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05.反抗期

結婚して20年以上が経ち、子供たちもすっかり大きくなった。

長女のエストは22歳。『昔のパパみたいに苦しんでいる人を助けたいの』と医者になると宣言したエストは、ハーバードのメディカルスクールに通っている。
そして19歳のエリオットはトニーと同じくMITに進み、現在は大学院で勉強中。来年の卒業後はスターク・インダストリーズに就職し、行く行くはトニーの跡を継ぐことになっている。
ということで、エストとエリオットはボストンで暮らしておりマリブの家には14歳になったルーカスとアビーの双子が残っていた。

どこに行くのも一緒のスターク一家は相変わらずマスコミの恰好のネタだったが、子供たちには近づくなとトニーがずっと脅しをかけていたためか、4人ともすくすくと普通に育っていた。
だが、ここ半年ほど、トニーには悩みがあった。それは子供の反抗期。それも一番かわいがっている末っ子のアビーの反抗期だ。
エストもエリオットも反抗期などなく、特にエストはパパが大好きすぎて、22歳になった今でも腕を組んで歩いたり、挙句の果てには顔中にキスをしてくるため、最近では困り果てたトニーが逆に逃げ出す始末だ。ルーカスも息子だからということもあるだろうが、相談がある時はまずトニーにしていたし、上の2人がいない間は父親を独占できるとトニーの後ろを付いて回るほど愛情を大っぴらげにしているのだが、問題はアビーだった。

ある朝、新聞を読みながら朝食を食べていたトニーの横を、学校へ向かう双子が駆け抜けて行った。
「パパ、行ってきまーす!」
「気を付けて行けよ」
ルーカスはトニーにハイタッチして出て行ったが、アビーは無言で通り過ぎた。
「おい、アビー。気をつけて行って来いよ」
堪らずトニーが声をかけるが、アビーは知らぬ顔。
「おい…」
一番末っ子で自分に顔も性格もそっくりなアビーが可愛くて仕方ないトニー。だが、当の娘は父親を疎ましく思っているのか最近では喋ろうともしない。
「反抗期なのか…」
がっくりと肩を落としたトニーにペッパーはコーヒーを差し出した。
「そうねぇ。エストもエリも反抗期なんてなかったもの。4人いれば1人くらいは…」
ため息を付いたトニーは、どうすれば末娘ともっと話しができるか考えた。

そして事件は土曜日の朝食時に起こった。いつものようにルーカスはトニーと話をするのだが、アビーはトニーの方を見ようともしない。何とか娘とコミュニケーションを取ろうと、トニーは数日前から温めていた計画を切り出した。
「そうだ。今日は休みだろ?お前たちの好きなディズ○ーランドに行かないか?」
昨夜、トニーから話を聞いていたペッパーも、手を叩いて賛同した。
「あら?いいわね。久しぶりに4人で行きましょ?」
顔を輝かせたルーカスだが、トニーの願いも虚しく肝心のアビーは顔を背けた。
「急に言われても困るの。今日は予定があるわ。友達と遊ぶからダメ」
「そうか…」
しょんぼりと肩を落としたトニーを見たペッパーが、アビーに一言言おうとしたが、その前にルーカスがトニーの腕を引っ張った。
「パパ!コンクールに出すロボット作るの手伝ってよ!もうちょっとで完成するんだ!」
可愛い息子の頼みだ。アビーの言葉に傷ついていたトニーだったが、そんな様子は微塵も見せず、
「あぁ。分かった」
と、笑みを浮かべた。

