Whatever you like.

マルチバース化したらしいので、EGもハッピーエンドで終わらせてみました。

***

あいつを倒した。長年の悪夢がついに終わった。それなのに……。
トニーは周りを見渡した。仲間が倒れていた。誰も動かなかった。誰も息をしていなかった。誰の瞳にも、もはや何も写っていなかった…。
と、向こうの方に青色のアーマーが見えた。「ペッパー!!」
大声で叫んだが、返事はなかった。トニーは急いで向かった。
「ハニー……?」
ペッパーは動かなかった。妻を抱き起こしたトニーだったが、彼女の頭は不自然な方向に曲がっていた。
ペッパーは首の骨を折られ、絶命していた。
「ペ……ッパー……」
トニーは叫び声を上げた。そしてペッパーの魂を呼び戻そうと、冷たくなった唇に何度もキスをした。だが、彼女の口から流れ落ちた血の味しかしなかった。トニーは顔を上げた。ペッパーの目元に手を当てたトニーは、彼女の見開いた目をそっと閉じた。

自分以外、誰も生き残っていない世界で、トニーは妻を抱きしめたまま動けなかった。

一体何が起こったのだろうか…。
どうしてこんなことになったのだろうか…。街は…世界は無事なのだろうか…。

「…モーガン…」
自分たちの大切な娘。彼女は家でハッピーと留守番をしている。基地とNYの街の中間にある安全な場所のはずだが…嫌な予感がする。
ペッパーの亡骸を抱きかかえたトニーは、家へと急いだ。

家は跡形もなく吹き飛ばされていた。
モーガンのテントもブランコも、何もかもが破壊されていた。
ペッパーをそっと下ろしたトニーだが、足が震えて動けない。
「モーガン!モーガン!!」
倒壊した家にやっとの思いで近づいたトニーだが…。
「ハッピー!!」
崩れ落ちた家の下敷きになったハッピーは、目を見開いたまま死んでいた。そして彼は何かを抱きかかえるような格好で絶命していた。チラリと焦げ茶色の髪の毛が見えた。
「嘘だろ……」
トニーは家の残骸をどかし始めた。瓦礫を動かすと、ハッピーが…そしてハッピーが守るように抱きしめたモーガンが現れた。
瓦礫に押し潰されたモーガンはアイアンマンのぬいぐるみを…血塗れになったぬいぐるみを抱きしめていた。
「モーガン……」
トニーは娘を抱きしめた。モーガンの身体はまだ微かに温かかった。だがモーガンは息をしていなかった。
「モーガン……」
冷たくなり始めた娘を抱きしめたトニーは泣いた。涙が枯れるまで泣き続けた。

***

トニーは地球を守ることができた。5年前に失われた人々を取り戻すこともできた。
だが、大切なもの何も守れなかった。全てが奪われた…。トニーには自分以外、何も残っていなかった。
トニーは皆を埋葬した。
世界中の人々はヒーローたちの死を嘆き悲しんだ。そしてたった一人の生き証人となったトニーを憐れんだ。

一人だけ生き残ってしまったトニーは悪夢に襲われた。全てのものから逃げるように、トニーは酒に溺れた。だが、飲んでも飲んでも酔うこともできなかった。

彼には絶望しか残されていなかった。
生きる希望も何も残されていなかった。

湖畔に座り込み、トニーはひたすら飲み続けた。最後の1本を飲み干した彼は、湖に足をつけた。
このまま水の中に入れば……ペッパーとモーガンのいる世界に行けるだろうか…。
生きていても仕方がない…。妻も娘も失った。何もかも失った。この世に未練も何もない…。2人の元に行けば…また家族で幸せに暮らせるだろうか…。
トニーは水の中に飛び込んだ。そしてノロノロと水の中を歩き始めた。足が付かない場所にやって来ると、トニーは頭を水に浸けた。そしてそのまま水の中に潜った…。

