あれから5年が経った。
5年前のあの出来事は、人々の記憶に深く刻み込まれており、トニー・スタークが命を捨てて地球を守り抜いたあの日は、『ヒーローの日』として、世界中の人々が、彼や他のヒーローたちを追悼する日となっていた。
モーガンは9歳になった。彼女は何もかもがトニーにそっくりだった。チーズバーガーが好きで、悪戯好きで、ラボに篭るのが大好きな彼女のことを、ハッピーやローディは『ミニ・トニー』と呼んでいた。
だが、学校での彼女は、控えめで大人しい生徒だった。頭も良く、クラスの誰よりも物事を知っているのに、モーガンはいつも笑って友達の話を聞いているだけだった。というのも、彼女は何処に行っても『トニー・スタークの娘』だったから。何処に行っても、父親の存在が付いて回った。大人たちは良かれと思ってモーガンにトニーのことを話すのだが、彼女は父親との記憶が殆どなかったため、辛く悲しいはずなのに、何処か人ごとのように感じていた。だが、大人たちの気遣いにはちゃんと気付いていたため、モーガンは悲しみを抑え込み、笑顔を作るようにしていた。そのため、彼女は自分の身を守るため、いつしか周囲と見えない壁を作るようになっていた。
***
その日もモーガンは、クラスメイトの話をボンヤリと聞いていた。
3日後に迫った『ヒーローの日』。毎年追悼式が開かれるが、今年は5年目という節目の年ということもあり、大々的に式典が開かれるのだ。そのため、ディスカッションのテーマは『あなたにとっての5年間』。それぞれ一人ずつ、この5年間のことを発表しなければならなかった。
「僕だけ消えちゃってたんだ。その間に弟が生まれてさ。5年間、弟はパパとママと一緒。僕だけパパとママとの思い出がないし、弟は僕と同じ年!」
「あたしも!」
「ママが消えちゃって。その後パパは違う女の人と結婚して、新しいママができたの。新しいママは私のこともすごく可愛がってくれたんだけど…。急に本当のママが戻ってきて…パパも本当のママも新しいママも私も…みんな困ってるの…」
モーガンは黙ってみんなの話を聞いていた。
例え5年間の思い出がなくても、自分にはないものを皆は持っている。あの出来事の後も…昨日も今日も明日も…父親との思い出があるのだ。
モーガンには父親との思い出がなかった。父親と過ごしたのはたった4年だ。しかも小さすぎて殆ど覚えていない。だから、覚えていることは僅かしかない。
父親の顔も声も、ホログラムを通したものしか分からない。実際の父親の声も、温もりも、モーガンは何一つ覚えていなかった。
(今日は、お休みすればよかったかも…)
手元に配られたプリントには父親が…アイアンマンの写真が載っていた。そしてあの闘いの前後で命を落とした父親の仲間も数人載っていた。犠牲になったと書いてあるが、実は引退したとモーガンは知っている、キャプテン・アメリカも載っていた。
モーガンはアイアンマンの写真を指でなぞった。
(モーグーナー…)
父親の声が聞こえた。自分のことをそう呼ぶのは父親だけだったから、ボンヤリとだがモーガンが唯一覚えている父親の記憶だった。
「…クさん……スタークさん」
いつの間にか、教師に呼ばれていたようで、モーガンは慌てて立ち上がった。
「は、はい…」
「あなたの番よ。でも…もし…」
教師が言葉を濁した。『当事者なんだから、別に無理しなくていいのよ』と言うように見つめてくる教師に、モーガンは視線を落とした。
「…あたしの5年間は……」
言葉を続けることができなかった。何と言っていいのか分からなかった。誰もが哀れみの目で自分を見ているのが、耐えきれなかった。そこでモーガンは無理矢理笑顔を作った。得意の作り笑顔を…。
「みんなハッピーエンドが好きだけど、現実はそうじゃないこともあるって分かりました」
あの時の父親の言葉を引用したモーガンは、肩を竦めてみせた。そしてそれ以外何も言うことなく、腰を下ろした。
「では、次ね…」
教師もそれ以外何も言わなかった。
「モーガンちゃん、可哀想だよね…」
「でも、モーガンちゃんのパパはヒーローだったから、仕方ないよ」
コソコソ聞こえる声に、モーガンは耳を塞いだ。
(あたし…かわいそうなんかじゃないもん…)
涙が出てきた。この5年間、可哀想だなんて、一度も思ったことはなかった。だが、世間から見れば、自分は『父親を失った可哀想な子供』なのかもしれないと思うと、モーガンは悔しくてたまらなかった。
これ以上聞きたくないというように、モーガンは机に顔を伏せた。
授業が終わり、モーガンは帰り支度をし始めた。
「モーガンちゃん、また明日!」
「バイバイ!」
比較的仲の良い友達に手を振ったモーガンは、リュックを背負った。すると、同じクラスだが、あまり話をしたことのない男の子が、遠慮がちに近づいて来た。
「スタークさん…」
「なあに?」
首を傾げたモーガンに、その男の子は言いにくそうきモジモジしていたが、意を決した彼は口を開いた。
「僕…アイアンマンが大好きだったんだ」
「え…」
突然どうしたのかと、モーガンは目をパチクリさせたが、男の子は言葉を続けた。
「どうしてアイアンマンだったの?どうしてアイアンマンが死ななきゃならなかったの?ヒーローは沢山いるんだよ?どうしてなのか、スタークさんなら知ってるかと思って…」
モーガンは戸惑った。
今まで考えたことはなかった。どうしてアイアンマンが、犠牲にならなければならなかったのかということは…。
『パパは宇宙を救ったヒーローなの。あの時、宇宙を救うのは、パパしか出来なかったのよ』
母親からはそう聞いていた。だからそうなんだと思うしかなかった。だが、彼の言う通り、どうしてアイアンマンだったのだろうか…。
「わ、私…」
目に涙を浮かべたモーガンに、その男の子は慌てた。
「ごめん!ごめんなさい!こんなこと聞いて…本当にごめん!」
聞いてはいけないことを聞いてしまったと、男の子は謝り続けた。が、モーガンは首を振った
「ううん。いいの。でも…パパしか………パパしか出来なかったって…ママが言ってたわ…」
やっとの思いでそう告げたモーガンは、男の子が何か言う前に…と、足早にその場を後にした。
校門まで走って行くと、いつものようにハッピーが迎えに来てくれていた。友達は母親や父親が迎えに来てくれている。だが、母親は仕事が忙しく、迎えに来てくれたことは片手で数えられるくらいしかない。それに父親は絶対に迎えに来てくれない…いや、迎えに来ることすら出来ないのだ。
『モーガンちゃん…可哀想だよね…』
先程のクラスメイトの声が蘇り、モーガンは視線を伏せた。
「モーガン、どうしたんだい?」
元気のないモーガンを車に乗せたハッピーは、髪の毛をくしゃっと撫でると運転席に座った。
「今日ね……ヒーローの日のお話があったの……」
暫くして、モーガンがポツリと呟いた。
「そうか…」
窓の外から見える街並みは、3日後に備えて、アイアンマンのイラストやポスターが貼られていた。
「もう…5年になるのか…」
不意にトニーを思い出したハッピーは、何度か目を瞬かせた。そしてバックミラー越しにモーガンを確認したのだが、彼女はリュックに付けたキーホルダーを弄っていた。それはトニーがモーガンに買ってきたウサギのキーホルダー。トニーが死ぬ数日前に、土産だと買ってきた、最後のプレゼントであり、モーガンがずっと大切に持ち歩いているキーホルダー。何度も綻び、その度にペッパーが丁寧に手直ししていた。
「明後日は、きっと賑やかなセレモニーになるぞ。ボスは…トニーは派手で賑やかで楽しいことが好きだったから」
わざと明るい声で告げたハッピーを、顔を上げたモーガンは見つめた。
毎年、父親の命日には、追悼式に出席した後、母親と墓参りに行き、帰りにバーガーキングでチーズバーガーを食べて、家に帰ってからは、母親が父親の思い出をたくさん話してくれた。
だが、今年は5年目ということもあり、大規模な追悼イベントが各地で開かれる。NYではまるでお祭りかというようなイベントじみたセレモニーが開催されるため、モーガンも母親と共に出席することになっているのだが…。
「あたし…行きたくない……」
「え?」
思わず聞き返したハッピーに、モーガンは消えそうな声で告げた。
「あたし……お家で待ってる……」
泣きそうな顔をしているモーガンに、学校で何かあったに違いないと、ハッピーは優しい声で尋ねた。
「何かあったのか?」
だが、モーガンは黙ったままで何も言わなかった。
家に帰ると母親はまだ帰宅していなかった。
モーガンは遊び場となっている亡き父親のラボに向かった。ラボには沢山の写真が飾ってあった。父親がよく座っていたらしい椅子に腰を下ろしたモーガンは、そばにあった写真を手に取った。変顔をして写る父親と、嬉しそうに髭を引っ張っている1歳になったばかりの自分の姿に、モーガンは口を尖らせた。
今までは『パパは宇宙を救ったヒーローだから』…そう思っていた。だが、先程、あの男の子に言われて気づいた。
どうしてアイアンマンでなければならなかったのだろうか。あの場所には、神様もいれば、宇宙人もヒーローも大勢いたのに…。どうしてアイアンマンが、命と引き換えに指を鳴らさなければならなかったのだろうか…。