トニーはルーカスに連れられラボへ降りて行ったため、ペッパーはアビーと二人で朝食の片付けをしていた。
出掛ける支度はしているのに、なかなか出かけようとしない娘。時折何か言いたげに見つめてくるのだが、誰に似たのか頑固なアビーは自分から切り出そうとしなかった。
片付けも終わりキッチンの椅子に座り携帯を弄っているアビーに、気付かれないようにため息を付いたペッパーは、ジュースを差し出した。
「アビー?ママね、ずっと気になっているんだけど。どうして最近パパとお話しないの?」
一瞬息を飲んだアビーだが、視線を上げようとしない。
「別に。パパに話すことなんかないもん」
相変わらず顔は上げないが、アビーの視線は携帯には向いていなかった。
「でも、ママに話してることをパパにも話してあげて?パパ、さみしいって思ってるわよ?」
アビーの隣に座ったペッパーが背中をそっと撫でると、アビーは顔を上げた。
「パパはそんなこと思ってないわ。だって、パパはいっつも家族のこと、ほっとらかしじゃない。約束したって、仕事が入ればそっち優先じゃない。昔からパパは正義の味方ごっこに夢中で、家族のことなんてどうだっていいのよ」
「アビー!何てこと言うの!」
非難めいた声を上げたペッパーは、思わず目を潤ませた。そんな母親を睨みつけたアビーの目にも涙が浮かんでいる。
「ママだって、本当はそう思ってるんでしょ?お姉ちゃんもお兄ちゃんも思ってるわよ!いっつもそれで喧嘩してたじゃない!だから、もう嫌なの!こんな家、嫌!何がスタークよ!いっつも監視されて、好きなこともできないわ!」
ショックだった。一生懸命育ててきた娘にそう言われてショックだった。特別扱いされないよう、普通の子供と同じように自由に育ててきたつもりなのに…。そしてそうなるまでにトニーと自分が必死だったことも、特にトニーは命懸けで子供達を守っていたことも、その思いも何も伝わっていないことに…。
大粒の涙を零したペッパーは、アビーの頬を平手打ちした。
「そんなこと言うなんて…。ママやあなたたちがこうやって無事でいるのも、パパがいるからなのよ!それなのに、あなたはパパがどれだけあなたたちのことを愛しているか分かってないでしょ!ママはそんな子に育てた覚えないわ!出て行きなさい!」
ドアを指さしたペッパーに、
「分かったわよ!出て行くわ!」
と、怒鳴りつけたアビーは、カバンを掴むと家を飛び出していった。

静まり返ったキッチンに一人残されたペッパーは頭を抱えた。末娘がそう思っていたこともだが、それを今まで聞いてやれなかったことも情けなかった。
「どうすればいいの…」
顔を覆い泣くペッパーの様子をキッチンの入口で伺っていたトニーだが、何度か深呼吸をし気持ちを落ち着かせると、ペッパーを背後から抱きしめた。トニーの手を握りしめたペッパーは、顔を上げると彼を見つめた。
「トニー…。私…あの子の育て方、間違ったのかしら…」
首を振ったトニーは、苦しそうに呟いた。
「いや、君はいつもあの子たちを正しく導いてきたじゃないか…。私だよ…。小さい頃から子供たちにさみしい思いをさせてきたんだ…」
トニーの泣き出しそうな、そして苦しそうな表情に堪らなくなったペッパーは、身体の向きを変えると彼の頭を抱え込んだ。
すると…
「パパ…そんなことないよ」
優しい声がし、二人は顔を上げた。ルーカスが遠慮がちに入口からこちらを見ているではないか。
「ルーカス…」
両親の元に歩み寄ったルーカスは、ニッコリと笑みを浮かべた。
「アビーね、いつも言ってる。パパは頑張りすぎなんだって。だからね、いつかパパが突然いなくなるんじゃないかって、いつも心配してるんだ。アビーは…僕もお姉ちゃんもお兄ちゃんもみんなだけど…パパがいなくなるのが怖いんだ。だから、アビーはパパがアイアンマンの仕事で出掛けるといつもお祈りしてる。パパが無事に帰ってきますようにって。でも、アビーって、ほら、恥ずかしがり屋だから、パパに面と向かって大好きって言えないんだ。だから、大丈夫だよ」

夕方になってもアビーは帰って来なかった。携帯は切られており、友達の所にもいない。
辺りはどんどん暗くなっていき、トニーが探しに行こうと玄関へ向かった時だった。ペッパーの携帯がけたたましい音をたてて鳴り響いた。慌てて電話に出たペッパーは何事か話していたが、携帯をトニーに差し出した。
「エストからよ。アビーったら、ボストンに行ったみたい。週末、連れて帰るって。それとね、あなたに話があるって」
咳払いをしたトニーは電話を受け取った。
「エストか?」
「パパ?アビーが来たわ。ずっと泣いててまだ話は聞けてないけど…」
末娘が泣いていると知り、トニーは胸が痛んだ。
「そうか…。しばらく置いてやってくれ」
いつもより元気のない父親の声に気付いたエストは、明るい声で言った。
「えぇ。任せて。それからね、パパ。大丈夫だから。私たちみんな、パパのこと大好きだし誇りに思ってるわよ」
「え…」
エストの発言に何と言っていいか分からないトニーが黙ったままでいると、
「じゃあ、切るわね。おやすみ、パパ。愛してるわ」
と、エストはペッパーによく似た優しい声で電話を切った。
黙ったまま電話を置いたトニー。その寂しそうな背中にペッパーは抱き着いた。
「トニー、大丈夫。アビーはあなたの娘なんだから…。そう言えば、あなたもお父様に反抗してたんでしょ?」
「あぁ…」
何も言わないトニー。もしかしたら、当時の自分のことを思い出しているのかもしれない。
年月が経ち昔に比べ心なしか小さくなったトニーの背中に、ペッパーは顔を押し付けた。

