部屋に響き渡る悲鳴に、ペッパーは堪らず目を閉じた。だが、骨が砕ける鈍い音と苦悶に満ちた声は、視界を閉ざしても聞こえてくる。何とかしたい。何とかして助けたい…。だが、下手に動けば彼の命はすぐにでも絶たれてしまうかもしれない…。
結局のところ何もできず、ペッパーは唇を噛み締めた。
パーティーからの帰り道、何者かに拉致されここに連れて来られた。二人を縛り上げた男たちは笑いながら言った。
『どっちが先に死にたいか』と。ペッパーを守るように男たちを睨みつけたトニーは言った。
「私が先だ。彼女には指一本触れるな」
と。想定内の答えだったのだろう、初めからトニーにのみ向けられていた銃口が火を噴いた。
くぐもった声と共にトニーが床に崩れ落ちた。苦痛に顔を歪めるトニーの腹部は血で真っ赤に染まっている。
「トニー!!」
駆け寄ろうとしたペッパーを男の一人が取り押さえた。蹲ったまま動かないトニーは部屋の中央に引きずられた。そして男たちはトニーを痛めつけ始めた。
自分たちが連れ去られたことはすぐに分かるだろう。そうすれば、仲間が助けに来てくれる…。そう思い必死で耐えていたトニーは、今や自分よりも強いペッパーが心配になり様子を伺った。
トニーの予想通り、怒りに満ちた顔をしたペッパーの瞳は真っ赤に燃え上がっている。このままでは彼女の秘めた力が露見してしまう…。
(こいつらに君の力を使うな)
そう訴えるかのように首を振ったトニーだが、二人が見つめ合っていると気付いた剛腕な男の一人が、トニーの背中を踏みつけると両腕を掴んだ。息を詰まらせたトニーにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた男は、そのまま彼の身体を本来とは別の方向に引っ張った。鈍い音が次々と響き渡ると同時に、トニーの口からは苦痛に満ちた悲鳴が零れ落ちた。
折れた背中を蹴飛ばした男はトニーの身体を持ち上げた。身体に走った激痛に悲鳴をあげそうになったトニーだが、ペッパーを心配させまいと唇を噛み締めた。しかし痛みに逆らえるはずもなく、彼の目からは涙が零れ落ちた。そんな彼を嘲り笑うかのように、男はトニーを何度も地面に叩きつけた。
指先一つ動かすことができないのに、男たちは抵抗できないトニーの身体をまるで人形を蹴るかのように痛め続けている。
「お願い…もう…やめて…」
溢れ出る涙もそのままに訴えるペッパーだが、男たちはやめなかった。
「待ってろ。こいつが死んだら、次はお前の番だ」
全身血塗れのトニーの上に馬乗りになった男は、とうに意識がない彼の顔を数回殴った。そしてぐったりとしたトニーの首元に指を置くと、納得したのか漸く殴る手を止めた。
「よし、もうやめよう。このままにしておいてももうじき死ぬ。酒でも飲みながら待つか。いや、それまであのオンナを可愛がってやろう」
限界だった。
このまま何もせずに彼を一人にしておくなんてできなかった。
例え自分の力が世間に露見して指を差されても、彼がいない世界の方が何万倍も辛いのだから…。
ニヤついた顔の男たちが近づいて来る。
(許さない…。トニーが何をしたと言うのよ!絶対に許さないわ!)
