Engelsburg③

ペッパーが城に来て1週間が過ぎた。
食事を共にすること以外、トニーはペッパーに何かを強要することはなかった。それどころか食事以外の時間、ペッパーはトニーの姿を見ることはなかったのだ。
そこで、暇を持て余したペッパーは初めに言われた『この城の中では自由にしろ』という言葉に甘えて、城内を探索し始めた。
城には大勢の使用人がいたが、皆とても親切で幸せそうだった。明るく優しいペッパーはすぐに皆と打ち解け、可愛がられるようになった。
たが、彼女が何より嬉しかったのは城には大きな図書室があったことだ。
本の好きな彼女は、今まで読みたくても手が出なかった沢山の本が目の前にあることに驚き、喜びを隠せなかった。夕食時にそのことをトニーに告げると、彼は
「もしここにない本で欲しいものがあれば言え。すぐに取り寄せさせる」
と言い、ペッパーをますます喜ばせた。

1ヶ月もすると城での生活にもすっかり慣れたペッパーだが、相変わらずトニーとは食事の時以外はほとんど顔を合わせない日々が続いた。
折角知り合ったのだから何とか距離を縮めたいと考えたペッパーは、ある日厨房へ向かうと料理人に尋ねた。
「トニー様のお好きな料理を教えて下さい」

その夜、夕食の時間となりダイニングへ向かったトニーだが、いつもは沢山の料理の並ぶテーブルの上には何も用意されていないではないか。
「おい!夕食はまだか!」
苛立ったように足を踏み鳴らし文句を叫ぼうとしたトニーだが、ドアからペッパーが顔を覗かせると口を噤んだ。ペッパーも苛立っているトニーに気付いてはいた。もしかしたら勝手なことをするなと雷を落とされるかもしれない。だが、きっと彼は楽しんでくれるという妙な確信も持っていた。
「トニー様、今日は別の場所で食べられませんか?」
ニッコリと笑ったペッパーはトニーの手を取ると歩き出した。彼女に引っ張られるように歩くトニーだが、彼は髪を上げたペッパーの白く美しいうなじから目が離せなかった。ごくりと唾を飲み込んだトニーは気持ちを誤魔化すかのように、ペッパーの手を握り返した。

「トニー様、今日はこちらで召し上がって下さい」
連れてこられたのは城でも一番眺めの良いバルコニーだった。月明かりと蝋燭の揺れるテーブルには、パンとワイン、そしてシチューが並べられていた。
「いきなりどうした?」
今日は何かあっただろうかと頭を捻らせたトニーだが、頭脳明晰な彼でもこのディナーの理由は分からなかった。
珍しく呆けた顔をしているトニーを椅子に座らせると、ペッパーは彼のグラスにワインを注いだ。
「今日の夕食、私が作ってみたんです…。トニー様のお好きな料理だと伺いました。お口に合えばよろしいんですが…」
ペッパーの不安げな視線を感じたトニーはシチューを口に運んだ。途端に彼は何とも言えない幸福感に包まれた。それはどんな料理を食べても感じたことのない極上の味だった。
特別なものが入っている訳ではなさそうだ。だが彼女の作った料理には確かに入っていた。自分を想う彼女の心が…。
「…美味い」
そう言うとトニーは次々とスプーンを口に運び出した。いつもに増して食欲旺盛な彼に、料理を気に入ってもらえたとペッパーは胸をなでおろした。
「本当ですか?!では、これからは私も時々作りますね」
ふふっと嬉しそうに笑ったペッパーをトニーは眩しそうに見つめた。

***
普段なら夕食を済ませると部屋に戻ってしまうトニーだが、今日はなかなか腰を上げようとしない。
黙って自分の話を聞いているトニーに、これはもっとお互いのことを知るチャンスかもしれないとペッパーは感じた。
「トニー様、お聞きしてもよろしいですか?」
「何だ?答えることのできる質問には答えてやる」
眉を吊り上げたトニーにペッパーはどこまで突っ込んで聞いていいものか迷ったが、まずはこの城に来てずっと疑問に思っていることを聞いてみることにした。
「トニー様にはご家族はいらっしゃらないのですか?」
一瞬顔を強張らせたトニーだが、すぐにいつもの仏頂面を作った。
「…死んだ。父と母は私が生まれてすぐに死んだ」
その言葉にペッパーは息をのんだ。それは自分と同じだったから…。偶然出会った彼が自分と同じように両親を幼い頃に亡くしていたとは知らなかった。だが彼は正直に教えてくれたのだ。それなら自分も話すべきだと思ったペッパーは、視線を伏せるとテーブルの上に置いた自分の手をもてあそび始めた。
「…私もです。私の父と母も死にました。私が2つの時にですから、もう15年も前の話ですけど。私も父と母のことを覚えていません。それからずっと一人で生きてきました」
これに驚いたのはトニーも同じだった。偶然出会った女性がまさか自分と似た境遇だったとは…。同じ境遇だったからこそ、お互いに引かれあう何かがあったのかもしれない。

沈黙が二人の周りを包み込んだ。

どう声を掛けていいのか分からない。気の利いたことでも言えばいいのだろうが、こういう時何と言えばいいのかトニーは知らなかった。だがトニーは気が付いた。こういう時は、心に思い浮かんだ言葉を素直に口にすればいいのだと…。
「…そうか…」
ポツリと呟いたトニーは、テーブルの上のペッパーの手を思わず握りしめた。
「ペッパー、お前はもう1人ぼっちではない。私がいる」
いつになく真剣な声にペッパーは顔を上げた。そればかりか、じっと自分を見つめている双眸は熱っぽく、ペッパーは思わず頬を赤らめた。
「私だけではない。ジャーヴィスも、それにこの城にいる皆がお前の家族だ。それではダメか?」
まさか彼がそう思っていてくれているなんて…。
「いいえ、トニー様。私のことを家族と思って頂いているなんて…。嬉しいです」
その瞬間、ペッパーの目からは涙が零れ始めた。突然泣きだしたペッパーにトニーは戸惑った。というのも、彼自身は生まれてから一度も涙を流したことがなかったのだ。いや、トニーは怒ることはあっても、心の底から笑ったり泣いたり感情を露にしたことはなかったのだ。それ故に、なぜ彼女が突然泣き出したのか検討も付かなかった。
「なぜ泣くんだ?!」
立ち上がったトニーは慌ててペッパーの元に駆け寄った。
「私…家族と言って頂いたのは初めてで…」
そう言うとペッパーは声を上げて再び泣き始めた。
涙を流す彼女の姿をどうしようもない程愛おしく感じたトニーは、黙って彼女の身体を抱きしめた。

④へ…

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