一方ボストンでは、ようやく泣き止んだアビーからエストは事の経緯を聞いていた。
一通り話を聞いたエストは妹に気付かれないようにため息をついた。
自分は妹のように反抗したことはない。それは、長女の自分は誰よりも両親のことを見てきたため、兄弟の誰よりも両親の思いを分かっているからなのかもしれない。特に父親は母親と自分たちを命掛けで守ってきた。父親が何度も傷つき、そして時には生死を彷徨ってきた姿を見ていたからこそ、自分は今の道を選んだと言っても過言ではないのだから…。
それはすぐ下の弟も同じだろう。だが、下の双子は、ある意味自分たちよりは平和に過ごしてきた。特に末っ子のアビーは、自分に顔も性格もそっくりなためか、父親に猫かわいがりされ何不自由なく育っているし、年齢もまだ幼いため両親の本当の思いにはまだ気づいていないのだろう。
(どうやって話せばいいかしら…。もう、こういう肝心な時にエリっていつもいないんだから!パパそっくりね!)
と、まだ帰宅していない弟に少しばかり腹を立てたエストだが、こういうことを下の弟や妹に諭すのも年長者の務めよね…と、思い直した。

話をしようとしたエストだが、アビーの方が先に口を開いた。
「お姉ちゃんは、自分の名前が嫌になったことないの?」
そこから入るのね…と思ったエストだが、目の前の妹と本気でぶつかろうと覚悟を決めた。
「そうねぇ…。たくさんあるわよ。もう嫌!ってパパとママに言ったこともあるわ」
「そうなの?」
意外な言葉にアビーは目を丸くした。明るく美しく聡明な姉はいつもアビーの憧れだった。学校では人気者、隙を見て追いかけてくるマスコミへの対応もうまく、メディア界隈でもエストは大人気なのだから…。
「えぇ。だって、いつもマスコミに追いかけられて、カメラを気にしなきゃいけないし。学校でもいじめられたことだってあるわ。スタークの娘だからって偉そうにするな!って。そんなつもりはないのにって、家に帰って泣いたこともあるわ。それは相手のやっかみだったんだけどね。そんな時、パパとママはいつも私に言ったわ。『エストはエストらしく生きていけ。負けるな。そのうち、エストのことを理解してくれる人が必ず現れるから』って。私だけじゃないわ。エリもルーカスも、それにアビー、あなたもいつも言われてたでしょ?そうそう、エリなんか、学校で喧嘩してパパとママは学校に呼び出されたこともあるわ。おそらくパパとママみたいなセレブって言うの?そういう人って、そんな時は誰か代理の人間を行かせて丸くおさめるんじゃない?でもね、パパとママはエリの喧嘩相手の友達の家に謝りに行ったの。つまりね、パパとママは私たちを普通に育ててくれた。特別扱いせずに、普通にね。だから私はパパとママに感謝してるし、パパとママの子供で良かったって思ってるわよ」
ふーんと口を尖らせたアビーは何やら考えていたようだが、姉の様子を伺うように本題を切り出した。
「パパのことは?嫌になったことないの?」
いまだに父親と腕を組んで歩いたり、キスをしようとして父親が逃げ出している、そんな姉と父親の仲を知っているアビーは、姉の反応が気になって仕方なかった。
ふふっと笑ったエストは、妹の頭をぽんっと叩くと座りなおした。
「もちろんあるわ。パパがアイアンマンであることが嫌だったこともあるわ。遊びに行く約束をしててもダメになったことだっていっぱいあるわ。でもね、一番嫌だったのは、パパが『ごめん』って言うこと。パパ、すごく悲しそうな顔をして謝るの。私はね、パパがアイアンマンであることも、困ってる人を助ける姿も大好きだし、誇りに思ってる。だからね、そのお仕事で私との約束がダメになってもいいってずっと思ってた。それなのに、パパは自分のせいで約束を破るからって、謝る姿が辛かったわ。それが原因で一度だけママと大喧嘩したこともあるわね…。だからパパに言ったの。謝らないでって。パパがアイアンマンのお仕事に行って、困ってる人を助けるのは、私との約束より大切よって。そしたらね、パパはありがとうって言ってたわ。パパが頑張れるのは、ママと私たちがいるからだって。次の日から、パパはごめんって言わなくなった。その代わり、頑張ってくるよって言うようになったの」
「ふーん…」