と、誰かがトニーを引っ張った。誰かがトニーを水の中から引っ張りだした。
「死なせてくれ!!」
そう叫ぶトニーを、その手は岸へと放り投げた。しばらくゴホゴホと咳き込んでいたトニーだが、頭を上げた彼の目によく知った顔が飛び込んできた。
「…ストレンジ?」
死んだはずのストレンジが目の前に現れたのだから、ここは天国なのかとトニーは一瞬考えた。
「お前は…死んだはずだぞ…」
困惑するトニーに、ストレンジは頷いた。
「あぁ、そうだ。私は死んだ。この世界の私は死んだ。私は別の世界から来た私だ。お前たちが…いや、私たちもだが、過去に戻りストーンを集め使ったことで、多数の世界と時間軸が入り混じってしまったんだ」
「つまり…」
瞬きしたトニーにストレンジは話し続けた。
「この世界は、何億通りとある世界の一つに過ぎない。マルチバースの存在に気づいた私は、その世界を垣間見た。するとお前が見えた。サノスに勝利したが、全てを失い、絶望し、そして自ら命を断とうとしているお前の姿が…」
「あんたの世界の私は違うのか?」
トニーの言葉にストレンジは頷いた。
「私の世界でも途中まではお前たちの世界と同じだ。過去からやって来たサノスに勝利した。だがそれは…」
ストレンジが言葉を切った。そして深呼吸すると、トニーを見つめた。
「お前が命をかけた結果だ。お前はストーンを使い、自らを犠牲にし、世界を守ったんだ」
ストレンジの世界の自分は死んだのだ。今自分のいる世界とは真逆のことが、起こったのだ。
「ペッパーと…モーガンは…」
震える手を握りしめたトニーに、ストレンジは
「無事だ。皆無事だ」
と、柔らかな声で告げた。
暫く黙っていたトニーだが、
「そうか…そんな世界もあるのか…」
と、ポツリと呟いた。トニーの目から涙が零れ落ちた。絶望しかない世界だけが残されたのかと思っていた。だが、別の世界では、自分が命を捨てたことで、大切なものは全て守られたのだ。ほぅと安心したように息を吐いたトニーに、ストレンジはここへ来た目的を話すことにした。
「世界の秩序と流れを変えるのは、私の意に反しているのだが…。お前を私たちの世界に連れて行く。お前に死を選ぶよう選択させたのは、この私だ。数えきれない程の未来を見た結果が、お前の死だった。私は医者だ。医者は患者を救うのが仕事だ。出来るなら、お前を殺す選択などしたくなかった。だから私はこの世界を見つけた。お前を救いたいんだ…」
つまりストレンジは、自分を別世界へ…トニー・スタークが死んだ世界へ連れて行こうというのだろうか…。だがそれは、この世界の自分が消えてしまうということ。そんなことが許されるのだろうかと一瞬考えたトニーだが、この世界のトニー・スタークは死んだも同然なのだ…と、彼は思い直した。

トニーの瞳に少しだけ希望が見えてきた。
黙って頷いたトニーに、ストレンジは手を差し出した。
「行くぞ…」

***

トニーがポータルを潜ると、家は元通りになっていた。いや、家だけではない。何かもが、何もなかったように存在する世界だった。自分が死んでいるということ以外は…。

と、誰かが家から出てきた。それは、喪服を着たピーター・パーカーだった。ピーターは目を真っ赤に腫らしていた。俯いていた彼だが、顔を上げると目を見開いた。
「嘘…嘘ですよね…。スタークさん?嘘…何でスタークさんが…」
ピーターが震え出した。そして彼はトニーに近づいてくると、恐る恐る腕に触れた。するとピーターはトニーの腕から彼の温もりを感じた。ピーターは目を輝かせた。死んだはずのトニー・スタークが自分の目の前にいるのだから…。
「スタークさんだ…。幽霊じゃないですよね?本物のスタークさんですよね?!」
黙ったまま頷いたトニーに、ピーターは抱きついた。彼は泣き始めた。嗚咽を漏らし泣くピーターの背中を、トニーは力強く抱きしめた。

