トニーの涙
先ほどまで広がっていた青い空が消え去り、バケツをひっくり返したように雨が降り始めたある日の夕方。
「もう!今日は晴れるって言ってたのに…」
ガレージに車を停めたペッパーは、文句を言いながら後部座席に置いた荷物を取り出した。
今日は金曜日。週末は久しぶりに2人揃っての休日だ。
せっかくだからどこかに行こうとトニーは言ってくれたが、最近目に見えて疲れている彼を休ませてあげたいと思ったペッパーは、2人でゆっくりしたいと提案。
トニーの好きな物を作って、映画でも見て…あ、ショッピングもいいわね。おいしいディナーを食べて、夜は…。
トニーに可愛がられる自分を想像し顔を赤らめたペッパーは、頭を振ると家の中へ入っていった。
帰宅するとトニーの姿はなかった。
部屋は静まり返り、気配すら感じられない。
おかしいわね…先に帰ると連絡があったのに…。
キッチンで買ってきた物を片付けていると、
『おかえりなさいませ、ペッパー様。トニー様はラボにいらっしゃいます』
とジャーヴィスが声をかけた。
「それにしても静かね?」
『はい。実は…』
ジャーヴィスが何か言おうとしたその時、ペッパーの電話が鳴った。
「ジャーヴィス、ちょっと待ってね。ローディーから電話だわ…。ローディー、どうしたの?え?トニー?まだ会ってないけど…。どうしたの?…えっ?!…何かあったの…?」
しばらくローディーと話していたペッパーだが、硬い表情で電話を切った。
「ジャーヴィス…話は聞いたわ…。お願いだからしばらく2人きりにさせてね…」
そう言うとペッパーはラボへと向かった。
「トニー?」
真っ暗なラボを覗き込み声をかけるも返事どころか気配すら感じられない。
「ホントにいるのかしら…」
明かりをつけ、キョロキョロと部屋を見回したペッパーは、部屋の片隅に目をやり息を飲んだ。
ソファーには全身びしょ濡れの、そして暗い目をしたトニーが座っており、その足元には空になった酒のボトルが何本も転がっていた。
「トニー…?」
そっと声をかけるも返事はなく、トニーはうつむいたまま身動きすらしない。
髪の毛からは雨の雫がポタポタと涙のように滴り落ちているが、トニーはそれをぬぐうこともせず、手に持ったボトルを飲み干した。
そんなトニーをペッパーは静かに見守っていたが、手に持っていたバスタオルを頭からふわっとかけると、横に座りタオルごとトニーを抱きしめた。
しばらくして、何も言わず抱きしめられていたトニーがペッパーの手をそっと掴んだ。
「トニー…聞いたわ…」
ペッパーが頭を抱えるように抱きしめると、トニーは小さな声で
「そうか…」
とポツリとつぶやいた。
橋の上で起こった事故。子供の乗ったバスが横転し、後続の車が次々とぶつかり大事故になった。別の仕事を片付け、たまたま通りかかったアイアンマンと ウォーマシーンは、潰れたバスの中から子供たちを助けた。が、最後部に乗っていた幼い少女は、潰れた車体に挟まれ虫の息。助けを求める声を聞きながらの必死の救助も虚しく、助け出した時にはすでに息はなかった。その子供の最期の言葉…「ママ…」という言葉を聞いたのもトニーだった。事故を知り駆けつけた母親は、まだ温もりのあるわが子を抱きしめ、「最後までありがとうございます」と何度も頭を下げた。が、トニーは彼女の顔を見ることができなかった。
「トニー…あなたにも…どうにもできなかったのよ…。だから自分を責めないで…。お願い…」
何も言わず黙ったままのトニー。ペッパーはタオルでトニーの濡れた頭を優しく拭き、話し始めるのをじっと待った。
どれくらい経っただろうか。
「ペッパー…」
トニーが掠れた声でペッパーの名前を呼び、顔をあげた。その目は真っ赤に腫れており、頬には涙の筋がいくつも残っていた。
「救えなかったんだ…。目の前で…小さな女の子が…。まだ4才だぞ。まだまだこれからなのに…。もっと早く私が助けていれば…。あの女の子と母親を…永遠に引き離してしまったんだ…。それなのに…あの母親は、私に…ありがとうと…」
トニーは手に持っていた空のボトルを床に投げ捨てた。ボトル同士がぶつかり合い、乾いた音が部屋に響き渡った。
「トニー…」
ペッパーがトニーの肩を抱き寄せると、トニーはペッパーの腰にすがりつき、声を押し殺して泣き始めた。
彼は命の大切さを良く分かっている。救える命をできる限り救おうとする。それは、彼が…あの時一人の命と引き換えに生かされ使命を果たそうとしている彼自身が、命の尊さを一番よく分かっているからだろう。
だからこそ、自分の目の前で、しかもまだ幼い少女の命がただ潰えるのを見守るしかなかった自分に腹が立ち、無力だった自分を不甲斐なく思っているのだろう。
ペッパーはトニーの頭を優しく撫で始めた。彼が落ち着くまで何度も頭に優しくキスをした。
あれほど激しく降っていた雨が止み、窓から月光が降り注ぎ始めた頃。ペッパーの膝の上で子供のように寝息を立て始めたトニー。ペッパーはトニーをソファーに寝かし、彼のお気に入りのブランケットを掛けた。
「トニー…私がずっとそばにいるから…。あなたの支えになりたいの…。だから辛いことがあったら私に話してね…。一人で抱え込まないで…。私は何もできな いかもしれないけど、辛い気持ちを吐き出したら、少しは楽になるかもしれないわ…。明日はいつものあなたに戻ってますように…」
ペッパーは、床に散らばったボトルを片付け、安心しきった顔で眠るトニーの唇にそっとキスを落とすと、ラボの電気を消した。
心を許しているペッパーにだけは弱いところを見せる社長