アイアンマンのヘルメットを引き寄せたモーガンは、まるで父親に抱きつくように腕の中に抱え込んだ。
「ねぇ…パパ…。どうして…パパは…死んじゃったの……。どうしてパパが死ななきゃいけなかったの?ヒーローは沢山いるんだよ?どうしてパパだったの?」
モーガンは泣き始めた。答えのあるはずのないヘルメットに向けて、モーガンは泣きながら何度も尋ねた。
ラボの入り口から様子を伺っていたハッピーは、何と声を掛けていいのか分からなかった。
暫くしてペッパーが帰宅した。
「どうしたの?」
ラボを覗いているハッピーに尋ねると、ハッピーはモーガンの様子を話した。
話を聞いたペッパーは、ハッピーが帰ると、ドーナツを作り、ラボへ向かった。
「モーガン?ドーナツ食べない?」
わざと明るい声で告げると、モーガンは真っ赤に泣き腫らした瞳を母親に向けた。
「パパが大好きだった、ママの手作りドーナツよ。グルテンフリーで健康的」
ドーナツをテーブルに置いたペッパーは、娘の隣に腰掛けた。
「モーガン、話したいことがあるなら、話して…」
涙で濡れた頬を拭ったが、モーガンは黙ったままだ。話そうとしない娘の髪を優しく梳くと、ペッパーはトニーの写真を取った。
「もう…5年になるのね…」
写真の中のトニーを撫でたペッパーは、寂しそうに笑った。
「トニーに…パパに見せてあげたいわ。モーガンは、優しくて思いやりがあって…面白くて…色んなことを沢山知ってて…ママの目を盗んで悪戯ばかりして…ラボで遊ぶのが大好きで…。それから…辛いことがあっても、一人で我慢して…。あなたにそっくりよ…って…」
娘の頬を撫でたペッパーは、再び写真のトニーに目を移した。
「パパはね、ママにとって人生そのものだったわ。だからパパが死んだ時、ママは自分の半分が死んでしまったように感じたの。それは5年経った今でも同じ…。でもね…、モーガン、あなたがいたから…。パパの血を受け継いだあなたがいてくれたから、ママは頑張ろうって思えたの。パパはあなたを遺してくれた…。あなたという大切な存在をね…」
ペッパーは、トニーにそっくりな顔をしている娘を見つめた。煌めく琥珀色の大きな瞳も、猫っ毛の焦げ茶色の髪の毛も、鼻も口元も…モーガンはトニーに生き写しだった。
『パパに会いたくなったら、鏡を見て?』
今まではそう言われると、モーガン自身も納得していた。だが、顔も性格も似ているのかもしれないが、父親の記憶自体が殆どないのだから、モーガンとしてみれば、本当に似ているのかも定かではないのだ。素直に受け止めればいいのだろうが、学校での一件もあったことから、モーガンは母親の言葉を受け止めることができなかった。
「でも…ママは…パパとの思い出がいっぱいあるでしょ?あたしには…あんまりないもん……」
ペッパーが息を飲んだ。モーガンは顔を伏せたまま呟いた。
「どうしてパパだったの……」
「え…」
戸惑う母親に気づいてはいたが、モーガンは止まらなかった。顔を上げたモーガンは、母親に向かって叫んだ。
「ねぇ!どうして!どうしてパパが死んじゃったの!ママ!どうして!パパじゃなくても…ヒーローは沢山いるのに!どうしてみんな、パパのこと、助けてくれなかったの?どうしてパパが死ななくちゃいけなかったの?今日、お友達に言われたの。モーガンちゃんは可哀想だって…。でも、パパがヒーローだったから、仕方ないって…。ママ、あたしは可哀想なの?パパはヒーローだったから、死んでも仕方なかったの?パパもそう思ってたから死んだの?あたしに…あたしに何も言わないで死んじゃったんだよ?!あたし、パパのこと…許せない!あたしとママを置いて、死んじゃったのが許せない!あたし…パパのこと、大好きだったのに!なのにパパはあたしのそばにいてくれないんだよ!パパのこと、覚えてないんだよ?!ママ!どうして!どうしてなの!どうしてパパは、あたしのそばにいてくれないの?!」
モーガンは号泣し始めた。もしかしたら、この5年間、ずっと心の中でくすぶっていたかもしれない娘の本心を、ペッパーも泣きながら受け止めるしかなかった。
***
翌日。
モーガンは学校に行くふりをして、トニーの墓にやって来た。
毎日誰かしらが訪れるトニーの墓には、普段から沢山の花が捧げてあったが、2日後はトニーの命日ということもあり、いつもよりも沢山の花やアイアンマンのイラストなどが置かれていた。
「パパ……」
墓標に触れたモーガンは、名前をなぞった。
「パパ…どうして死んじゃったの……。あたしのこと…置いて…どうして死んじゃったの…」
ポタポタと涙が地面に零れ落ちた。
と、不思議なことが起こった。モーガンは気づいていなかったが、その涙はキラキラと輝きながら地面と棺を通り抜け、トニーの遺体に降り注いだのだ。
すると、ガタガタとくぐもった音がした。ビクッと身体を震わせたモーガンは、辺りを見渡したが、誰もいなかった。
「え………何…」
突然、生暖かい風が吹き抜けた。墓に飾ってあった花が舞い散り、モーガンの周りを花びらが回り始めた。
(…モー……ガン………)
どこからともなく、父親の声が聞こえた。
「パパ…」
もしかしたら父親が会いに来てくれたのかと…もしかしたら、神様がお願い事を聞いてくれて、父親が戻ってきてくれたのかもしれないと、モーガンは笑みを浮かべた。
(モーガン…)
今度はハッキリと聞こえた。
顔を輝かせたモーガンだが、人の気配がすると同時に、風がピタリと収まった。
「モーガン、ここにいたんだな」
額に汗を掻いたハッピーは、ホッとしたように息を吐いた。
『モーガンが学校に来ていない』と、連絡を受けたペッパーは、ハッピーと手分けしてあちこち探していたのだ。ペッパーにモーガンを見つけたと連絡したハッピーは、再び沈み込んでしまった彼女の隣に座った。
「俺もよく来るんだ。ボスと…トニーと話がしたくなったら…」
黙ったままのモーガンに、ハッピーは寂しそうに笑みを浮かべた。
「ボスが死んだ日…俺は泣いた。涙が枯れるまで泣いた。だけど次の日から、俺は泣くまいと決めた。いつまでもメソメソして女々しいって、トニーの声が聞こえたんだ。それから、ペッパーとモーガンのことを守るのが、トニーとの約束だったから…。だけど…やっぱり時々泣きたくなった。その時はここで泣いた。こっそりと…」
目に浮かんだ涙を拭ったハッピーは、泣くまいと肩を震わせているモーガンの頭を撫でた。
「なぁ、モーガン。好きなだけ泣いていいんだ。泣きたい時は泣いていいんだ。我慢しなくていいんだ。もしトニーに…君のパパに会いたくなったら、いつだってここに来ていいんだ。思いっきり泣いても、思いっきり怒っても…トニーはモーガンのことを黙って抱きしめてくれる。例え姿は見えなくても…トニーは…トニーはモーガンのことを世界一愛していた。モーガンは、トニーを暗闇から救ってくれた光だった。だからトニーは…いつもモーガンのそばにいるんだから…」
顔を上げたモーガンはハッピーを見つめた。みるみるうちに、大きな瞳に涙が溜まり、ハッピーに抱きついたモーガンは、声を上げて泣き始めた。
こんなに泣くモーガンを、ハッピーは見たことがなかった。きっとずっと我慢していたのだろう…一人で我慢するのは、父親そっくりだな…と、小さな涙を流したハッピーはモーガンの背中を撫でた。
***
***
『……に……トニー……』
あの時…何もかもが終わり、静寂に包まれたはずなのに、ずっと名前を呼ぶ声が聞こえていた。
何とか答えようとしたが、ずっと何もできないままだ。ずっと目を閉じ横になったままだ。『ゆっくり眠って…』とペッパーに言われたが、十分過ぎる程眠った。だからそろそろ起きなくては…と、身体を動かそうとしたが動くことができない。どれくらい月日が経ったのか定かではないが、身体は硬直し指一本動かすことができなくなっていた。
が…今日は違った。
ポツリポツリと雨が降り始めた。こんなことは初めてだった。この世界にも雨が降るのかと思った。
「パパ……」
いつもよりもハッキリと声が聞こえた。
(もー…がん…)
娘の声にトニーは何とか答えようとした。が、相変わらず口は動かない。
「パパ……パパ……」
娘の泣き声が聞こえた。雨が強くなってきた。雨は次々とトニーの身体を濡らし、まるで凍りついたように動かない身体を溶かすように、全身に染み渡った。雨が口の中に入った。
「も……が…………ん………」
声が出た。掠れた声だが、確かに声が出た。口を動かすと、埃っぽい空気が入り込んだ。喉がカラカラに乾いている。砂漠のど真ん中にいるようだ。
くっついていた瞼も動かせるようになった。ゆっくりと目を開けると、目の前は布のようなものに覆われていた。払いのけようとしたが、手足は硬直しすぐには動かすことができなかった。が、暫く経つと動くようになり布を剥いだ。
何度か深呼吸をしたトニーは、自分が途轍もなく狭く暗い空間にいることに気づいた。
「…か……」
乾ききった口からは、相変わらず掠れた声しか出ない。
(何が起こってるんだ?ここはどこだ?)