姉でも父親がいやになったことがあると知ったアビーは安心したような顔をした。
そこでエストは妹の本心を聞き出そうとした。
「ママから聞いたわよ。家出した原因。どうしてパパに冷たく振る舞うのよ?」
聡明な姉には自分の本心を全て見透かされている気がした。だが、どうも素直になれないアビーはぷいっと口を尖らせた。
「…別に…」
何か言いたげなのに話さない妹に、エストは眉を吊り上げた。
「もう!別にじゃないでしょ?パパのこと、大事にしなきゃダメよ。私とエリの分まで、ずっと一緒にいるあんたとルーカスで大事にしてあげて。私たちは何かあってもすぐに駆けつけられないの。だから……」
何か思い出したのか、言葉を詰まらせたエストの目から涙を零れた。
「あのね、アビー。いい機会だから言っておくわね。パパもママも一度も話したことはないでしょうけど…。あなたたちが生まれてからはそんなになかったけど、パパはね、今までに何度も死にそうになったのよ。ママも私も、何度ももうダメかもって思ったことがあるの…」
「え…」
初耳だった。知らなかった。父親はいつも元気にそばにいるのが当たり前だったから…。
顔色を変えた妹に、エストは言葉を続けた。
「さっきも言ったけど、パパはアイアンマン。おそらく、もうすぐヒーロー活動は辞めるつもりだろうけど…。この間、怪我して入院したでしょ?その時パパに言ったの。もう頑張らなくていいんじゃないのって。そしたらパパは笑ったわ。パパはあなたとルーカスに見せたいんだって。頑張ってる姿を見せたいんだって。諦めずに最後まで戦うことが大切だと教えたいって。だから私はそれ以上言うのを辞めた。でもパパには無理をして欲しくない…。つまりね、アイアンマンである以上、いつ何が起こるか分からないわ。突然別れの時がやってくる可能性だってあるのよ」
「……」
黙ったままのアビーは俯いたままだ。
「パパも昔、パパのパパ…つまり、おじいちゃんに反抗してたんだって。でも、おじいちゃんとおばあちゃんは、パパが私くらいの時に突然交通事故で亡くなったの。パパね、言ってたわ。『ろくに話も出来ないまま別れてしまった。今思えば、もっといろんなことを聞いておけばよかった。だから、お前たちは後悔しないように生きろ』ってね。だからね、アビー…」
「…分かってるもん…」
俯いたアビーの膝の上にポタポタと涙が零れ落ちた。
「私…パパのこと、世界一大好きよ…。パパは世界一のパパよ。パパみたいな父親で、私、よかったっていつも思ってる。パパがアイアンマンのお仕事に行ったら、元気に帰ってきますようにっていつもお祈りしてる…。私もね、お姉ちゃんみたいにパパともっと遊んだり話したりしたいの…。でもね、私…パパにどうやって話せばいいか分からないの…」
(分かってるんじゃないの。よかった、パパの気持ちがアビーにも伝わってて…)
笑みを浮かべたエストは、再び泣き出したアビーの背中を撫でた。
「あんたって、本当にパパにそっくりね。不器用で、でもすごく優しくて…」
抱き着いてきた小さな妹を抱きしめたエストは、小さい頃母親がよくしてくれたように、妹の頭にキスをすると涙を拭った。
「帰ってパパとママに謝りましょ?あなたが思っていること、素直にパパにぶつけてごらんなさい?パパはね、何があっても受け止めてくれるから。それから、言葉に出来なかったらね、こうやって抱きしめるだけでいいの。…って、これはパパからの受け売りだけどね」
「うん!」
元気よく返事をしたアビーは、父親そっくりの笑顔を向けた。

だが、翌日。事態は一変した。
早朝、母親からの電話に3人は叩き起こされた。
「もしもし……ママ、どうしたの?…えっ!パパが?!…分かったわ。すぐに戻る」
真っ青な顔をした姉に、エリオットとアビーは父親に何かあったのだと悟った。
「姉ちゃん…どうしたの?」
「エリ…アビー……パパが……」

『パパが…交通事故にあったの…』
LAへ戻る道中、母親のか細い声がエストの頭の中で反復していた。
何があったのか詳しくは分からない。だが、もしかしたら助からないかもしれないと母親から聞かされていたエスト。そのことはエリオットには話したが、今にも気を失いそうなアビーには伝えていなかった。

