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「手術は成功しました」
その言葉に、手術室の前で祈るように待っていたペッパーは、泣き崩れた。

Dr.ウーの手術を受けるために二人は香港へやって来た。
手術前日の病室。それまでは軽口を叩いていたトニーだが、やはり怖いのだろう。いつもに比べ言葉少ないトニーを一晩中抱きしめていたペッパーに、翌朝彼はポツリと告げた。
「ペッパー…必ず戻ってくるから…。待っていてくれ…」

そして手術室に入ったトニー。心配で香港までやって来たローディと、涙を浮かべているペッパーに、心配するなと合図を送ったトニーは、次に目覚める時には新しい人生が歩めることを期待しながら目を閉じた。

手術前の説明で、Dr.ウーは不安げなトニーとペッパーに東洋と西洋の医学を駆使し、侵襲の少ない方法を取ると言った。だが、数年とはいえ、リアクターを 入れていた胸部。心臓の筋肉や組織に多少なりとも負担が掛かっており、そして手術自体も心臓周辺に散らばった破片を取るのだから、リスクが伴うことには間 違いない。数日は合併症に注意が必要と言われたペッパーは、麻酔で眠るトニーの手を握り祈った。このまま何事も起こりませんように…と。

翌日、麻酔から覚めたトニーはペッパーの姿を見ると嬉しそうに目を細めた。
「おかえりなさい、トニー」
まだ青白い顔をしたトニー。頬を撫でるペッパーの手にトニーはそっと触れた。
「ただいま…」
か細いが力強いトニーの声に、共に付き添っていたローディも安心すると、任務のため帰国した。
一日中うつらうつらとしていたトニーだが、夕方になると多少は意識がはっきりしており、ペッパーと会話することもできた。そして一晩中付き添っていたペッパーの疲れた顔に気付いたトニーは、
「大丈夫だから」
と笑った。酷く顔色が悪く辛そうなトニーが気にはなったが、その言葉に甘えたペッパーは、一旦ホテルに戻ることにした。

だが早朝、けたたましい鳴り響く携帯に叩き起こされたペッパーは、慌てて病院へ引き返した。

ICUはバタバタと人が出入りしている。
入っていいものか入口でウロウロしているペッパーに、Dr.ウーが声を掛けた。
「ミス・ポッツ…」
「何があったんですか?」
難しい顔をしたDr.ウー。
「感染症を起こしました。夜半に苦しみだして、熱が上がり始めました。熱が40度まで上がり、抗生剤を投与しても下がらないんです」
見ると、酸素マスクを付けたトニーは苦しそうに顔を歪め、肩で息をしている。
「…助かるんですよね?」
震える声で呟いたペッパーにDr.ウーは頭を下げた。
「…最善を尽くします…」

「トニー…そばにいるわ。だから頑張って…」
高熱にうなされるトニーは、身体を動かし『痛い…』と繰り返している。モルヒネを投与されたトニーは夢を見ているのだろう、うなされながら時々叫び声をあ げ起き上がろうとする。その度に病院のスタッフに身体をおさえつけられるトニーの姿は痛々しく、見ているのも辛かったが、ペッパーは何もすることができな い。ペッパーにできること、それはそばにいると声を掛け続け、大粒の汗の浮かぶ額をタオルで拭い続けることだけだった。

一晩たっても、トニーの容態は落ち着かなかった。
苦しそうな唸り声と息遣いと共に、時折うわ言のように絞り出される「ぺっぱー……」という声。トニーの手を握りしめペッパーは励まし続けた。
「トニー…、私はここにいるわよ。ずっとそばにいるわよ…」
一日中付き添っているペッパーに疲労の色が見え始めた頃、ナースが声をかけた。
「ミス・ポッツ、無理なさらないで下さい。スタークさんも落ち着いていますし、少しお休みになられては?」
「そうね…。私が倒れたら、彼に怒られちゃうわ。休める場所がありますか?」

家族用の控え室に案内されたペッパー。ソファに横たわると、少し眠ることにした。

その頃、意識が朦朧としているトニーは、夢と現実の間を彷徨っていた。
夢の中でトニーは今まで出会いそして目の前から消えていった人々と会っていた。
最初はインセン。『なぜこんなところにいるんだ?』と言うインセンだが、なぜか声が出ないトニーは、答えることができない。『君には失望した』そう言うとインセンは消えた。
(待て!話は終わっていない!)
トニーは必死に追いかけたが、背後から声をかけられ立ち止まった。
『トニー。こっちに来い』
振り返るとオバディアがいた。そして、キリアンも…。
『お前はもうアイアンマンじゃない。何もかも失っただろ?世界はお前を必要としていないんだ。だからこっちへ来い』
(そんなことはない!私は…)
『お前は誰だ?』
(私は……)
トニーの目に迷いが浮かんだその時、足元がみるみるうちに崩れ始め、トニーの身体を飲み込み始めた。もがくトニーをオバディアたちは奈落の底へ引きずりこもうとする。必死で手を伸ばすトニー。
(助けてくれ……ペッパー…)
だが、その手を掴む者はいない。トニーの身体は半分以上闇に包まれていた。