パニックになったトニーは、バタバタと手足を動かした。
と、頭上でガサガサと音がし始めた。人の声もする。すると、ガタッという音とともに、暗闇にほんのりと灯りが差し込んだ。久しく見ていない光は眩しく、トニーは思わず目を閉じた。
「スターク…」
何処かで聞き覚えのある声に目を開けると、見覚えのある赤いケープが見えた。
「スト…レンジ?」
死んだ自分の前に現れたということは、魔法使いも命を落としたのだろうか…。
「…死んだのか?」
カラカラに乾いた口で何とかそう告げたが、ストレンジは首を振った。
「私は生きている。お前が生き返ったんだ」
目をパチクリさせているトニーだが、ストレンジの方も困惑しきっているようで、それ以上何も言わなかった。トニーの手を引っ張り棺の中から起こしたストレンジは、無言で彼をポータルの中へ押し込んだ。
そこはストレンジの家だった。いや、一度しか訪問してないので、あまり覚えがないが、多分そうだろう。
ベッドのある小さな部屋にトニーを押し込んだストレンジは、水を渡した。手渡しは嫌いだが、喉が乾いて仕方ない。ごくごくとペットボトルを一本飲み干すと、ようやくトニーは一息つくことができた。
「何が起きた?あれから何年か経ったのか?ストレンジ、お前が老けた気がする」
年老いたと言われ、ストレンジは顔を顰めた。
「5年だ。あれから5年経った。今は2028年だ」
「5年?!」
すぐに生き返ったのなら、まだ何とか信じられる気もしたが、5年も経ったと言われると俄かには信じられない。そのため、ここは天国かとトニーはキョロキョロと辺りを見渡した。が、どう見ても天国には見えない。
「私は…生き返ったのか?どうして…」
「分からん」
即答するストレンジに、トニーは目を細めた。
「お前が生き返らせたんじゃないのか?魔法使い」
「違う。私はそんなことはしない」
眉を顰めたストレンジに、トニーは手を振り回しながら叫んだ。
「本当に私は生き返ったのか?ほら、よく映画であるだろ?死者が生き返ると、ゾンビになってたり、吸血鬼になってたりするパターンだ!」
「残念ながら、お前はゾンビでも吸血鬼でもない。間違いなく人間だ」
「だが…」
パニックになっているトニーをストレンジは制した。
「お前が言いたいことは分かる。5年も埋葬されていたのに、どうして身体が朽ち果てていないのか。そればかりか、火傷の痕もなく右腕も治癒している…。どうして5年経った今なのか…。奇跡としか言いようがない。だが、何かが起こった。何かが起こり、お前は生き返った」
ふぅと息を吐いたストレンジは、トニーに尋ねた。
「どうする?これからお前はどうしたい?」
トニーの脳裏には、ペッパーとモーガンのことが浮かんでいた。彼がずっと気になっているのは、二人のことだったから…。
「…妻と娘に会いたい…」
トニーの言葉にストレンジは眉を吊り上げた。
「彼女たちはお前の死を受け入れ、前へ進んでいる。いや…お前の娘は…今までは漠然と受け入れていたお前の死を…ようやく心から受け入れようともがいている…。だから今戻れば、お前の妻と娘は混乱するだけだ」
そうかもしれない。5年も経ってノコノコ姿を見せれば、ペッパーもモーガンも戸惑うに決まっている。自分がいない人生を歩み出しているのだから、今更戻っても、そこに入ることは出来ないかもしれない。だが、トニーはモーガンの泣き声を思い出した。自分を求めて泣く娘の声を…。だからこそ、思った。きっと2人は自分を受け入れてくれると…。
「…では、何故生き返った?誰かが生き返らせたのか?目的は?ずっと聞こえていたんだ。あの日…死んでからずっと、ペッパーとモーガンの声が聞こえていた。身体は動かなかったが、ずっと聞こえていたんだ。モーガンが…娘が泣く声も聞こえたんだ」
必死なトニーにストレンジは根負けした。
「分かった。まず私がお前の妻に話をしてくる。いいな?」
頷いたトニーに、待つよう告げると、ストレンジはポータルの中に姿を消した。
ストレンジは戻ってこなかった。
10分…
15分…
20分…
…
30分…
………
……………
5分ごとに時計を確認したが、結局ストレンジが戻ってきたのは、1時間ほど経ってからだった。
「お前の妻は…混乱してる。パニックになっている。だから、少し待ってくれと言われた。気持ちを整理するから少しだけ待ってくれと…」
当然だろう。生き返ったなんて、物語ではあるまいし、混乱するのは当然だ。頷いたトニーの肩をストレンジはさすった。
「暫くここにいろ」
シャワーを浴びてさっぱりしたトニーは、ストレンジが用意してくれたスウェットに着替えると、 ベッドに潜り込んだ。
だが眠れるはずはない。散々眠ったんだから…。それに、今更何故生き返ったのかも分からないため、眠りにつけばまた死んでしまうのではという恐怖もあった。
結局一睡もできないまま、トニーは朝を迎えた。
***
翌日。
5年経ったと言われたが、世の中はさほど変わっているように思えなかった。外に出るわけにも行かないので、トニーは部屋でテレビを見始めた。
テレビではやたらと自分のことを言っている。
(あぁ、そうか…。明日は…あの日だ…)
5年前の明日は、自分が死んだ日。だから、追悼番組やら昔の自分の映画やらを延々と流しているのだ。
それにしても、どうして生き返ったのだろう。何か役目があるからなのだろうか…。その役目が終われば…また死ななければならないのだろうか…。
トニーは途端に怖くなった。
生き返った目的も何も分からないのだから…。
気がつくと、夕方になっていた。
ペッパーとモーガンのことだけが気掛かりで、じっとしていられなくなったトニーは部屋の外に出た。そして誰もいないことを確認すると、フードを被り外へと出た。
二人はまだあの家に住んでいるのかも定かではないが、タクシーを拾うと湖畔の家の住所を告げた。
タクシーの運転手は車を出発させると、バックミラー越しにトニーを見た。
「お客さん、どこから?」
「…LAだ」
あまり話すとバレるかもしれないと、声色を変えたトニーは、窓の外を眺め始めた。
街の風景も、最後に見た記憶の中の街とは違い、すっかり賑わいを取り戻していた。ただ一つ違うのは、あちこちにアイアンマンやトニー・スタークの壁画やポスターがあること。どこを見ても自分の存在がある街に、ペッパーやモーガンはこの風景が平気だったのだろうかと、ふとトニーは思った。
「もう5年ですよ…」
「え…」
それまで黙っていた運転手に突然話しかけられ、トニーは思わず聞き返した。
「彼が…アイアンマンですよ。トニー・スタークが死んで、明日で5年ですよ…」
「あぁ…そうだな…」
やっとの思いでそう告げたトニーに、運転手はチラチラ視線を送りながら、話し続けた。
「あれから色々なヒーローが活躍してますが、やっぱり私は、彼が一番ですよ。アイアンマンに勝るヒーローは、きっとこれからも出てこないですよ。色々言う人もいますけどね、彼は立派な人です。彼こそが本当のヒーローです。世界を守って死んだからじゃないですよ?彼はそれまでも、目に見えない所で、世界のために貢献してきた。アイアンマンとしても、トニー・スタークとしても…。戦いで破壊されたものにも、彼は救いの手を差し出してきた。逆恨みする人間もいましたけどね、それってほんの一部ですよ。彼に感謝している人間の方が多いんですよ。だからこそ、5年経った今でも、彼の死を皆嘆いているんですから…」
初めてだった。面と向かってそういうことを言われたのは初めてだった。思わず目を潤ませたトニーに気づいていないのだろう。運転手は首を振った。
「地球を守るためといっても…スタークさんも辛かったでしょうね…。奥さんも娘さんもいたのに…」
「…そうだな…」
あの時は必死だった。ストレンジに言われた『たった一つの方法』が自分の死と悟った時には、これでモーガンの未来が守れるのなら…と覚悟したつもりだった。だが、死に行く自分にペッパーが気丈にも笑って見せた時…彼女の温もりを感じられなくなった時…死とそして妻と娘を遺して逝かねばならないということに対する恐怖しか残らなかったのも事実だ。
黙ってしまったトニーに運転手は尋ねた。
「会ったことありますか?」
「いや…」
小さく首を振ったトニーに、運転手は誇らしげに告げた。
「私は一度だけあるんです。アイアンマンに助けてもらったことが…。昔、ソコビアって街にいたんです。敵が襲ってきてね…。街ごと空に浮かび始めたんですが、逃げ遅れて、家族共々家に閉じ込められた。そこへ彼がやって来た。私たち家族は、バスタブごと、彼に助けられたんです」
トニーは思い出した。あのウルトロンの事件のことを…。あの事件がきっかけで、仲間と決別したことも…。
「彼にとっては助けた人間のほんの一部だったかもしれない。もちろん、命を落とした人もいました。街を破壊されたと文句を言う人もいましたが、私たち家族にとっては、彼は命の恩人なんです。その時助かったうちの子供はね、スタークさんみたいに困っている人を助けるんだって…今は世のために働いてますよ」
嬉しそうに笑った運転手に、トニーの心は少しだけ軽くなった。
気づけば、家の近くにまでやってきていた。
「ここでいい」
車を止めさせたトニーだが、金を持っていないことに今更気づいた彼は、気付かれないように小さく舌打ちした。何か金目の物はないかと、ごそごそしていたトニーだが、腕に嵌めた時計を外して運転手に差し出した。
「持ち合わせがないんだ。これを…」
埋葬された時に嵌めていた腕時計。それはペッパーがモーガンが産まれた年の誕生日プレゼントにくれたもので、裏には3人の名前が刻まれている、思い出の品だった。
が、高級ブランドの腕時計を見た運転手は首を振った。
「そんな高価なもの、頂けないですよ」
「だが…」
「金はいりません。困っている人を助けた、それだけです。今夜は私もヒーローになりたいんです。彼を見習って…」