病院へ駆けつけると、手術室の前にペッパーとルーカスがいた。
「ママ、お姉ちゃんたちが戻って来たよ」
3人に気付いたルーカスが、母親の手を握りしめた。だが、真っ赤な目したペッパーは、涙に濡れた頬を拭いもせず、どこか呆然としている。
「母さん!父さんは!」
エリオットに肩を揺すられ、ようやく子供たちが揃ったことに気付いたペッパーは、ゆっくり話し始めた。
「トニーったらね、女の子を助けようとしたの。今日は結婚記念日でしょ?いつもの店にケーキを取りに行ったんですって。車から降りたらね、お腹の大きな若い女性が叫んでたの。見ると、道の真ん中で小さな女の子が泣いていたそうよ。いつ車が来るか分からない…。トニーは女の子の所へ走って行ったの。女の子を抱きかかえて…歩道に戻ろうとしたら…二人に気づいていないトラックが猛スピードで向かって来たの。走っても間に合わないと思ったのかしら…。トニーは女の子を母親に向かって放り投げたの…。女の子は…かすり傷ですんだわ。でも……トニーは……。間に合わなかったの…。トラックに跳ねられて…数メートル飛ばされて……他の車に巻き込まれて…」
瞬きしたペッパーの目から、大粒の涙が零れ落ちた。
絶句している子供たちの顔を見渡したペッパーは、トニーから贈られたハートのネックレスに触れた。
「パパは……助からないかもと言われたわ…。助かっても……二度と歩けないかもって……」
その場に座り込んだ子供たちは唇を噛みしめた。そんな中、アビーが震える声でつぶやいた。
「パパ…どうして…。どうしてパパは…そんなに頑張れるの…」
末っ子のアビーの言葉に、ペッパーは彼女を抱き寄せた。
「女の子はね、アビーっていう名前だったの」
母親の言葉に顔を上げたアビーは、隣に座るルーカスの手を握りしめた。
「あなたが重なったのかもしれないわ。その女の子…あなたが泣いているように思えたのかもしれないわね…。小さい時、あなたが夜泣くと、トニーはあなたを抱き上げて…」
娘の涙を拭ったペッパーは、懐かしそうに遠くを見つめた。母親に続けて、エストとエリオットも懐かしそうに少しだけ笑った。
「パパ、よく子守唄歌ってたわね…」
「そうそう。父さん、俺たちのこともだけど、アビーのことを特に気にかけてたもんな。アビーは自分に似てるから心配だって…」

数時間後、手術室から出てきたトニーは、ICUに運ばれた。翌日には二回目の手術が行われ、そして明日は三回目の最後の手術をすることになっている。だが、体力は著しく低下しており、手術に耐えられない可能性もあると告げられていた。
家族は交代で付き添っていたが、アビーは父親のそばを離れようとしなかった。
眠り続ける父親の頬に触れたアビーは、手を握ると、そっとトニーに呼びかけた。
「パパ…ごめんなさい…。私ね、パパの気持ち、分かってなかった…。パパが私の隣にいるのが当たり前だと思ってた…。パパと話したいこと、まだまだ一杯あるの…。それからね…パパのこと大好き…。世界一大好き…。だから、死なないで……お願い…パパ…」

しばらくして、トニーは目を覚ましたのだが、自分の手を握りしめている末娘の姿を見ると目を細めた。
「あびー……」
「パパ…私……」
静かに首を振ったトニー。まるでアビーの言いたいことは分かっているというように…。
「…かえって…きてくれた…。ありがとう…」
小さく笑ったトニーは、目を閉じた。

手術は成功し命は助かったトニーだったが、命と引き換えかのように右足は動かなくなっていた。
医師から状況を説明され、言葉を失ったペッパーと子供たちだが、トニーは
「ヒーローは引退だな…」
と寂しそうに呟いた。
「パパ…」
泣き出しそうな家族を見渡したトニーは小さく笑った。
「そんな顔するな。生きて戻ってこれたんだ。それにあの女の子も助かった。十分じゃないか…」
悲しそうな顔はするのに、家族の前だからか泣き顔どころか弱音すら吐かない父親の姿に、堪らなくなったエストは病室を出て行った。
「姉ちゃん、待てよ!」
エストを追いかけるようにエリオットが部屋を出て行くのを見届けたペッパーは、
「エストとエリオットのこと、見てくるわね…」
と、トニーにキスをすると二人の後を追いかけた。