「ボス…」
顔を上げるとハッピーがいた。彼もまた、トニーの姿を見て驚いている。
ハッピーも生きている。ストレンジの言った通り、この世界ではみんなが生きている…。
トニーの目に薄っすらと涙が浮かんだ。
近づいてきたハッピーは、トニーを見つめると、目元を乱暴に擦った。
「何でボスが…。さっき火葬して…」
その言葉にトニーは気づいた。彼らは自分の葬式を終えたばかりなのだと…。

と、小さな叫び声が聞こえた。顔を上げると、モーガンがいた。
「パパ?」
アイアンマンのヘルメットを抱きしめていたモーガンだが、彼女の手からヘルメットが転がり落ちた。モーガンが顔を歪めた。大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。ピーターから身体を離したトニーは、腕を広げるとしゃがみこんだ。
「モーガン…」
最愛の娘が生きている…。彼女はこの世界にしっかりと存在している…。トニーの目からも涙が零れ落ちた。
「パパ!!!」
モーガンは泣きながら駆け寄ってきた。腕の中に飛び込んできた娘を、トニーは力いっぱい抱きしめた。
「パパ…パパ…」
モーガンは泣いた。死んだと言われた父親がどうしているのか分からなかったが、きっと神様が『パパがもどってきますように…』というお願い事を聞いてくれたのだろうと思った。
泣きじゃくる娘の背中をポンポンと撫でていると、ハッピーが呟いた。
「ペッパー…」
と…。最愛の女性の名前に、トニーは顔を上げた。すると少し離れた所に、ペッパーがいた。ペッパーは目の前の出来事が信じられないといった風に、口元を手で押さえた。顔面蒼白な彼女は震えていた。
「ペッパー…」
モーガンを下ろしたトニーは立ち上がると、ペッパーに向かって少しだけ歩を進めた。
と、ペッパーが叫んだ。
「近づかないで!」
トニーはその場に止まった。涙を流しながら、ペッパーはガタガタ震え出した。
「あ、あなたは…私の腕の中で死んだの…。あなた…誰よ…誰なのよ!」
拒絶するペッパーに、ストレンジが説明をし始めた。が、ペッパーは、頭を抱えると首を振った。まるで今起こっていることを受け入れたくないというように…。
それでも何度か深呼吸をしたペッパーは、トニーに向かって静かに告げた。
「あなたは私のトニーじゃない…。だから…帰って…。お願い……」
泣きじゃくるペッパーに、トニーは何も言えなかった。こうなることは…彼女が混乱することは分かっていたから…。

ペッパーは寝室に閉じこもってしまった。
やはり元の世界に戻ろうと考えたトニーだが、ハッピーもピーターも、そしてストレンジもトニーを引き止めた。遅れてやった来たローディも、「別の世界から来たとしても、お前は俺の親友に変わりない」と、トニーを抱きしめ引き止めた。そしてモーガンも、せっかく帰ってきた父親を、もう二度と離さないというように、トニーにくっついたまま離れなかった。

一晩経てばペッパーも落ち着くかもしれないと、皆に説得されたトニーは、ゲストルームへと向かった。

***

何もかもが自分の世界と同じだった。カーテンもベッドカバーも、窓から見える景色も…。全てが元通りになった気がした。一つだけ…ペッパーがそばにいないことを除いては…。

ベッドに潜り込んだトニーは目を閉じた。
すると暗闇が訪れた。手探りで進もうとすると、何かを踏んだ。足元には人が倒れていた。いや、足元だけではない。自分の周囲には仲間の死体が山積みになっていた。皆首を折られ、目を見開き絶命していた。
パッと光が差し込んだ。あまりの眩しさに目を閉じると、仲間の死体が消えた。そしてサノスが現れた。サノスは両手でペッパーとモーガンの首を掴んでいた。
「やめろ!!!」
トニーが叫ぶと、サノスは2人の首をへし折った…。

