分かってた。分かってたの。
彼の心は…私にはもうないって…。
いいえ、元々なかったって…。
だって、私たちは一夜限りの関係だったもの…。
それでも助けたかった。
彼がメディアの前で宣戦布告をしたと知って。
私のボスが誰であるかを。そしてあの方に刃向かった彼が殺されるということを…。
アーマーに身を包んだ彼は、私の顔を見て、開口一番言った。
『私には心に決めた女性がいる』と。
そう。彼は以前の彼と違っていた。女なら誰でもいい。その場が楽しければいいと、フラフラとしていた彼はいなかった。迷い彷徨っていたあの頃とは違い、強い意思を持ったその瞳は、私を見ていなかった。
そう、彼の家には『彼女』がいた。彼が『心に決めた女性』と言った女性が…。
(一緒に住んでるのね…)
頭上から落ちてきたバッグ…大きすぎるうさぎのぬいぐるみ…自然と寄り添うその姿も、痴話喧嘩にしか聞こえない言い合いも…。
覚悟はしていた。でも、見せつけられるとやはりキツかった。
そして彼から全てを奪い去ろうとしたあのミサイル。自身の命すら危ない状況下でも、やはり彼は彼女を…文字通り身を呈して守ったのだから…。
目の前で拘束された彼が目を覚ました。
あの日のことを…私の中では最高の思い出のあの日のことを聞いてみた。彼が残したメモを見せて…。
だけど彼はメモの事すら覚えていなかった。
そして非情にも言い切った。
「朝のことは覚えてない」
彼女と過ごす夜のことは…迎える朝のことは、きっと全て覚えているのよね…。
何十人…いえ、何百人と関係を持った女の一人という現実を突きつけられた私は、悔しくて唇をかみしめた。
追い打ちをかけるように彼の言葉が耳に入る。
「あの頃の君には、モラルがあった。人々を助けたいという信念がね…。今、私の隣で眠る女性には強い心がある」
強い眼差しで言うその言葉…。彼が彼女をどれだけ大切に…そして愛しているかを、見せつけられた。
つまり、彼は彼女のためなら何でもする。彼女を助けるためなら、命すら惜しまないだろう…。
彼はまだ知らない。彼女に起こっていることを…。
キリアンが彼に突きつけた彼女の現状。目を見開いてその映像を見つめる彼の目には涙が光っていた。悔しそうな…そして、彼女を失うのではないか…という恐怖がにじみ出ていた。
彼女を脅しの道具にすればいい…。そう言ったのは私。
でも、彼は…そして彼女は…きっと屈しない。あの二人なら、例え自らを犠牲にしても、世界を危機に晒すようなことはしない…。ううん、きっとどちらも救う道を考えるって…。
思い出して。あなたが私に言った言葉を…。
彼女は『強い心』を持ってるんでしょ?彼女は負けないわ…。だって、彼女もあなたの元へ戻りたがっているもの…。あなたの元へ戻るためなら、地獄の業火も潜り抜けるわ…。
悔しそうな彼をキリアンが痛めつける。言葉で…そして力で。
無抵抗な彼はなすがまま。このままだと…彼は命を奪われる…。
彼を助けたかった。彼の命を救いたかった。彼の心は私にはないけれど、私の心はあの時からずっとあなたのもの。だって、名前を覚えていてくれたもの…。
でも、その希望は一発の銃声で消された。
撃たれた?
腹部に広がる熱いものは、私を底なしの闇に引きずりこもうとしている。
薄れゆく意識、彼の顔が見えた。
悲しそうなそして悔しそうな彼…。
その表情だけで…そして名前を覚えてくれていただけで十分だった。
あの時、あなたに出会わなければ…ここにいる全員が出会わなければ…こんなことにはならなかったかもしれない…。
でも、あなたと出会えて…そして一晩だけの女でも、あなたに抱かれて…私は幸せだった。あなたの心に生き続けることはできないけど…せめて記憶の片隅に生きさせて…。
トニー……ずっと言えなかったけど…あの日から私はあなたを愛してた…。
決して叶うことのない恋だったけど…。
トニーと過ごした一夜のことがずっと忘れられないマヤの気持ち捏造。