病室に残されたのは双子のルーカスとアビー。
「パパ…僕たちみんなが付いてるから。だから…」
トニーの手を握ったルーカスは、大粒の涙を零した。
「ルーカス、男だろ?泣くな」
息子の頭を軽く叩いたトニーは、彼の髪をくしゃっと撫でた。どこまでも子供たちに心配をかけまいとする父親。だが、いつも諦めず立ち上がろうとする父親の口からは、『諦めない』という言葉が出てこない。
「パパはいつだって諦めたりなんかしないわ!だから…だから…」
堪らなくなったアビーは、父親に向かって叫んだ。涙を見せまいとしているのだろう、唇を噛み締めたアビーに、トニーは静かに告げた。
「アビー…いいんだ…。右足が動かなくても、こうやってお前たちと話ができるんだ…」
それでも諦めきれないアビーは、父親を奮起させようと必死だった。
「でも、でも…パパはアイアンマンよ!アイアンマンの助けを待ってる人がまだたくさんいるのよ?」
アビーの言葉を目を閉じ聞いていたトニーだが、くしゃっと顔を歪めると苦しそうに言った。
「アビー、もうパパは疲れた。もう十分だ…。それに、これ以上ペッパーを…ママを悲しませたくない…。迷惑かけたくないんだ…。だから…少し休ませてくれ…」
そう言うとトニーら頭からシーツをかぶってしまった。
小さく震えるシーツの山。
(パパ…泣いてるの?)
アビーは気がついた。一番悔しいのは父親なのだと…。

翌日、学校帰りにアビーとルーカスは病院へ寄った。病室をそっと覗くと、父親と母親がいた。
母親は泣いていた。泣きながら父親の右足を摩っていた。父親の名前を呼びながら、まるで足が元に戻る魔法の言葉のように…。
「ペッパー…もういい…」
母親の腕を父親が掴んだ。その目には涙が溢れかえっており、父親に抱きついた母親は声を押し殺して泣いていた。

結局そのまま帰宅した二人だったが、家に帰ると姉と兄が今後について相談しようと待ち構えていた。
「父さんもだけど、母さんのことも心配だな…。俺が帰ってくる。大学はやめて、会社の手伝いをするよ」
そう宣言したエリオットの顔は、決意に満ち溢れていたのだが、それを制したのは姉であるエストだった。
「私が帰ってくるわ。あんたはもう1年で卒業でしょ?パパはエリが自分と同じ道に進んだことを凄く喜んでたもの。だから、私がこっちに戻るわ。しばらく休学して、それから時期を見てLAのメディカルスクールに入り直す」
それでいいわね、と続けたエストは、誰にも反論させないという雰囲気を醸し出していた。それは母親とそっくりなのだが、残りの3人は納得出来なかった。なぜならエストの夢はエリオットと同じく実現間近。それに、困っている人のために働きたいというエストの夢を一番応援していたのは両親だと3人とも知っているからだ。

「お姉ちゃん、いいの?」
3人を代表するかのようにルーカスが口を開いたのだが、
「えぇ。だって、私たちのパパとママなのよ?大切なパパとママが苦しんでいる時に、何もしないのは嫌だもの」
と言うと、エストはニッコリ笑った。

アビーはルーカスを見た。
昨晩、二人で話をした。
姉と兄は自分の夢に向かって走っている最中だ。そんな二人のことを両親は誇りに思っている。だから姉と兄に夢を諦めさせる訳にはいかない。だからこそ、今そばにいる自分たちが両親を支えなければならないと…。これからは、パパとママのことを守るのは私たちだと…。
ルーカスの手をそっと握ったアビーは、姉と兄に切り出した。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん。私とルーカスがいるから大丈夫。お姉ちゃんやお兄ちゃんみたいにちゃんと出来るか分からないけど…。これからは私とルーカスがパパとママの支えになる。お仕事のことは手伝えないけど、お家のことは私たちでやる。ローディおじさんやハッピーおじさんも、それからスティーブおじさんたちも手伝ってくれるって言ってくれたの。それとね、大きくなっても私がずっとパパとママの傍にいる。だから、お姉ちゃんは早くお医者さんになって。それで、パパを治してあげて」
そう宣言したアビーとルーカスは姉と兄に向かって大きく頷いた。その姿は、数日前まで反抗していたアビーとは違い、急に大人びた双子に、エストとエリオットは両親のことを託すことにしたのだった。