トニーは自分の叫び声で目を覚ました。
身体を起こしたトニーは、額に浮かんだ汗を拭うと、震える両手を握りしめた。
すると、部屋のドアが開いた。
「パパ……」
か細い声が聞こえた。モーガンだ。アイアンマンのぬいぐるみを抱きしめたモーガンは、そっと部屋に入ってきた。
「どうしたんだ?」
何度か深呼吸をし気持ちを落ち着けたトニーは、近寄ってきた娘を抱き上げた。
モーガンは青い顔をして震えている父親の頬に涙の跡があることに気づくと、小さな指でそっと拭った。
「パパ……だいじょぶよ…。あたしがいるよ…」
そう言うと、モーガンはぎゅっと父親に抱きついた。娘の温もりに、トニーの身体の震えが止まった。小さな背中をそっと撫でると、モーガンは甘えるように父親の首元に顔を埋めた。
「ママがね、おはなししてくれたの。パパはわるいひととたたかって…ママとあたしをまもって…しんじゃったって…。あたしね…さみしかったよ…。パパがいなくなって…。でもね、パパはかえってきたでしょ?だからね、あたし、すごくうれしいよ」
自分はこの世界のモーガンの本当の父親ではないことに、トニーは胸の奥がチクリと痛んだ。だが、彼女にとっては、自分は父親にあることは変わりないし、娘は純粋に自分がやって来たことを喜んでくれているのだ。そう思うと、トニーはほんの少しだが、気分が楽になった。
「モーガン。3000回愛してるよ…」
あの日…出掛ける前に最後にモーガンが口に出した言葉を言うと、彼女はトニーから身体を離した。
「パパだ!やっぱりあたしのパパだ!」
不安げだったモーガンはパッと顔を輝かせた。そして再び父親に抱きつくと、半分微睡んだ声で告げた。
「パパ…いっしょにねんねしていい?」
「あぁ…」
娘を抱きしめたまま、トニーは横になった。
「おやすみ、パパ…」
「おやすみ、モーグーナー…」
娘の頬にキスをしたトニーは、小さな身体を抱きしめると目を閉じた。

***
一方のペッパーは、眠れなかった。
死んだはずのトニーが戻ってきた。
いや違う。トニーは死んだ。最期を見届けたのも自分だ。あの時、確かにトニーは死んだ。冷たくなった身体に縋り付き、そしてアーマーを脱がせ、葬儀を行い、自分の手で埋葬したのだから…。

愛しあい、夫婦となったトニーは死んだのだ。
だが、現にトニーは同じ家にいる。
突然現れたトニーに、困惑した。見た目はトニーと同じだった。だが、あれは自分が愛したトニーではないのだ…。
トニーが死んだ時、自分は半分死んだのだ。
彼を失った喪失感は、もう何をしても埋めることはできない。それでも、モーガンがいるから…トニーが遺してくれたものがあるから、生きていこうと決めた。彼が遺してくれた最期のメッセージを聞いたから、そう決心がついたのに…。

それなのに、トニーは戻ってきた。
いや、別の世界からトニーはやって来た…。

ペッパーは起き上がった。
別の世界からやって来たトニーだとしても、自分の愛したトニーと同じなのかもしれない。それならば、素直にトニーが戻ってきたと喜べばいいのだろうが、トニーが死んだという現実を受け止めきれてない彼女には、別の世界のトニーの存在を受け止めれるような余裕はなかった。
「どうして…どうしてよ……」
涙が止まらなかった。トニーが恋しくてたまらなかった。抱きしめキスをして欲しかった。例え今そばにいるトニーが、自分のトニーではないとしても、その温もりに縋り付きたかった。そんなことが一瞬頭を過ぎったペッパーだが、その考えを捨て去るように、乱暴に頭を振った。