結局運転手は時計を受け取らなかった。何度も礼を言ったトニーは、森の中を歩いた。5年前と何も変わっていなかった。あまりに変わっていないので、ペッパーとモーガンはここに住んでいないのではないかと不安になったトニーだが、家には灯りが付いており、料理の匂いもするではないか。そして自分がモーガンに作ったブランコも、ペッパーと耕した畑もそのまま残っているのを見ると、トニーは安心したように息を吐いた。5年前から時が止まったように、何もかもが残っていたのだ。
が、家の中に入っていいものか、トニーは迷った。驚くくらいならいいが、受け入れられず追い返されるかもしれない。そこでトニーは、木の陰から様子を伺うことにした。
その頃、夕食を作っていたペッパーは、突然鳴り響いた警報に飛び上がった。
『侵入者あり!侵入者あり!』
キッチンに響き渡るF.R.I.D.A.Y.の声に、ペッパーはモニターを開いた。
「侵入者?F.R.I.D.A.Y.、見せて!」
すると、木の陰に隠れている男の姿が映し出された。フードを被っているが、間違えるはずはない。それは……。
「トニー………」
見間違えるはずはないのだ。何十年と傍にいた、ペッパーにとってたった一人の最愛の男性なのだから…。
昨日、突然現れたストレンジの話は、何かの冗談だと思っていたが、本当だと言うのだろうか…。が、絶対に起こりえるはずのない、夢物語のような話が、今目の前で起こっているのだ。ペッパーはガタガタ震え始めた。そして料理に使うため出していた赤ワインを飲み干した。
が、何度見ても、木の陰に隠れているのは、彼女の亡き夫であるトニー・スタークに間違いなかった。
5年ぶりに生き返ったなんて、非現実的な話に、パニックになってもいいはずなのに、考えるよりも先に、ペッパーの足は自然と外へ向かっていた。
どうしようかとトニーが迷っていると、ペッパーが走って家の中から飛び出してきた。
飛び出すのは今がチャンスかもしれないと身構えたトニーだが、それより先にペッパーが叫んだ。
「トニー!!!!」
トニーも木の陰から飛び出した。そしてフードを取ったトニーは、ゆっくりとペッパーに向かって歩き始めた。
「ペッパー……」
トニーの顔を見たペッパーは、顔を歪めると走り始めた。トニーも走った。そしてようやく再会した二人は、硬く抱き合うと、地面に座り込んだ。
ペッパーは泣きながらトニーの顔を両手で包み込んだ。
「トニー…本当に…、本当に、あなたなの?」
「あぁ…」
頷いたトニーの身体を、ペッパーはあちこち触り始めた。
温もりも何もかもが生前の彼と変わりなかった。煌めく瞳には光が宿っており、胸元に置いた掌には彼の鼓動が伝わってきた。
何もかもがペッパーの愛するたった一人のトニーに間違いなかった。
トニーの目からも涙が零れ落ちた。
ペッパーの顔を両手で包み込んだトニーは彼女の目を見つめた。そして唇を奪った。
柔らかく温かな唇を暫し堪能したペッパーは、唇を離すとトニーを見つめた。
「本当に…本当に…あなたなのね……」
「奇跡が起こったんだ…信じられない奇跡が…」
何度も頷きあった二人は、再び抱き合った。
すると、後ろでガタッと音がした。顔を上げ振り返ると、モーガンがいた。
トニーの記憶の中にある姿よりもすっかり成長した娘は、目を見開いて震えていた。
「…パパ……?」
今見ていることが信じられないというように、真っ青な顔をしたモーガンは震えていた。
「モーガン…」
立ち上がったトニーが声を掛けると、モーガンが後ずさりした。
「どうして……どうして…パパが…いるの……。パパは…パパは…死んじゃったんだよ…」
恐怖に震える娘に、トニーは自分だけが呼んでいた彼女のニックネームを呼んだ。
「モーグーナ…」
すると、モーガンの目から大粒の涙が零れ落ちた。そして顔を輝かせた彼女は、
「パパだ……パパだ!」
と叫ぶと、全速力で駆け寄って来た。トニーの腕の中に飛び込んで来たモーガンは、顔を押し付けると声を上げて泣いた。
***
家の中に入った3人は、ソファーに座った。
トニーは自分が知っている限りの話をし始めた。
死んだはずなのに、ずっと眠っているかのように皆の声が聞こえていた。だが身動き一つとれず、そして何も感じることはなかった。が、急に雨が降り出し、それが身体に降り注いだ瞬間、動けるようになった。ジタバタともがいていると、ストレンジが助けてくれた…。
「昨日、ストレンジが来ただろ?君がパニックになっているから、暫くいろと言われたが、居ても立っても居られなくて、ここへ来てみたんだ」
そう告げたトニーに、何か思い出したのか、モーガンが小さく声を上げた。
「どうした?」
娘の背中を撫でると、彼女は目を見開いて告げた。
「あたしが…お願いしたから?パパのお墓で…あたし、泣いたの。それで…神様にお願いしたの。一つだけお願いを叶えてくれるなら…パパを返してって…」
鼻を鳴らしたトニーは、目をくるりと回した。
「モーグーナ、それで死人が生き返るなら、今頃生き返った奴でこの世は溢れかえってる」
「そうだよね…」
うーんと考え込んでいる娘の頭を撫でたトニーは、溜息をついた。
「何かが起こったんだ。よく分からんが…。ストレンジが調べると言っていたから任せよう。それより…」
言葉を切ったトニーの腹の虫が鳴り響いた。
「腹が減ったんだが…」
変わらないトニーにクスクス笑いだしたペッパーは、立ち上がった。
「ちょうど夕ご飯が出来たから、食べましょ?」
5年ぶりのペッパーの手料理を味わったトニーは、シャワーを浴び、ペッパーが用意してくれたパジャマに着替えた。
「あなたの服も靴も…何もかもが捨てられなかったの。良かったわ、処分しなくて」
そう言って笑ったペッパーだが、彼女がこの5年間、自分の死を受け止めているようでも、完全には受け止められていなかったのでは…と、トニーはチクリと胸が痛んだ。
ペッパーは風呂に向かったため、トニーは家の中を見て回った。懐かしい我が家の温もりに包まれたトニーだが、この5年間で増えた写真には自分の姿がないのだから、モーガンの成長を間近で見られなかったことに対し、悔しさと悲しみが襲いかかってきた。
「5年か…」
ポツリと呟いたトニーに、寝る支度を整え、おやすみの挨拶をしに降りてきたモーガンが声を掛けた。
「ねぇ、パパ…、お話しして?」
頷いたトニーはソファーに腰を下ろした。
「いいぞ。何の話がいい?」
トニーの隣に座ったモーガンは何事か考えていたが、首を振った。
「やっぱりあたしがお話する。5年分のお話」
トニーの膝の上に座ったモーガンは、甘えるように父親に抱きついた。
「パパがいなくなってね…あたし、ずっと寂しかった…。学校に行っても、みんなはパパと遊んだ話をするけど、あたしはパパと二度と遊べないって…悲しくなることが沢山あったの。でも、パパは世界を救ったヒーローだし、みんながパパにありがとうって言ってるから、パパが死んじゃったことが嫌だって言えなかった…。パパはあたしとママを残して死んじゃったのに…私に何も言わないで死んじゃったのに…って、泣きたかった。あたし、小さかったから、パパのこと…あんまり覚えてなくて…。パパがあたしのこと、『モーグーナ』って呼んでたのは覚えてるけどね、あたしにはパパとの思い出がないのに、みんながパパのことをヒーローだって言うのが、すごく嫌で…」
モーガンの目に涙が浮かび、トニーは胸が痛んだ。
「そうか…ごめんな、モーガン。辛い思いをさせて…」
娘の涙を拭ったトニーは、額にキスをした。するとモーガンは、慌てて首を振った。
「パパも死ぬつもりじゃなかったんでしょ?だからパパは謝ったらダメだよ。それにね、パパが帰ってきてくれたからいいの。急に帰ってきたから、びっくりしちゃったけど。あたしのお願いを神様が叶えてくれたのかと思ったでも、違うよね?誰かがパパを生き返らせたの?」
首を傾げた娘に、トニーは肩を竦めた。するとモーガンは何か思いついたのか、目を軽く見開いた。
「どうした?」
「あのね…あのね…。5年間消えちゃってた人がいたんでしょ?だからね、パパは5年経って生き返ったんじゃないの?」
「ん?つまり、あの時消えていた人の5年分、パパもこの世から消えていたってことか?」
「うん!」
自分が思いもつかなかった発想をする娘に、トニーは感心したように小さく唸った。
「成る程…モーガンは天才だな!さすがパパの娘だ!」
頬にキスをすると、モーガンはくすぐったそうに笑った。その笑みは5年前の4歳だった時のモーガンと変わりなく、トニーの心の中で燻っていた5年というギャップを埋めてくれた。
「よし、そろそろ寝る時間だぞ」
髪をクシャッと撫でると、モーガンはトニーの膝の上から降りた。
「朝になっても、パパは消えたりしないよね?」
不安げに尋ねる娘を安心させるようにトニーは告げた。
「多分大丈夫だ。おやすみ、ミニ・ミス…愛してるよ…」
「おやすみなさい、パパ。3000回愛してる」
父親の頬にキスをしたモーガンは、二階へ上がっていった。
何処で寝ようかと迷った結果、ゲストルームへ向かおうとしたトニーだが、そこへ丁度風呂から上がったペッパーがやって来た。
「父と娘の時間は終わった?」
「あぁ」
頷いたトニーに、ペッパーは甘えるように抱きついた。
「じゃあ…私だけのトニーになってくれる?」
「君がボスだ。私は君に従うまでだ」
変わらない軽口に嬉しくなったペッパーは、トニーに抱きつくとキスをした。
寝室に向かった二人は、貪るようなキスをしながらベッドに倒れこんだ。トニーの唇と手が全身を這い回る度に、ペッパーはこの5年間、ずっと心に空いていた穴が塞がる気がした。そして彼が中に入り込み、同時に達した瞬間、自分があるべき場所に戻ってきたと実感したのだ。
「あなたは生き返ったのに、明日は追悼しないといけないのよ?」