数日後、父親の大好きなチーズバーガーを手土産にアビーは見舞いにやって来たのだが、病室に父親はいなかった。
ナースステーションで聞くとリハビリ中だと言われ、アビーは急いでリハビリ室に向かった。
リハビリ室の片隅に父親はいた。
杖をつき動かない右足を必死で動かそうと奮闘している。だが、足がもつれ転倒してしまった。何度転倒しても立ち上がり、また歩こうとするトニー。
「スタークさん、今日はこのあたりで…」
付き添っていたナースが見兼ねて声を掛けたが、トニーは手元に転がった杖を掴んだ。
「いや…まだだ…。諦めるわけにはいかないんだ。妻や子供たちのためにも…。それに、みんな待っているんだ…。私のことを必要としてくれているみんなが…」
そういうとトニーは再び立ち上がった。

「パパ…」
ガラス越しに父親を見つめていたアビーの脳裏に、数日前に自分が叫んだ言葉が浮かんだ。
『パパはいつだって諦めたりなんかしないわ!』
あの時の言葉…あれが父親の心に残っていたのかは分からない。もしかしたら時が経ち、父親の心の傷も癒えてきたからかもしれない。それでもアビーは、父親が再び立ち上がろうとする姿に涙が止まらなかった。でも、泣き顔を見せたくない。父親は何よりみんなの笑顔が好きなのだから…。

涙を拭い深呼吸したアビーは、椅子に座り休んでいる父親の元に駆け寄ると、明るい声で言った。
「パパ!お土産よ!」
だが、トニーは気づいていた。アビーの目が真っ赤になっていることに…。それに気づかぬふりをすると、トニーは娘の頭をくしゃっと撫でた。
「気が利くな。バーガー○ングのチーズバーガーだろ?」
そう言うと、トニーはチーズバーガーにかぶりついた。

食べ終わったトニーは首に掛けていたタオルで手を拭くと、アビーの手をそっと握った。
「なぁ、アビー。パパはやっぱり諦めきれないんだ。だから、もう少しだけアイアンマンでいていいか?」
その言葉に、父親はやっぱり自分の言った言葉を覚えていたんだとアビーは思った。そして姉に言われた言葉…父親は自分たちに頑張っている姿を、最後まで諦めない姿を見せたいという言葉を思い出した。こんなにも自分たちのことを考えている父親にどうして反抗したのか、どうして疎ましく思ったのか、アビーは分からなくなっていた。だがただ一つ分かることがある。それはいつだって自分は父親のことが大好きだということ…。

ポロポロと涙を零しながら頷いた娘を小さい頃のように抱きしめたトニーは頭にキスをした。
「おい、泣くな。せっかくの美人が台無しだぞ?」
ニヤっと笑ったトニーだったが、その目は潤んでいる。娘に気づかれないように涙を拭ったトニーは、ゆっくりと立ち上がった。
「おい、アビー。明日ママが見舞いに来た時に、歩けるようになったと驚かさせたいんだ。ママの驚いた顔は見ものだぞ?昔から可愛らしいんだ。それに驚いた後は泣きながらパパに抱きついてキスをねだるんだ。ペッパーにキスしてもらいたいから、手伝え。パパが歩けるようになるまで、今日は帰らせないからな?」
「明日?!それは無理よ、パパ…」
冗談なのか本気なのか分からない父親の言葉にアビーは目を丸くした。
「無理だと?アビー、お前はパパを誰だと思ってる?トニー・スタークだぞ?」
娘に肩をすくめたトニーは、杖を手放すとふらつきながらも両足で立った。
「見てみろ!アイアンマンに不可能はない!」
鼻を鳴らしたトニーはいつものトニーで、嬉しそうに駆け寄ったアビーは、父親の身体を支えると、一歩一歩共に歩き始めた。

※トニー66歳、ペッパー57歳、エスト22歳、エリ19歳、双子14歳

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02.心の繋がり

恋人になり数か月。二人の距離はさらに縮まり、ペッパーは今まで味わったことのないほどの幸せを感じていた。
だが最近、ペッパーには気になることがあった。それはトニーがふとした瞬間に不安そうな顔をしていること。
何か悩みでもあるのかと思ったが、本人は話そうとしない。
自分の前では無理やり笑っているように見える…そう思ったペッパーは、思い切ってトニーに聞いてみることにした。