全身を怒りが支配したその瞬間、ペッパーの身体の中を激情が駆け巡った。
ふと我に返ると、男たちが周りに倒れていた。
燃えかけた服とオレンジ色に光る身体が全てを物語っているのだが、ペッパーは自分が何をしたのか一瞬考えてしまった。だが、そんなことを考えている場合ではない。
「トニー…」
部屋の中央に倒れているトニーの身体を抱き起こし、腫れ上がった顔を撫でたペッパーは彼の首筋にそっと触れた。
わずかに脈打っているのを確認したペッパーは、彼の身体を抱きかかえると出口へと急いだ。
まだ間に合う。いいえ、間に合わせてみせる。だって、あなたなしの世界なんて、何の意味もないのだから…。
***
『化け物だ!』
男たちの怯えた顔と言葉をふと思い出したペッパーは目を閉じると、トニーの手を握り直した。ペッパーの小さく震える手に気付いたトニーは、気だるそうな視線を彼女に向けた。
「ハニー?」
心配そうな声色に、ペッパーは慌てて笑顔を作ると顔を上げた。
ペッパーの強張った表情に顔を曇らせたトニーは、彼女が何を考えていたのか瞬時に悟った。
「大丈夫か?」
ゆっくりと腕を動かしたトニーは繋がれていない左手でペッパーの腕に触れた。
「ごめんなさい。大丈夫よ」
無理矢理笑ってはいるが、ペッパーの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
意識のなかったこの五日間、彼女は恐怖と一人戦っていたのだろう。それはトニーを失うのではという恐怖と、そして自分はやはり変わってしまったのだという恐怖と…。
一番そばにいなければならない時に、励まし支えてやることができなかった。
唇を噛み締めたトニーは、身体を起こそうとしたが痛みに顔を顰めると顔だけをペッパーに向けた。
「ペッパー」
静かなそして優しい声に、伏し目がちだったペッパーは顔を上げた。トニーは先ほどよりも顔色が悪かった。それは発熱や身体の痛みのためだけではないだろう。おそらくあの事件の後ずっと心の中にある思いに気付いてしまったから…そしてそれは自分のせいだと思っているのだろう。
「私を助けるためだと言っても…。すまない…。君に嫌な思いをさせてしまった…」
ペッパーの目を見つめたトニーは申し訳ないと頭を小さく下げた。
彼は大変な目にあったのに…それも彼のせいではないのに、どうして彼に謝らせるようなことをするのよ、と自分が情けなくなったペッパーは、零れそうになった涙を堪えるとトニーの頬を優しく撫でた。
「嫌だなんて、そんなこと、一度だって思ってないわ。あの時、あなたを助けるためなら、私は何だってするつもりだった。本当はもっと早く助けていればよかったのよね。そうすればあなたが辛い思いをしなくてすんだのに…。…私ね、あの時、この力に本当に感謝したのよ…。あなたの役に立てたって…」
ひとしきり自分の想いを語ったペッパーだったが、彼の聡明な瞳に見つめられ続けると、本心を隠しているのはこれ以上無理だった。いや、彼なら本音を語っても全て受け止めてくれると分かっていた。
「でもね…トニー…怖いの…。いつかあなたのことを傷つけてしまうんじゃないか…そう思うと…」
やはりそうだった。事件が解決した今も…、いやあのクリスマスの出来事から彼女はまだ一人で戦っていたのだ。彼女が思っていることは杞憂に過ぎない。だからそんなことはないと囁き、落ち着くまで優しく抱きしめたかった。だが、背骨が折れ腰から下は痺れ、自分で動くことすら出来ないトニーにとって、そんなことは不可能だった。そこで、抱きしめる代わりに繋いだ手を持ち上げたトニーは、そのまま自分の口元まで運ぶと、彼女の手の甲に優しくキスをした。
「ハニー、君は私の命を救ってくれたんだ。ありがとう。君は最高の女性だ。強く賢く、そして愛と優しさに溢れている。私には勿体無いくらいだ。つまり、君は何も変わっていない。ほんの少し強くなっただけだ。この温かな手も、いつも見守ってくれる瞳も、何一つ変わってないんだ。それと、君が傷つくのなら、私も一緒に傷つこう。君とならどんなことでも乗り越えられるんだ。だから…」
啜り泣く声にトニーは言葉を切った。見るとペッパーは目から大粒の涙を零しながらも、トニーの手を握りしめていた。
頬を伝わる涙を拭おうとしたが手が届かない。握った手の甲を指でそっと撫でたトニーはわざと明るい声で言った。
「なぁ、ペッパー。君のことは必ず治す。あの時そう約束しただろ?私は約束を守る男だ。…最も今の状況では、数ヶ月の遅れは出そうだが…」
トニーの言葉に数回頷いたペッパーは、たまらなくなりトニーの身体に抱きついた。
(痛っ!)
抱きつかれた衝撃で背中に激痛が走ったトニーだが、悲鳴を無理やり飲み込むと、自分よりも数段華奢な身体をそっと抱きしめた。
IM3後。ペッパー治癒前。