トニーの腕の中に閉じ込められたペッパーは、足を絡ませ、余韻に浸るように彼にキスをしていたが、ふと明日のことを思い出し、溜息をついた。明日は追悼セレモニーがあるとテレビで言っていたことを思い出したトニーは、目をくるりと回した。
「私は死んでも人気者だったのか?」
「残念ながら」
肩を竦めたペッパーはトニーの胸元に顔を押し付け目を閉じた。彼の鼓動が聞こえてきた。力強くリズムを刻む鼓動が…。
「本当に生き返ったのね…」
感慨深げに言う妻の背中をトニーはスッと撫でた。
「自分でも信じられないから、君が信じてくれないのは当たり前だな」
ふんっと鼻を鳴らしたトニーは、妻の尻を掴んだ。途端に先ほどまでの快楽を思いだしたペッパーは、トニーの下腹部に手を伸ばした。そして夫にキスをしたペッパーは、甘ったるい声で囁いた。
「お願い…もう一回…」
「任せろ。5年分溜まってる…」
ペッパーを押し倒したトニーは、彼女の両足を開くと身体を滑り込ませた…。
結局、生き返ったと言う訳にもいかないため、明日の追悼セレモニーにはペッパーが一人で向かうとこにした。そして生き返った目的も何も分からないのだから、何か事が起こってはいけないと、暫くトニーの事は世間には秘密にしておくことにした。
***
翌朝、黒のワンピースを着たペッパーは、娘に告げた。
「モーガンはパパと留守番していて」
セレモニーには出席しないといけないと思っていたモーガンは、母親の言葉に飛び上がった。
「行かなくていいの⁈」
顔を輝かせた娘に、ペッパーはウインクした。
「パパが消えたりしないように見張っててね」
「ママ、了解!」
手を叩いて喜んだモーガンは、トニーの腕に抱きついた。
「ハッピーには話しておいた方がいいんじゃないか?」
時計を見たトニーは、もうすぐハッピーが迎えにくる時間だと気づくと、妻に告げた。
ハッピーはここに毎日出入りしているし、何よりトニーにとっての長年の友人である。そこでハッピーには生き返ったことを話すことにした。が、普通に話しても面白くないからと言い張ったトニーは、ハッピーは心臓が弱いんだから…と渋るペッパーを説得して、彼を驚かせることにした。
しばらくして、ハッピーがやって来た。
「ハッピー、これからあなたが見るものは…その…信じられないかもしれないわ。でもね、これは極秘事項よ。だから誰にも話さないで。それから、絶対に絶対に、叫び声を上げたりしないでね」
いつも以上に真剣な面持ちのペッパーに、ハッピーはゴクリと唾を飲み込むと頷いた。何を見せられるんだと些か緊張した面持ちのハッピーを、こちらも恐ろし良いほど真剣な眼差しをしたモーガンが見つめた。
「ハッピーおじちゃん、覚悟はいい?」
口を一文字に結び頷いたハッピーは、知らず知らずのうちに、拳を握りしめた。
モーガンがドアを開けると、この場には絶対にいるはずのない人物が立っていた。
「やぁ、ハッピー。5年ぶりだな。お前、また太ったんじゃないか?」
手をヒラヒラと振るトニー・スタークをポカンと見つめていたハッピーは、30秒ほどそのままの状態だった。が、目を見開いたハッピーは叫びそうになり、慌てて口を押さえた。
「と、と、と、と…」
指差したまま固まってしまったハッピーに、トニーはわざとらしく肩を竦めた。
「トニーだ。酷いな。名前を忘れたのか?」
恐る恐る近づいたハッピーは、トニーの腕に触れた。そして大粒の涙をこぼしたハッピーは、トニーを腕の中に閉じ込めた。
「は、ハッピー…く、苦しい…」
ジタバタと身悶えするトニーをようやく解放したハッピーは、大きな身体を縮こませると泣き続けた。
「本当に…本当に、トニーだよな?」
泣きながら顔を上げたハッピーに、トニーは優しい笑みを浮かべた。
「あぁ。話せば長い。いや、私自身も全く理由が分からないんだが…。奇跡が起こり、5年ぶりに生き返ったことだけは確かだ」
死者が生き返るなんて、あり得ない話だが、宇宙人やら神様やらがいる世界なのだから、意外とあり得る話なのかもしれないと思い込んだハッピーは、涙を拭うと鼻をすすった。そしてこの後の予定を思い出したハッピーは、顔色を変えた。
「トニーが生き返ったということは…生きている人間を追悼することになるんだぞ?!中止さ…」
「ハッピー、ダメよ」
ハッピーを制するように軽く睨みつけたペッパーだが、そのペッパーの『ダメよ』という言い方すらトニーには懐かしかった。
***
テレビで生中継されている追悼セレモニーの様子を、トニーはモーガンと二人で見ていた。
「自分が追悼される様子をTVで見るなんて変な気分だ」
ふんっと鼻を鳴らしたトニーに、モーガンは肩を竦めた。
「でも、パパは死んでるんだから、仕方ないわ」
確かに…と呟いたトニーがテレビに視線を戻すと、丁度ペッパーが挨拶をするところだった。
『皆さま、今日はお集まり頂き、ありがとうございます。ヒーローたちが命を懸け地球を守り抜いてから、もう5年が経ちました。ヴィジョン、ナターシャ・ロマノフ、スティーブ・ロジャース…そして私の夫であるトニー・スターク…』
ペッパーが目元に浮かんだ涙をハンカチで押さえた。ペッパーの話を聞いていたトニーは、スティーブ・ロジャースの名前を聞いた途端、首を傾げた。
「キャプテンも…あれから死んだのか?」
モーガンに尋ねると、彼女は首を振った。
「ううん。死んでないけど、キャプテン・アメリカはね、別の人になったの。パパの仲間だった前のキャプテン・アメリカはね、石を戻しにね行ったんだけど、そのまま戻ってこなかったの。でね、おじいさんになっちゃって、別の人にあの盾を渡したんだって。ローディおじちゃんが教えてくれたよ」
モーガンの話からは、何となくしか理解できてなかったが、スティーブ・ロジャースは過去にとどまり、本当に『じいさん』になったということなのだろうか…。そのうちローディに聞いてみればいいかと考えたトニーは、ペッパーの挨拶が終わり、追悼映像が流れ始めたテレビから視線を外した。
「しかし、どうするかなぁ。このまま一生、外に出て行かずにという訳にはいかないしなぁ…」
ぽりぽりと頭を掻いた父親を、モーガンは不安げに見つめた。
「いきなり生き返ったって言ったら、みんな、パパのことをゾンビだと思って、捕まえに来るかも…」
自分と同じようなことを言う娘に可笑しくなったトニーは、悪戯めいた笑みを娘に向けた。
「そうだな。ゾンビ扱いされても不本意だが…。このまま死んだことにしておくか?」
するとモーガンは頬を膨らませた。
「ダメ!だって、パパと遊びに行けないもん!」
プンプン怒り出したモーガンだが、アイアンマンの戦いの歴史が流れ始めたのに気づくと、テレビを消した。
「ねぇ、パパ。あたしもね、ロボット作ったのよ!」
そう言うと、モーガンはトニーを引っ張りラボに向かった。
ラボは5年前と然程代わりはなかった。
こざっぱりと片付けてはあるが、作りかけだったアーマーもそのまま置いてあった。
が、ひとつだけ違うところがあった。部屋の隅にレスキューアーマーが置いてあったのだ。そばに寄ってみると、レスキューアーマーの足元には、最後に自分が着ていたボロボロになったアーマーがケースに入れて置いてあった。それを見たトニーは、あの時のことを思い出した。最後に石を奪った時のことを…。全身にあの時の痛みが襲いかかり、トニーは呻き声を上げると、その場にうずくまった。青い顔をして座り込んだ父親に、モーガンは顔色を変えると駆け寄った。
「大丈夫?パパ…」
何も答えない父親をモーガンはぎゅっと抱きしめた。
「パパ、大丈夫…大丈夫よ…。パパはちゃんとお家に帰ってきて、今、あたしの目の前にいるんだから…」
モーガンは震える父親の背中を撫でた。何度も何度も…。小さな手から伝わる温もりに、数分経ってようやく落ち着いたトニーは、アーマーから目をそらすと、娘を抱きしめた。
「ありがとう、モーガン…」
娘の頬にキスをしたトニーは、手を繋ぐと立ち上がった。
「よし!モーガンの作ったロボット、見せてくれ」
システムを起動させようと、トニーはモニターに手を触れた。するとモニターに文字が浮かんだ。
『トニー・スターク。100%一致』
と同時に、F.R.I.D.A.Y.の声がラボに響き渡った。
『お帰りなさい、ボス』
「ただ今、F.R.I.D.A.Y.…」
懐かしいA.I.の声だが、最後に確認するように、トニーは恐る恐る尋ねた。
「F.R.I.D.A.Y.…私はその…正真正銘のトニー・スタークだよな?ちゃんと生きているよな?5年前の私と変わりないよな?」
するとF.R.I.D.A.Y.は、5年前の…2023年のトニーの生体データと現在の…2028年のトニーのデータを照合させた。
『はい。ボスは5年前のボスのデータと100%一致しています。年齢は53歳…』
「そうか…歳をとってないのか…」
死んでいたから当たり前なのだが、自分は何もかもが時が止まっているのだと、トニーは改めて感じた。
モーガンのロボットは、ダミーを真似た形をしており、不完全ながらも一人で作ったというその出来に、さすが自分の娘だとトニーは感心したように唸った。
モーガンの作業を手伝っていると、ペッパーが帰宅した。
「おかえり、ハニー」
出迎えたペッパーにキスをすると、彼女は可笑しそうに笑い出した。
「あなたの思い出を話していたのに、帰ったらあなたがいるんだから、不思議よね」
本当ならば、今日はトニーを偲び、モーガンと2人で静かに過ごしていたはずなのに、奇跡が起こった結果、今年は賑やかに過ごせるのだ。二度と味わうことができないと思っていた家族3人での団欒の時が戻ってきたことを、トニーを生き返らせてくれたであろう誰かに、ペッパーは心の中で感謝するしかなかった。
***
夕食後、トニーとモーガンは庭で星を眺めていた。
「懐かしいな…」
