「何か食べる?あと、すぐに薬も持ってくるから…」
横になったトニーは、とろんとした目でペッパーを見つめた。
「いつものあれがいい…君特製の…」
「分かってるわよ、あのスープね。じゃあ、腕によりをかけて作るから、待っててね」
うつらうつらし始めたトニーの顔を優しく撫でると、ペッパーは寝室の灯りを落とし、静かに出て行った。