それでも彼女は別の世界から来たトニーが気になった仕方がなかった。拒絶した時、彼は泣き出しそうな顔をしていたから…。

ゲストルームに向かったペッパーは、こっそりと部屋に入った。
トニーは眠っていた。いつの間にやって来たのか、モーガンも父親に抱きしめられ、安心しきった顔で眠っていた。
「パパ……」
むにゃむにゃと寝言を呟いたモーガンは、トニーのTシャツをギュッと握りしめ眠っていた。そしてトニーも娘を守るように、身体を抱きしめ眠っていた。
どこからどう見ても、トニーだった。
ペッパーは恐る恐るトニーに触れた。乱れた前髪を撫で、唇にそっとキスをしてみた。その唇の感触は、自分の愛したトニーと同じだった。
「トニー……」
ペッパーの目から涙が零れ落ちた。
だが、ペッパーは自分の気持ちですらも受け入れることができず、部屋をそっと後にした。

***

朝になりトニーは目を覚ました。娘がそばにいてくれたおかげか、彼はあの日以来、初めてゆっくりと眠ることが出来た。が、そのモーガンは起きた後らしく、隣はもぬけの殻だった。
起き上がったトニーだが、腹の虫が盛大に音を立てた。思えば、食事もまともに取っていなかった。昨日までは空腹を覚えることもなかったが、今は腹が減って仕方がない。
ペッパーが置いてくれたのか、部屋には着替えが用意してあった。手早く身支度を整えたトニーは、キッチンへ向かった。

テーブルには朝食が用意してあった。ペッパー手作りの朝食が…。全てを失う前と何の変わりもない風景だった。
トニーに気づいたモーガンが可愛らしい笑みを浮かべた。
「パパ!おはよ!」
「おはよう、モーガン」
娘の頬にキスをしたトニーだが、ペッパーが顔を強張らせたのに気づくと、その場に立ちすくんでしまった。
「お腹空いたでしょ?座って…」
ペッパーは顔を伏せたままトニーに告げた。
「あぁ…」
自分の定位置だった場所に、朝食は用意されており、トニーは黙って椅子に座った。
ペッパーは何も喋らなかった。トニーも無言で食べ続けた。

朝食を食べ終わったトニーだが、いたたまれなくなり外へ出た。
デッキの椅子に腰掛けたトニーは頭を抱えた。
分かっていた。分かっていてやって来た。ペッパーが混乱することは、誰がどう考えても分かっていたことだった。彼女は自分を受け入れてくれないかもしれない。
やはり帰るべきかもしれない。
絶望しかない世界で、妻と娘を弔うために孤独に生き続けるか…それとも今度こそ…命を絶つか…。
トニーは決めた。やはり元の世界に帰ろうと…。ペッパーをこれ以上苦しめないためにも…。悲しい思いをさせないためにも…。

と、ペッパーの声が聞こえた。
「トニー……」
顔を上げると、目の前にペッパーがいた。
暫く黙っていたペッパーだったが、トニーの向かい側に腰掛けると、庭で遊ぶモーガンを見つめた。
「ここにいてくれる?元の世界に帰るなんて言わないでくれる?」
「え…」
思わぬ言葉にトニーはペッパーを見つめた。するとペッパーはトニーを悲しそうに見つめた。
「ごめんなさい。私はあなたのことをすぐには受け入れられないと思うわ…。あなたはトニー・スタークよ。でもね…私が愛したトニーではないの…。だけど…モーガンにとっては…あなたはたった一人の父親よ…。それだけはどの世界でも同じ…。だから、あの子のために…ここに残って…」
そう言うと、ペッパーは再び娘に視線を移した。

『モーガンのために…』
それが今の彼女の答えだ。
自分たちのためではなく、幼い娘のために、生きていく…。それが今の自分たちに出来ることなのだから…。
「あぁ…そうだな…」
そう答えたトニーは寂しそうに笑った。

***
2人は娘のために、共に生活することにした。以前のように、暮らしていくことにした。
ぎこちなさは続いた。幼いモーガンの目から見ても、両親の様子はおかしかった。
数日経っても2人は別々に眠っていた。それでも2人は、娘のために『夫婦』を演じ続けた。