5年前までは、週に何度かモーガンと一緒に星を眺めていた。自分が亡き後も、モーガンは『パパはお星様になったのよ』という言葉を信じて一人でずっと星を眺めていたことをペッパーから聞いていたトニーは、すっかり大きくなった娘を抱きしめ、あの頃のように星の話を聞かせていた。
「もう抱っこするのは無理だな」
苦笑する父親に、モーガンは甘えるように抱きついた。
「でも、抱っこして?」
分かったと頷いたトニーは、
「よいしょ!」
と言いながら立ち上がった。
「くそっ!モーガン!重いぞ!」
大袈裟に呻き声を上げながら歩く父親に、5年前のようにモーガンはクスクス笑った。
寝室で夫婦二人きりになると、ペッパーはトニーに尋ねた。
「何か分かった?」
「いや。だが、5年前の私と今の私は100%一致するってことは分かった。つまり今の私は、5年前からタイムトラベルでもしてきたように、肉体的にも何の代わりもないらしい」
首を振りそう告げたトニーの言葉に、ペッパーは何か閃いたのか顔を輝かせた。
「そうだわ!そうしましょ。あなたは5年前からタイムスリップしてきたことにするっていうのはどう?」
が、トニーは顔をしかめた。
「5年前、サノスを倒したのは誰だって話にならないか?」
「そうよね…」
はぁ…と溜息をついた妻に、トニーは眉を吊り上げてみせた。
「正直に言うか?墓の下から蘇ったと」
「ゾンビだって言われるわ」
即答する妻に、トニーは苦笑した。
「どうして君までそんなこと言うんだ?モーガンにも同じことを言われた」
「親子だから仕方ないわ」
肩を竦めたペッパーを抱き寄せたトニーは、頬にキスをした。
「まぁ、いい。しばらくはじっとしておく。だが、いつまでも隠れて生きるのも性に合わないが…」
「そうよね」
大きく頷いたペッパーの頬を撫でたトニーは、唇を奪うとベッドに押し倒した。
***
翌日。モーガンは学校へ、ペッパーは仕事へ向かった。トニーは出掛けるわけにも行かず、ラボにこもることにした。
「F.R.I.D.A.Y.、死人が生き返ることが今まであったのか調べろ」
A.I.にそう命じたトニーは、自分の壊れたアーマーの入ったケースを開けた。
右腕のボロボロになったアーマーを手に取ると、あの時ストーンがはまっていた部位を撫でた。
死を覚悟していたはずはなかった。
出来ることなら死にたくなかった。
が、あの状況でサノスを倒すことが出来たのは、自分しかいなかった。
ペッパーとモーガンの未来を守りたい…その一心で指を鳴らした。
「サノスと部下たちを全員消し去れ」
そして…
「死にたくない…」
そう僅かにだが、願ったことをトニーは思い出した。
「だから生き返ったのか?だが…何故5年経った今なんだ?」
ストーンの力なら、あの時死なずに生き延びることが出来たはず…。それならばやはり本当に誰かが目的を持って自分を生き返らせたことになるだろう…。
だが、考えても結論が出るはずもない。
アーマーを納めたトニーは、5年分の出来事を頭に入れておこうと、モニターに向かった。
この5年で、沢山の新たなヒーローが誕生していた。
スパイダーマンも…ピーター・パーカーも、正体がバレたようだが、健在だった。
彼には知らせた方がいいのかもしれないと思ったトニーだが、自分の庇護から飛び出し自分の力だけで戦っているピーターを混乱させたくないと思い、当面黙っておくことにした。
が、ローディには知らせるべきだろう…長年の親友の彼にはきちんと知らせるべきだ…。
そう考えたトニーは、ペッパーが帰宅するとそう告げた。
頷いたペッパーは、ローディに電話を掛け、明日の夕食に招待することを告げた。
「ハニー、あいつに間違っても銃は渡さないでくれよ」
真顔で言うトニーに、ペッパーはありえるわね…と苦笑した。
***
翌日。
トニーはキッチンでペッパーを手伝っていた。外でモーガンと遊びながら、様子を伺っていたハッピーが、ローディの車に気付いた。
「モーガン!作戦開始だ!」
コソコソ囁いたハッピーに、頷いたモーガンは、家に向かって走った。
「ターゲット確認!」
コソコソと囁いた娘に頷いたトニーは、急いで部屋に隠れた。
ものの数分もしないうちに、ローディが家の中に入って来た。
「やぁ、ペッパー。お招きありがとう」
ペッパーとハグしたローディは、
「もう5年も経つんだなあ…」
と、トニーの写真を手に取ると寂しそうに言った。
パパは隣の部屋にいるのに…と、可笑しくなったモーガンは、堪らずクスクス笑い始めた。
「ミニ・トニー?何か嬉しいことでもあったのか?」
慌てて口を押さえたモーガンは、
「久しぶりにローディおじちゃんに会えたから、嬉しいの」
と、ローディに抱きついた。デレっと顔を崩したローディをソファーに座らせると、ペッパーはポンっと手を叩いた。
「そうそう。プレゼントがあるの。ラボを片付けてたら、見つけたの。トニーからあなたへのサプライズプレゼントを…。用意するから、目を閉じてくれる?」
5年も経ってプレゼント?と、訝しげに眉をひそめたローディに、モーガンはわざとらしく頬を膨らませた。
「もう!ローディおじちゃん、目を瞑って!」
「はいはい」
モーガンにそう言われたローディは目を閉じた。
「ハッピー、持ってきてくれる?」
頷いたハッピーは、トニーを呼びに行った。
トニーは足音を忍ばせてローディに近づくと、背後から彼に抱きついた。ローディはビクッと身体を震わせた。
「おい、ハッピー、気持ち悪い。抱きつくな」
ハッピーだと思っているローディの耳元で、トニーは囁いた。
「冷たい奴だな。5年ぶりの再会だぞ?」
「え……」
ローディは目を開いた。ハッピーの声ではない。この声は……。
(絶対にあり得ない。こんなことはあり得ないんだ…。)
そう思いつつ、ローディは恐る恐る振り返った。すると背後には、トニーがニヤニヤ笑いながら立っているではないか。
飛び上がるように立ち上がったローディは、言葉を失い、トニーを指差したまま固まってしまった。が、30秒ほど経ってようやく我に返った彼は、悲鳴を上げた。
「ど、ど、ど、どうして?!」
パニックになっているローディの肩をハッピーが肩を叩いた。
「気持ちは分かる。俺も心臓発作で死ぬかと思ったから」
ローディはハッピーを見た。すると彼はウンウンと頷いている。
次にペッパーとモーガンを見ると、彼女たちも嬉しそうに笑っている。
そして最後にもう一度トニーを見つめると、ローディは目をこすった。が、何度こすっても、トニーの姿は消えないではないか。
「本当に…本当に…トニーなのか…」
やっとの思いでそう告げると、トニーは笑みを浮かべ頷いた。
「あぁ、正真正銘のトニー・スタークだ」
こんなことがあるのだろうか。5年前に死んだ親友が生き返るという物語のような出来事が…。
「だが…お前は…」
言葉を詰まらせたローディに、モーガンとペッパーが説明した。
「パパね、生き返ったの」
「理由は分からないんだけど、奇跡が起こったのよ」
近づいてきたトニーを恐る恐る抱きしめたローディは、親友の顔に手を添えた。
「マジかよ!マジか…こんなことが起こるのか?おい、トニー!相棒!帰ってきたんだな!本当に…」
言葉を切ったローディは、トニーの肩に顔を埋めると、泣き始めた。
ローディの背中をポンっと叩いたトニーも、目を潤ませ、黙って親友を抱きしめた。
***
「で、どうするんだ?」
食事中の話題は、『トニーが生き返ったことを世間にどう説明するか』ということだった。
そこでトニーは、帰還してから家族で話し合い出た意見をリスト化したものを、ローディに読み聞かせ始めた。
「その一、実は死んでなかった」
「5年分の涙を返せと大ブーイングだぞ」
ローディの言葉にトニーは目をくるりと回した。
「その二、墓の下から蘇った」
「ゾンビかよ」
「どうしてみんな、同じことを言うんだ?」
ふんっと鼻を鳴らしたトニーは続けた。
「その三、タイムトラベルしてきた、5年前の私ということにする」
「タイムトラベルはお前が開発したから可能だが、辻褄が合わなくなるって言われるぞ?」
「その四、別の次元からやって来た」
「その次元から本当に別のお前が来たらどうするんだ?」
ローディの冷静なツッコミに、トニーは溜息をついた。
「その五……」
ネタは尽きてしまった。もうこれ以上思い浮かばない。
うーんと頭を抱える大人たちを見渡したモーガンは、ふと思いついた案を口に出した。
「パパが別の人になりきる」
「は?」
頭を抱えていたトニーが顔を上げた。
「だから、トニー・スタークじゃない人になるの。パパ、お髭を剃ったら、よそのおじさんみたいだから…」
誰もそれは思いつかなかった。
「いいんじゃないか?」
「たしかに…」
ローディとハッピーは名案だというように頷いているが、当の本人は頬を膨らませているではないか。
「どうしたの?」
ペッパーが夫の腕を突くと、トニーはムスッとした表情を浮かべた。
「別人になる?つまり、ペッパーは5年経ったし、別の男と再婚したということになるのか?」
「え?」
どうしてそこまで話が飛躍するのだろうかと、ペッパーだけではなくハッピーとローディもぽかんとトニーを見つめた。
「そうだろ?!別の男と暮らして、別の男と…あれこれするってことだろ?ダメだ!ペッパーは私だけのものだ!他の奴に渡すもんか!」
本気で怒り出したトニーに、ペッパーは呆れたように溜息をついた。
「その五は却下ね。不貞腐れて、後が面倒くさいもの…」
二人のやりとりに苦笑したローディだが、彼には別の心配があった。それはどうしてトニーが生き返ったのかということ。
「その六。お前が蘇ったことが奇跡ではなく、計画的なものだとしたら、その目的を突き止める方が先じゃないか?」
そう口に出すと、
「その通り」
と言う声が何処からともなく聞こえた。そして突然ポータルが開き、ストレンジが現れた。
「お前はどうしていつも突然現れるんだ?」
眉を吊り上げたトニーに、ストレンジは告げた。
「お前が生き返った理由が分かった。誰かが禁断の魔術を使い、お前を蘇らせた」