「…っぱー…」
ペッパーの名前を呼び続けるトニーの右手が、何かを探すように彷徨い始めた。手を伸ばし何かを掴もうとしているトニー。だが、空を切るばかりの手。
身体を包み込む闇は、同時に身体を痛めつけ始めた。
全身を襲う痛みに、トニーは叫び声を上げ身体を動かした。
ベッドの上で苦しむトニー。
突然フラッシュバックしたのは、攻撃され海に沈んだ時のこと。身動きがとれずアーマーの内部にまで海水が入り込んできた時のこと。
(息ができない……誰か……)
血圧が下がり始め、モニターがけたたましい警告音を発し始めた。
あの時のように必死で手を伸ばすトニー。身体が痙攣し始め、駆けつけた医師やナースが身体を押さえつけた。

『トニー、誰もお前を助けに来ない』
嘲り笑うオバディアたちは、トニーの身体を押さえつけた。必死でもがくが、闇はすでにトニーの肩付近まで迫っている。

「ぺっぱー………」
苦しい息の中、トニーの口から発せられるのは、最愛の女性の名前。
「ミス・ポッツを呼んできて!早く!」

容態が急変したと叩き起こされたペッパーは、ICUへと急いだ。

モニターからは警告音が鳴り響き、身体を痙攣させるトニーは何か言おうと口を動かしている。何かを探すように伸ばされた右手。
駆け寄ったペッパーは、その手をギュッと握りしめた。

『さあ、トニー。一緒にあっちの世界へ行こう。かわいがってやるよ』
頭の先まで闇に飲み込まれたトニーは、まだ飲み込まれていない右手を必死で伸ばした。すると、力強い温もりがその手を包み込んだ。
『トニー…もう大丈夫よ…一緒に帰りましょ?』
『お前は彼女を置いて逝くのか!』
『かわいいトニー。あなたはまたこっちに来ちゃダメ。あなたは一人じゃないわ…』
ペッパーだ…。
そして…親父とおふくろ?
(そうだ…。私はトニー・スターク…そして、アイアンマンだ…。全てを奪われても、それだけは奪えないぞ)
身体を包み込んでいた闇が消え去った。明るく温かな光に包まれたトニーは、大きく深呼吸した。隣を見ると、ペッパーがトニーの手を握り微笑んでいる。
(ペッパー…)
手を握り返すと、ペッパーはトニーの身体を抱きしめた。
『ハニー…そろそろ起きる時間よ…』

ペッパーが手を握りしめ呼びかけると、痙攣とモニターの警告音が止まった。すると、トニーが薄っすらと目を開けた。
「トニー?私よ、ペッパーよ!」
トニーが何か言いたげに必死に口を動かした。
「…ない…」
「え?何?」
口元に耳を近づけトニーの言葉を聞き取ったペッパーの目から涙が零れ落ちた。
『死にたくない……』
ペッパーの手をギュッと握ったトニーの目には涙が浮かんでいる。
「トニー、大丈夫。私がそばにいるわ。大丈夫だから…。あなたはこんなことに負けないわ…」
ペッパーに抱きしめられたトニーは、安心したように目を閉じた。

苦しみ続けたトニーの容態が落ち着いたのは、それから二日経ってからだった。
容態も安定したため、ICUから病室に移ったトニー。
「熱も下がりましたし、安定しています。もう大丈夫ですよ」
トニーを診察したDr.ウーは会釈すると病室から出て行った。

「よかったわ、熱も下がったし…」
そうは言っても顔色は悪く、辛そうなトニー。胸に付けられたモニターと規則的に送られる酸素の音だけが病室に響き渡っている。
しばらく黙ったままトニーの頬を撫でていたペッパーが口を開いた。
「死にたくないって言ったの、覚えてる?」
ペッパーの言葉に一瞬目を丸くしたトニーは、首を横に振った。
「いや…覚えてない…」
(あれはトニーの心の声だったのね…)
「心配したのよ…でもよかったわ」
ペッパーをじっと見つめていたトニーが、深く息をすると話し始めた。
「…夢を見た。親父とお袋に…怒られた。お前は…大切な物を残して…こっちに来る気かと…」
「お父様とお母様が?」
「あぁ…」
「あなたが戻ってこられたのは、お父様とお母様のおかげね。感謝しなきゃ」
「そうだな…。それと…君が助けにきてくれた…」
「私が?」
「あぁ……手を…握ってくれただろ?」
小さく笑ったトニーは、苦しそうに咳き込んだ。
「トニー、少し眠って…」
「イヤだ…。一人に…なりたくない…」
「大丈夫。そばにいるから。今日はここに泊まるわ」
ベッドに腰掛けたペッパーは、トニーの腕をさすり始めた。
目を閉じたトニーだが、しばらくすると再び目を開けペッパーを見つめた。
「…すまない…」
「なぜ謝るの?」
「弱い姿を…見せた…」
目を伏せたトニーの前髪を掻き分けたペッパーは、身をかがめると額にキスをした。
「見せてくれていいの…。私はあなたの全てを受け止めてるわ。強いところも弱いところも…。だから、甘えてくれていいの。もっと弱音を吐いてくれてもいいの…。だって、あなたの全てを愛しているから…」
「ペッパー…ありがとう…」
照れ臭そうに笑ったトニーは目を閉じた。程なくして眠ってしまったトニーを愛おしそうに見つめていたペッパーは、ベッドの端に横になるとトニーに抱きつい た。そっと胸元に耳を当てると、トニーの心音が聞こえてきた。初めて直に聞くトニーの心音。それは彼が生きている証。今、隣にいる証。
(よかった…。トニー、頑張ってくれてありがとう…)
こぼれ落ちそうになった涙を隠すように、ペッパーはトニーの肩に顔を押し付けた。

IM3でガラス越しにトニーを見守るペッパーの横に漢字が書いてあったので、香港設定にしています。

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