トニーが別の世界に来て1週間が経った。
ペッパーは相変わらず心を開いてくれていない。
トニーはガレージへ向かった。そこは自分の世界と同じく、彼のラボになっていた。置いてある物の位置も、モーガンが描いたアイアンマンとトニーの似顔絵も、家族で撮影した写真も…何もかもが同じ場所に置いてあった。
トニーは写真を手に取った。モーガンの4歳の誕生日に撮影した写真は、自分の世界にあった物とそっくりそのまま同じだった。
もしかしたら、この世界のトニーは結末が違うだけで、そこに至る過程は全て同じなのではないかと、トニーは考えた。そうなると、ペッパーと歩んで来た道のりも同じはず…。愛し合ったタイミングも何もかもが同じはずだ。
後は自分たちの気持ち次第。それを乗り越えれば、自分たちは再び一緒になれるのでは…とトニーは考えた。

ふと見ると、ラボの隅に何かが置かれていた。布が掛けて隠してあるそれが気になったトニーは、ペッパーがいないことを確認すると、布を剥いだ。
レスキューアーマーと自分のアーマだった。だが、自分のアーマーはボロボロで、ほぼ何も残っていないほど破壊されていた。

この世界の自分の身に何が起こったのだろう…。

触れれば何か見えるかもしれないと、トニーはアーマーに触れようとした。と、その時だった。
「あなたのアーマー……処分することができなくて…」
振り返るとペッパーがいた。目に涙を浮かべたペッパーは、立ち尽くすトニーに僅かに微笑むと、アーマーに近寄った。
「あの時……あなたは…死ぬ覚悟で…サノスから石を奪って…指を鳴らしたわ…。世界を救うため…。モーガンの未来を守るため…。あの時…石を奪うのは…あなたしか出来なかった…」
破壊されたトニーのアーマーを手に取ったペッパーは、愛おしそうに撫でた。
「この5年…宇宙から帰ってきたあなたは…ずっと悪夢を見ていた…。眠れない日々を過ごしていた…。だから…冷たくなっていくあなたに…私は言ったわ…。私たちは大丈夫…、ゆっくり眠ってって…。私は…何もできなかった…。あなたが死ぬのを…見ていることしかできなかった…。でも…あなたに…安らかに眠って欲しかった…。手を握り…見送ることしかできなかった…。あなたは…私に向かって笑ったの…。泣かないでくれって言うように…。だから私も…あなたに心配しないでって…。あなたには……笑って…笑顔で…眠りについて欲しかったから……」
ペッパーはボロボロ泣き始めた。トニーのアーマーを抱きしめ、泣き始めた。
「…私たちは大丈夫って…。でも…大丈夫なわけない…。あなたは…私の人生だった…。私の一部だった…。だから…あなたが死んで…私も……」

と、ペッパーはトニーの温もりに包まれた。
背中を撫でるトニーの手も、腕の温もりも、耳元にかかる息も…全部、ペッパーの知っている…ペッパーの愛したトニー・スタークだった。
アーマーがペッパーの手から落ちた。カチャンと金属音を立て、床に落ちた。ペッパーが顔を上げた。トニーを見つめると、ペッパーは彼の涙の溢れる頬を両手で包み込んだ。
「トニー…私……私……」
トニーもペッパーの頬に触れた。彼の温もりに、ペッパーはその手を握りしめた。
「ペッパー…分かってる…。分かってる…。君の気持ちも…全部分かってる…。すまない…。私が突然現れたことで…君の気持ちをかき乱してすまない…」
ペッパーは首を振った。彼は相当の覚悟を決めてこの世界にやって来たのに…自分の気持ちに素直になれなかったばかりに、彼の気持ちもかき乱してしまったのだから…。
「トニー…あなたは…私のトニーと同じよね?」
とっくに分かっていた。彼は自分のことを愛してくれているに決まっていることは…。だからこそ、彼は全てを捨ててこの世界に来てくれたのだから…。
ペッパーに問われたトニーは、笑みを浮かべた。
「あぁ、君のこと…ペッパーのことを愛してることに、どの世界の私も…変わりはない…」
にっこり笑ったトニーは、ペッパーの愛したトニーだった。トニーに抱きついたペッパーは、彼の唇にキスをした。
唇の感触はトニーのものだった。彼と最後に交わしたキスと同じだった。