「ねぇ、最近どうしたの?元気がないわ」
夜、ベッドに潜り込んだトニーはその言葉に肩をびくつかせた。
「私はいつだって元気だ」
目を逸らしたトニーにペッパーは顔を曇らせた。
(嘘つき…)
何か隠したいことがある時、トニーはペッパーの目を見て話そうとしない。
黙ったままのトニーをペッパーはじっと見つめた。長年秘書として傍に寄り添ってきた彼女は、恋人となった今、トニーのわずかな変化ですら見逃すまいとしているようだった。
やがて、ペッパーの不安げなそして悲しそうな視線に耐えきれなくなったのか、トニーはため息をつくと彼女の顔をじっと見つめた。
「分かった。白状する。君に言えばそんなことはないと言われると思うが…。実は…不安なんだ。君も知っているだろうが、今まで女性はたくさんいた。だが、こんなに長い間…その…一人の女性と続いたことはない…。だから…」
そう言うと、トニーは言葉を切り俯いてしまった。
彼にはたくさんの女性がいた。一夜限りの女性もだが、数回デートをした女性も少なからずいた。だが、トニーの言う通り、一人として長続きしたことはない。それはデートをした女性と付き合いながらも、他の女性と関係を持ち続けていたこと…つまりは『浮気』が原因だった。それともう一つ。彼は熱中すると何日もラボに籠り姿を見せないのだ。ディナーの約束をしてもすっぽかし、ペッパーが断りの電話をいれたことが何度もある。つまりは、どの女性も彼の本質を理解できず、誰もついていけなかったというところだろう。
まるで言うべきではなかったというように唇を噛みしめたトニーを堪らなくなったペッパーはぎゅっと抱きしめた。
「もしかして、私がいつかあなたに飽きるかもって思ってるの?」
視線をわずかに上げたトニーは小さく頷くと、ペッパーの胸元に顔を埋めた。

恋人になって分かったこと…。
それは、不安に思っている時、涙を流さず心で泣きたい時、トニーがペッパーの胸元に顔を押し付けること。まるで母親の温もりを求める子供のようなその行動は、恋人となり初めて知ったことだった。

そんなトニーが愛おしくなったペッパーは、彼の柔らかな髪の毛を梳くと頭を抱え込んだ。
「トニー。私たちは大丈夫。あなたは以前言ってたわ。私たちは心が繋がっているって。だから私たちは大丈夫。私はあなたをおいて行ったりしないから…」
何度も何度も頷くトニーをペッパーは一晩中抱き締め続けた。

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01.家族会議

アスガルドの王宮の一室は緊迫した空気に包まれていた。
オーディンは黙ったまま窓の外を眺めており、ソーは椅子に座った母親のフリッガと父親の間を行ったり来たりしている。フリッガの膝には小さなロキが座っており、その目は途切れることのない涙で真っ赤になっている。
しくしくと泣くばかりの小さな息子の涙を拭ったフリッガは、先ほどから何も言わない夫に視線を向けた。妻の視線に気付いたオーディンは、ゆっくりと窓際から離れると、妻の横に座った。チラリと父親を見上げたロキだが、相変わらず黙ったままの父親に見つめられると、顔を背け母親の胸に顔を埋めた。
「ロキ、話してごらんなさい?」
フリッガが促すように背中を撫でると、顔を上げたロキは恐る恐る話し始めた。
「僕は…拾われた子なの?」
その言葉にフリッガは息を飲み、オーディンは表情こそ変えなかったが、眉を釣り上げた。そして兄であるソーは怒りで真っ赤な顔をしているではないか。家族の様子を見つめたロキは、母親の服の袖をぎゅっと握りしめた。
「兄上は父上にも母上にも似てる。でも、僕は父上にも似てないし、母上にも似てない…」
ロキの言葉に唇を噛みしめたソーは、拳を握りしめると弟に詰め寄った。
「ロキ!誰がそんなことを言ったんだ!俺が懲らしめてやる!」
今にも飛び出して行きそうな兄。喧嘩早い兄は、今までも何度もいざこざを起こしているのを、ロキは幼いながらに知っている。そしてそれがいつだって自分を守るためであることも…。つい先日も、兄は自分をからかった友達を泣かせ、両親に怒られたばかりだ。兄に迷惑をかけてはいけないと、ロキはソーにしがみ付いた。
「兄上!ま、待って!僕がそう思っただけだから!」
弟にしがみ付かれたソーは立ち止まると、黙ったままの両親を見つめた。息子の視線に気付いたオーディンは、妻の手を取ると立ち上がり、子供たちの元へと歩み寄った。
「二人とも、わしの息子だ」
「そうよ、ソーもロキも大事な息子よ。これから先、何があっても…」
二人の頭に手を置いた父オーディンと、優しく抱きしめてくれる母フリッガ。そして繋いだ手を力強く握り返してくれる兄ソーの優しさに、ロキはもやもやとした気持ちが晴れていく気がしたのだった。

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