「魔術というと…魔法使い、お前の一派か?」
眉をひそめたトニーに、ストレンジは首を振った。
「いや、違う。闇の魔術だ。一体誰がスタークを生き返らせたのか、それは今、調査中だが………。お嬢さん、突くのはやめてくれないか?」
ストレンジが溜息をついた。見るとストレンジのマントを、モーガンが興味津々に突き回しているではないか。マントの方もモーガンを気に入ったのか、形を変えて遊んでいた。
「この子、可愛いんだもん」
可愛いと言われたマントは、あからさまに喜んでいる。
「おじさん、ドクター・ストレンジでしょ?魔法使いの」
「あぁ、そうだ。だが、正確には魔法使いではない」
話を戻そうと、ストレンジはごほんと咳払いをした。
「兎に角、スタークを蘇らせた人物は必ず突き止める。お前以外にも誰かを生き返らせようとする可能性もある。それはそれとして、スタークが生き返ったとなると騒ぎになる。理由を考えなければならない」
「それを話し合っていたんだ」
ローディが困ったように肩を竦めると、ストレンジはトニーを見つめた。
「奇跡が起こり、生き返ったと言え」
が、トニーはふんっと鼻を鳴らした。
「その奇跡を求めて殺到されても困る」
結論が出るはずもなく、トニーが生き返ったことは、もうしばらく伏せておくことになった。
***
翌朝。眠い目をこすりながらキッチンへ降りて来たモーガンは大欠伸をすると、コーヒーを飲んでいる父親に挨拶をした。
「パパ…おはよ…」
「おはよう、寝坊助」
が、父親の顔を凝視したモーガンは、素っ頓狂な声を上げた。
「パパ!お髭がない!」
父親自慢の髭は、物の見事になくなっているではないか。
すっかり目が覚めたのか、目を見開いて驚いている娘に、トニーは苦笑い。
「剃った。イメチェンだ。モーガンのアイデアを一時採用だ。別の人間のふりをする…だったろ?だから今日のパパはトニー・スタークではない。よそのおじさんだ」
本当はちゃんと理由があるのに、わざとそう言っているトニーに、夫の計画を知っているペッパーはクスクス笑いながら、モーガンに朝食を出した。
朝食を食べ終わると、トニーがモーガンに声を掛けた。
「モーガン、行くぞ」
「え??」
キョトンとしている娘に、トニーはリビングのソファーに放り投げてあるリュックを指差した。
「学校だろ?」
リュックと父親の顔を見比べていたモーガンは、みるみるうちに笑顔になった。
「パパが……パパが送ってくれるの?!」
笑顔で頷いたトニーに、モーガンは歓声を上げながら抱きついた。
初めて父親が学校に送ってくれたのだ。絶対に叶わないと諦めていた夢が叶ったのだ。モーガンは道中おしゃべりが止まらない。トニーも運転しながら、嬉しそうに聞いていた。少し遠回りしたにも関わらず、すぐに学校へ到着してしまい、モーガンはしょぼくれながら車から降りようとした。
「車からは降りないからな。バレたら大変だ」
無言で頷く娘に、トニーは声を掛けた。
「帰りも迎えに来る」
すると振り返ったモーガンは、パッと顔を輝かせた。
「うん!」
モーガンは一日中楽しくて仕方がなかった。早く放課後になれ…と、一日中願っていたせいか、いつもよりも時が流れるのは早く感じ、あっという間に放課後になった。
いつもならゆっくりと教室を出るモーガンなのに、今日は終業のチャイムと共に教室を飛び出して行ったのだから、スタークさんは一体どうしたのかと、皆が不思議に思っていたとか…。
走って学校の外に出ると、いつものようにハッピーが待っていた。あからさまに残念そうな顔をするモーガンに、ハッピーはウインクすると後部座席のドアを開けた。するとそこにはトニーが座っているではないか。
「おかえり、モーガン」
「パパ!ただいま!」
今朝は運転していたのに、どうして今は運転していないのかとモーガンは首を傾げながら、トニーの隣に座った。するとトニーは困ったように肩を竦めた。
「パパは免許がないんだ。死んだから、免許の更新をしていない。だから今朝のパパは無免許で運転をしたんだ。何事もなく家に帰ったんだぞ?だがな、ハッピーが運転してパパは後部座席に座っておくと約束したのに、言うことを聞かなかったと、ママにめちゃくちゃ雷を落とされた」
「だから俺が運転手」
運転席に乗り込んだハッピーは、車を発進させた。
「ハッピー、例の所へ寄ってくれ」
ハッピーにそう告げたトニーは、モーガンの頭を撫でた。
「さて、モーグーナ。学校で何か楽しいことはあったか?パパの夢はな、こうやってお前を迎えに行って、学校であったことを聞くことだったんだ。また一つ夢が叶ったぞ」
まさか父親が同じ夢を持っていたなんて…。
嬉しくて目に涙を浮かべたモーガンだが、慌てて涙を拭うと、今日の出来事を話し始めた。
バーガーキングのドライブスルーに立ち寄ると、チーズバーガーとストロベリーシェイクを買い込み、帰り道の途中の人気のない公園で、ハンバーガーに食いついた。
「パパもチーズバーガー、好きなんだね」
幸せそうにチーズバーガーを食べている父親に、モーガンも嬉しそうだ。
「モーガンがうんと小さい頃、よく2人で食べに行ってたなぁ…」
5年前を思い出したトニーは懐かしそうに目を細めたが…。
「そうなんだ。あたし、覚えてない…」
そう言うとモーガンは口を尖らせた。娘の姿に胸が痛んだトニーだが、彼女を元気づけるように髪をくしゃっと撫でた。
「これからは、いくらでも食べに行けるぞ?」
それまで邪魔をしないように黙って食べていたハッピーだが、トニーのその言葉にうっかり口を出してしまった。
「それにはまず、どうして生き返ったのか、説明を考えないといけないですね…」
「おい、ハッピー。水を差すようなことを言うな」
顔をしかめたトニーだが、結局は議論はそこに行き着くのだから、いい加減どうにかしないといけないなと、ため息をついた。
***
その週末。
トニーはラボでモーガンの宿題を手伝っていた。
『パパはお髭がある方がかっこいい』とモーガンに言われたため、トニーは再び髭を伸ばし始めた。が、元通りになるにはまだ時間がかかりそうだ。まだらに生えそろった髭には白いものも多く混じっている。髪も同じように白いものが混じっているが、5年前には『年相応だし、私は好きよ』とペッパーに言われていたため、そのままにしていた。が、やはり染めた方がいいだろうか…と、モニターで自分の姿を確認していたトニーだが…。
「トニー!大変!」
ペッパーが叫び声を上げながら、駆け込んできた。
「どうした?」
いつになく慌てふためく妻の姿に、只事ではないと、トニーは立ち上がった。
はぁはぁと息を整えたペッパーは、トニーの胸元を掴むと顔を近づけた。
「パーカーくんが来るの!ラボを使わせて欲しいって!」
パーカーくんというのは、ピーター・パーカーのことだろう。彼がどうしてラボを使いたいと言うのか、状況がさっぱり分からないトニーは、ぽかんと口を開けたままだ。
ようやく平常心に戻ったペッパーは、トニーから腕を離した。
「あなたが死んでから、スーツの改良をする時に、ここを使っていたの。あなたのラボ、もうここしかないから…」
黙ってペッパーの話を聞いていたトニーだが、最後の部分でギョッとしたように目を見開いた。アベンジャーズの本部は、5年前の戦いで壊滅したからないのは分かる。が、ペッパーもだがハッピーも知っている、もう一つの秘密のラボがあるはずなのに…。
「…ちょっと待て…。飛行機は…」
「…爆発したの。もうないわ」
妻の言葉にトニーは30秒ほど停止していたが、叫び声を上げた。
「は?!爆発?!どういうことだ!」
目を丸くし、わなわなと震えるトニーに、ペッパーは残念そうに肩を竦めた。
「色々あって…私も知らない間に…」
「あの隠しラボに…いくらかけたと思ってるんだ?!」
怒り出したトニーだが、今は喧嘩をしている場合ではない。
「そんなこと、後でいいから!兎に角!あと30分で到着するんですって!だから隠れて!」
ペッパーはトニーを何処かに隠そうとしたが、遅かった。
ガタッと音がし、振り返ると、ピーター・パーカーがラボの入り口に立っていた。
「ペッパーさん、いつも無理言って、すみ……………」
ピーターは、ペッパーとモーガン、そしてトニーの姿を見ると、呆然と立ちすくんだ。何度も何度も目をこすったピーターは、トニーを指差した。
「す、す、す、す、スタークさん…」
あぁ…もうバレた…と、トニーもペッパーもそしてモーガンも、頭を抱えたのだが…。
「…の、そっくりさんですか?」
思いもよらぬピーターの言葉に、一同唖然としてしまった。が、トニーは咄嗟に
「…そうだ…」
と、答えてしまった。すると目を見開いたピーターは、その場で飛び上がった。
「す、すごい!何処からどう見ても、スタークさんだ!」
駆け寄ってきたピーターは、トニーを触り始めた。ペッパーとモーガンは必死に笑いを堪えているが、ピーターは本当にトニーが『そっくりさん』だと思っているようだ。
「お名前は?」
「…ハワードだ…」
どうしてよりによって『ハワード』と答えてしまったんだ…下手をしたらバレるぞ?!と、内心舌打ちしたトニーだが、ピーターは全く気づいていない。
「ハワードさんは、何をされているんですか?」
「…料理人だ…」
何故出来もしないのに料理人と答えたのだろうかと、ペッパーは可笑しくて笑い声を上げそうになった。
「ペッパーさん、彼、スタークさんに激似ですよ!どこで知り合ったんですか?」
急に話を振られたペッパーは、ヒィッと小さく叫び声を上げた。
「え…えっと…その……パーティーよ!パーティー!トニーにそっくりな方がいるって紹介されたのよ!」
慌てすぎていつもより1オクターブは高い声なのに、幸か不幸か、ピーターはまだ気づいていないようだ。が、二人の様子に、ピーターはピンときた。全く見当違いなのだが、ピーターの中ではピンときた。
「で、お二人はもしかして、付き合……」