ペッパーはようやくトニーの存在を受け止めることができた。

***

トニーに抱きしめられ気持ちが落ち着いたペッパーは、涙を拭うと彼の手を引き、リビングへ向かった。そしてソファに座ると、トニーに尋ねた。
「あなたの世界…何が起こったの?」
ストレンジからは、トニーは全てを失いこの世界にやって来たと告げられたが、その後トニーとはろくに話をしていないのだから、詳細は知らなかった。だが、彼のことを受け止めたのだから、何が起こったかもきちんと受け止めねばならないと、ペッパーは彼の話を聞く覚悟を決めた。
何度か深呼吸をしたトニーは、重い口を開いた。
「私の世界も…同じだ。過去にも戻り石を集め…。そして過去からサノスがやって来た。戻ってきた仲間と共に戦った。君もやって来た。あのレスキューアーマーに身を包み…。だが、ガントレットを奪われた。サノスがそれをはめ、指を鳴らそうとした。そこまでは、君たちの世界と同じだろ?」
頷いたペッパーに、トニーは息を吐いた。
「おそらく、そこまでは全て同じだ。この世界も、私がいた世界も…。さっきラボを確認したが、何もかもが同じだった。物の位置も、写真も、モーガンの絵も…何もかもが全く同じだった。だからきっと、君と私の世界は結末が違うだけで、そこまでの過程…つまり、私と君の思い出は全て同じなんだと思う。その話はまた追々するとして…。兎に角、私はサノスからガントレットを奪おうとした。だが、あいつに殴り飛ばされた。私は足を負傷し動けなくなった。するとキャプテンが…スティーブとソーがサノスに立ち向かい、ソーがガントレットを奪った。そしてソーが指を鳴らした。サノスは消えた。これで勝ったと思った。世界を守ることができたと思った。だが、あちこちで大爆発が起こった。吹き飛ばされた私は気を失った。そして目が覚めた時には…仲間は全員死んでいた。私の周りに全員倒れていた。皆…首を折られ、息絶えていた…。ペッパー……君も……」
トニーは震える手を握りしめた。目をギュッと閉じたトニーは、苦しそうに何度も深呼吸をした。ペッパーは彼の背中を撫でた。するとトニーの震えが止まった。もう一度深呼吸をしたトニーは、ペッパーの手をそっと握ると、話を続けた。
「何が起こったのか分からなかった。どうして自分しか生き残っていないのかも…。モーガンは無事なのか…そう思い、私は家へと急いだ。だが…この家は破壊されていた…。爆発が起こったかのように…何もかも無くなっていた…。モーガンは……ハッピーが守ろうとしてくれていた……。だが…2人とも……。モーガンを抱きしめると…まだ温かかった….。間に合わなかった……。君だけではなく…モーガンも……いや…私は全てを失った…。スターク・インダストリーズも…爆発で…全てが消え去った……。私に関するもの…全てが破壊されたんだ……」
トニーの目から涙が零れ落ちた。それを拭うこともせず、トニーは言葉を続けた。
「一人だけ生き残った私を世界中が哀れんだ…。だが…その視線に…絶えきれなかった…。絶望しかなかった…。酒に溺れても…誰も救ってくれなかった…。皆、遠巻きに見るだけで…頼る者は誰もいなかった…。当たり前だ…。大切な者は…誰も生き残っていないんだから……。生きていても仕方がなかった…。私には…もう生きる意味がなかった…。だから…君たちの後を追って、死のうと考えた。湖に身を沈め…君たちのところに行こうとした…。すると、そこにこの世界のストレンジが現れた。そしてこの世界の話をしてくれたんだ…」
顔を上げたトニーは、静かに涙を流しているペッパーを見つめた。
「あの世界の…元の世界のトニー・スタークは死んだんだ。妻と娘を失い…全てを失い…絶望した彼は…自ら命を絶った…。世界に何の未練もなかったから…。だから、もしこの世界の君たちが…私のことを受け入れてくれるのならば…もう一度…やり直せると…そう考えた…」
話し終えたトニーは、顔を覆うと泣き始めた。