「違うわよ!」「そうだ!」
同時に答えた2人だが、これは誤魔化すのに絶好のチャンスだと感じ、気づかれないように目配せした。
「おい!付き合ってるだろ?昨夜もセッ…」
「と……ハワードったら!何言ってるのよ!あれは…その………」
「ヴァージニア!俺のことは、遊びなのか?そうか!遊びなんだな?」
「違うわよ!あなたのことは…」
ペッパーはトニーの頬を掴むとキスをした。そして甘えるように首元に腕を巻くと、もう一度キスをした。
「遊びじゃないって分かってくれた?」
「あぁ…ヴァージニア…」
2人は再びキスをし始めた。濃厚なキスシーンを見せつけられたピーターは、ゴクリと唾を飲み込むと、カバンを掴んだ。
「ぼ、ぼ、僕!出直してきますね!」
真っ赤な顔をしたピーターは、慌ててラボを飛び出した。
「F.R.I.D.A.Y.、坊やは帰ったか?」
『はい』
やれやれと額の汗を拭ったトニーは、ペッパーに向かってニンマリ笑った。
「あれくらい言っておけば、まさか本物だと疑わないいだろ」
「そうね」
頷き合った父親と母親を見比べたモーガンは、感心したように唸った。
「パパとママ…演技派だね…」
***
それから2週間。状況は全く変わらなかった。トニーを生き返らせた人物も目的も分からないし、そうかと言ってどうして生き返ったのかといういい説明も思い浮かばない。家にこもりきりのトニーは、モーガンを遊びに連れて行くことも出来ず、次第にイライラし始めた。
「やっぱり、墓から生き返ったと正直に言おう。雷を操る神様やエイリアンや、奇妙なヒーローが大勢いる時代だ。誰か一人くらい墓から蘇ってもおかしくないだろ?」
バルコニーで家族3人寛いでいる時に、トニーはそう切り出した。
「でも、あなたは、神様でもエイリアンでもない、ただの人間なのよ?それに5年も経ってるんだし…。そうよねぇ…。そうかと言って、このまま黙っていてもどうしようもないわよねぇ…」
困ったように溜息をついたペッパーは、思わず呟いた。
「もうこうなったら、神様でも悪魔でも何でもいいから、トニーが生き返った理由を教えてくれないかしら…」
と、その時だった。
「やぁ、スタークさん。二度目の人生、楽しんでるか?」
突然目の前に見知らぬ男が現れた。
キャッと悲鳴を上げたペッパーとモーガンを守るように、トニーは2人の前に立ちはだかった。
「誰だ!」
威嚇するように睨みつけたのに、その男はニコニコ笑みを浮かべているではないか。
「あんたを生き返らせた張本人さ」
「えっ!!」
トニーとペッパーは、ギョッとしたように顔を見合わせた。するとトニーの背後から恐る恐るモーガンが顔を覗かせた。
「おじさんが悪い魔法使いなの?」
すると男は、バルコニーの柵に腰を下ろした。
「おじさんは、魔法使いじゃない。悪魔だよ。悪魔と言っても、悪いことはしない。あんたたちを取って食う気もない。スタークさん、説明させてくれ。あんたを生き返らせた経緯を…」
トニーを生き返らせたのが、神様でも魔法使いでもなく、悪魔だったとは…。頭の中は大混乱だが、とにかく話を聞くしかないと、3人は腰を下ろした。
「実は、あんたが死んでからすぐに、あんたを生き返らせる魔術を使った。だが、なかなか生き返らなくて焦ったよ。なんせ、必要な物が揃ってなかったからなぁ…」
男はモーガンを見た。
「あんたの奥さんの涙だけでは足りなかった。その子の…娘さんの涙が必要だったんだ」
「あたしの…」
目をまん丸に見開いたモーガンに、男は頷いた。
「あぁ、君の涙だ。勿論、大勢の人間があんたの墓で泣いた。だが、それは嘆き悲しむだけの涙だった。奥さんもよく墓に来て泣いていたが、それはスタークさんの死を受け止めた上での涙だった。勿論、あんたの最愛の女性の涙には、あんたを愛しているという思いも、寂しいという思いもこもっていたさ。だがな、それだけじゃ足りなかった。奥さんの涙だけで足りると思っていたんだが…計算違いだった」
モーガンに視線を向けた男は優しい笑みを浮かべた。
「君は今まで、君のパパの死を漠然としか受け止めてなかった。だからパパがいないのは悲しいけど、仕方ないことだと思ってただろ?」
「うん」
頷いたモーガンに、男は一段と優しい笑みを向けた。
「それが今年の君は…色んなことが分かるようになって、パパの死について真剣に考えた。どうしてパパが死ななければならなかったのか…どうしてパパじゃないといけなかったのか…。君は泣いた。パパの墓で泣き続けた。君は心からパパの死を悲しんだんだ。そして願ったんだ。パパを返してって…。だから今年の君の涙こそ、俺が…いや、スタークさんを蘇らせるのに必要だったもの…。5年もかかってしまったがな…」
生き返った方法は分かったが、気になるのは、何故生き返らせたかということ…。
ゴクリと唾を飲み込んだトニーは、男に尋ねた。
「見返りなど求めたりしないのか?」
すると男は眉を吊り上げた。
「見返り?そんなものは必要ない。あんたはトニー・スタークだ。言っただろ?俺はあんたのファンだって… 。俺にとってのヒーローは、アイアンマンだけだったって…。だから、トニー・スタークがこの世で家族と幸せに生き続ける…それが一番の『見返り』さ」
その言い方に、トニーはようやく思い出した。何となく見覚えのある目の前の男について…。
「…お前は…あの時のタクシー運転手…」
すると男はニッと笑った。
「やっと思い出してくれたか。あんたと話をするのに、身体を借りているだけだがな。だが、この男が話したあんたとの思い出話は本当の話だ。この男はな、あんたに物凄い恩を感じていた。だからあんたが死んだ時、俺に助けを求めた。俺もあんたのことがずっと好きだったから、手を貸してくれる奴を探してたんだ。所謂、協力関係ってやつさ。だからこの男にも、見返りなんか求めるつもりはない。あんたの妻と娘だけじゃない。大勢の人間があんたのことを恋しがっている。大人だけじゃなくて、子供も…」
ふぅと息を吐いた男は、再び口を開いた。
「実はさ、あの日も俺は何とかしてあんたを殺さずに済む方法を探したんだ。だが、あの時は…ああするしかなかった。あんたしか宇宙を救えなかった。いや、方法はあったさ。例えば、あの時、パワーを分散させるために、他の奴らにもちょいとばかり犠牲を払ってもらうとか…さ。だが、きっとあんたなら、その方法は選ばないだろうって思って、諦めたんだ。その代わり、あんたをすぐに生き返らせるつもりだった。だが、5年もかかっちまった。すまなかったな」
頭を掻いた男は、何か思い出したのか、ぽんっと手を叩いた。
「そうだ。もう一つ大事なことがあった」
男は指をパチンと鳴らした。思わずビクッと震えたトニーに、男は慌てて首を振った。
「大丈夫さ。石は持ってない。あんたの真似をしただけだ」
すると不思議なことが起こった。
トニーの頭に、見たことがない光景がどっと押し寄せてきたのだ。それはペッパーやモーガンも同じだったようで、3人は顔を見合わせた。
「あんたが過ごしてきた、この5年間の記憶だ。時を巻き戻すことは出来ないが、それがあんたが奥さんや娘さんと過ごしてきたはずの思い出だ」
小さく震えているトニーに、男はニヤっと笑った。
「俺、悪魔だけどさ、ハッピーエンドが好きなんだよ」
ククッと笑い声を上げた男は、立ち上がった。
「じゃあな、スタークさん。最低でも30年は、こっちの世界に来るなよ。今度死ぬ時は、ちゃんと寿命を全うしろよ。家族を大切にしろ…」
男は黒い煙となり姿を消した。
「どういうことなの?」
目をパチクリさせているペッパーだが、頭を押さえ何やら考えていたモーガンが、あっ!と声を上げた。
「パパ…死んでないよ…」
「え…」
トニーとペッパーに、モーガンは今自分が思い返していたことを告げた。
「あの後、怪我をしたけど、ちゃんとお家に帰ってきて…」
トニーとペッパーも先程与えられた記憶を垣間見た。すると、何ヶ月も病院のベッドの上で寝たきりだったが、傷も回復し、家に戻ってきたこと…モーガンの小学校の入学式に出席したこと…遊園地に遊びに行ったことなど、様々な光景が蘇ってきた。
慌てて家の中に入ったトニーは、暖炉の上の写真を確認した。すると、ペッパーとモーガンしか写っていなかった写真に、自分の姿が写り込んでいるではないか。
トニーを追いかけてきたペッパーは、F.R.I.D.A.Y.に告げた。
「F.R.I.D.A.Y.、ヒーローの日の追悼式の映像を見せて」
すると、数週間前のセレモニーで、トニーが代表して挨拶をしている姿が映った。
「つまり、私はあの日…死なずに生き残ったということになったのか?」
大粒の涙を流し始めたペッパーは、何度も頷くと、トニーに抱きついた。
そこへハッピーがやってきた。
「3人とも、用意できたか?」
何処かに行く予定などあったかと、トニーたちは思わず顔を見合わせた。
「ハッピーおじちゃん、どこにいくの?」
モーガンがそう尋ねると、ハッピーは溜息をついた。
「トニーだけならともかく、どうしてペッパーやモーガンまで忘れてるんだ?毎年この時期に、ヒーロー全員が集まるじゃないか。きっかけは、5年前のトニーの快気祝いだが、毎年集まりだけは続いてるじゃないか。確かに今年は時期的に少し早いが…。だが、トニーが言い出したんだろ?毎年集まろうって…。全く…しっかりしてくれよ」
ぶつぶつと言うハッピーだが、彼の様子からは、トニーが5年間死んでいたことを覚えているのは、トニー自身とペッパー、そしてモーガンだけのようだ。
「そうだった。そうだったな。すっかり忘れてた。よし、早く用意をしよう」
ペッパーとモーガンの手を引っ張るように2階へ向かったトニーは、窓の外をちらりと見た。すると木の上で先程の男が手を振っているのが見えた。
(ありがとう…。今度こそ、妻と娘のために生きてみせる…)
心の中でそう囁くと、男は大きく手を振ると姿を消した。