彼の…トニーの世界には絶望しかなかった。何もかも失い…トニーはたった一人生き残ったのだ。
自分にはモーガンがいた。トニーが遺してくれたものがたくさんあった。だが、トニーには何も遺されていなかった…。
だからこそ、彼はこの世界に救いを求めてやってきた。だが自分も…トニーが死んだことを無理矢理受け止めようとしていただけで、本当は救いを求めていた。だからこそ、自分たちは引き合わされたのかもしれない…。もう一度やり直すために…。

ペッパーはトニーを抱きしめた。震える彼の身体をそっと包み込んだ。
「トニー…大丈夫…。私たちがいる…。この世界には、絶望ではなく、希望があるわ…。だから…大丈夫…大丈夫だから…」

トニーは泣いた。妻と娘と全てを失った彼は、再びそれを取り戻すチャンスを与えられたのだから…。

お互いを受け入れた2人は、抱き合い泣き続けた…。

***

その夜。ゲストルームへと向かおうとしたトニーをペッパーが呼び止めた。
「あなたの部屋、こっちよ…」
トニーと手を繋いだペッパーは、寝室へと向かった。

「いいのか?」
遠慮気味に尋ねると、ペッパーは頷いた。
2人はキスをすると身を寄せ抱き合った。と、トニーがペッパーの首筋にキスをした。
「ハニー…」
甘ったるい声で囁かれ、ペッパーはトニーの身体にしがみついた。

2人は愛し合い始めた。
何もかもが同じだった。以前と変わりなかった。
例え別の世界で生きてきた者同士だったとしても、お互いを思う気持ちは同じだったから…。
抱き合い、2人同時に果てた瞬間、何もかもが元通りになった。心が満たされ、あるべき場所に戻ってきた。

お互いの温もりに包まれ、トニーもペッパーも久しぶりにゆっくりと眠ることができた。

***

翌朝。
眠い目を擦りながらキッチンへ向かったモーガンは、両親の話し声に立ち止まった。物陰からそっと伺うと、両親はキッチンに並んでいた。そして時折キスをしながら、仲良く朝食の準備をしていた。母親は嬉しそうに父親を見つめていた。そして父親も、いつものように冗談を言い母親を笑わせていた。

2人の間に、昨日までのギクシャクした空気はなく、いつも通りの光景がそこにはあった。
モーガンはホッとした。パパとママは仲直りしたのだと、安心したモーガンは、
「パパ、ママ!おはよ!」
と、元気よくキッチンへ飛び込んだ。
「おはよう、ミニ・ミス」
モーガンを抱き上げたトニーは、チュッと音を立てて娘の頬にキスをした。髭がくすぐったかったが、それも昔からの父親のキスなので、モーガンはふふっと笑みを浮かべた。
「ねぇ、パパ!きょうはね、パパとママとあたしと、みんなでおそとであそぼうね!」
両親が仲直りしたらまた3人で遊びたいと考えていたモーガンは、そう提案したのだが、トニーは目を輝かせると、ペッパーを見つめた。
「よし!遊園地にでも行くか?」
と、ペッパーが目を見開いた。
「トニー!ダメよ!あなたはまだ死んでることになってるんだから!」
慌てふためき始めたペッパーに、トニーは目をくるりと回したが、それもそうだと考え直すと、まだ喚いているペッパーを抱きしめた。
「じゃあ、こうしよう。モーガンを立会人に、二度目の結婚式をしよう…。今日から新しい人生のスタートだから…」
耳元でそう囁くと、ペッパーは嬉しそうにトニーにキスをした。

2 人がいいねと言っています。

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